平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2014年1月26日 当事者として神様の前に

2014年01月31日 22時31分29秒 | Weblog
当事者として神様の前に

 先々週の火曜日、沖縄のある教会の牧師と会う機会があり、名護市長選挙の動向が話題となった。O牧師はとても温和な方だが、告示の数日前に沖縄に振興策費用として、500億円の用意があることを政府が発表したことに沖縄の人々を馬鹿にしていると憤慨されていた。
 いわゆるアメである。ところが、本日の開票作業の結果、反対派の稲嶺氏が、当選したのだった。沖縄の人々の決意に対して、改めて敬意を表したいと思う。辺野古の自然を守ろうとした人、また、沖縄県内の基地の移設はどこであっても断固反対の立場をとった人、反対理由は他にもあるのだろうが、何はともあれ、ほっとされたと思う。私たちは、宗教者だから、政治的なことに関しては、あまりな態度表明はしない方がよいと考えることもある。
 しかし、意識できないだけであって、多くはその当事者になっている場合が多い。沖縄の人々は、これ以上、沖縄の環境をめちゃくちゃにされてたまるか、犠牲にされてたまるか、命の危険に晒されてたまるか、と当事者として声を挙げている。そして、このような沖縄の状況を作っている責任は我々にあって、我々もまた当事者である。
 戦争ができる国になって、自分の息子や孫たちが戦場に行って、人殺しをさせられる状態を想像したとき、恐ろしい気持ちになる。だから9条は死守したい。が、そうなったときの責任は我々にある。当事者だ。いずれ神様の前にすべての者が罪の当事者として立たされる。

平良 師

2014年1月19日 大名クロスガーデン献堂一年と二か月に添えて

2014年01月25日 21時30分32秒 | Weblog
大名クロスガーデン献堂一年と二か月に添えて

 2014年の新しい年が始まった。今年からは大名クロスガーデンでお昼からの第二礼拝JOYSHIPが始まった。これまでDCGでは土日とも夜(夕方)の礼拝で、会堂には光が差し込むということはなかったが、2時からの礼拝では会堂に光が差し込み、それがキリストにある自由と温かさと解放の雰囲気を特に感じることが出来る。
 朝礼拝堂にいくと、右側からの光が差し込み、とても美しい。実を言うと、朝、ホールぶどうの木も光が差し込んで、本当にすがすがしい。朝来て礼拝堂の後ろの席に座り、その光が差し込む礼拝堂で、主の栄光が平尾と大名のひとつの教会に、また地域でもたれているスモールグループやミニストリー(奉仕)の上に、福岡に注がれることを祈って一日が始まる。
 新しく始まった第二礼拝は、前年に引き続き、バンドやコーラスによって讃美がなされ、一人一人の賜物が用いられて、元気な礼拝である。時間も、朝起きるのが難しい方のニードがあることが分かった。これからは街ゆく人々が、この礼拝に出て、元気や勇気、励ましを貰ったと言って頂けるような礼拝を提供したい。聖霊の風に押し出されて、一歩進みたい。


森 師

2014年1月12日 是非、スモールグループへ!

2014年01月18日 10時05分22秒 | Weblog
是非、スモールグループへ!

 主日礼拝に来られても、教会員同士、会話を交わさないで帰られる方々も少なからずおられる。同じ教会員でありながら、自分の抱えている問題について話す人もいないということがあるのなら、非常にもったいないと思う。これは、牧師の牧会の足らなさも一因であるから反省する。
 スモールグループ(SG)の良さは、自分の抱えている問題を分かち合うことができる友が与えられるというところにある。ルールとして、このSGで話されたことは他言しないことになっているから、安心して悩みや課題を分かち合える。
 また、交わりだけでなく、このSGは、礼拝、弟子としての学び、奉仕、伝道というおよそ教会の活動として取り組んでいることを行う実践の場(スモールチャーチ)として捉えてもらってよい。平尾教会には、現在10ほどのSGがあるが、3つの礼拝が存在するので、SGの役割は、この3つの礼拝に来られている方々をつなぐ働き、二つで一つの教会を形成していくことにも役立つだろう。
 一つのSGに3つの礼拝者が混在するケースもありうる。SGは、群れの広がりに合わせて、さらに多くなる必要がある。互いに励まし合い、支え合い、できればそのSGから献身者やバプテスマ決心者が起こされるなら、それはSGの大きな喜びともなる。SGを作りたい方は、委員長のT姉に申し出ていただき、SGの趣旨を十分に理解しただいた上で、仲間を募り活動を開始していただけたらよい。


平良師

2014年1月5日 駅伝に人生をみる

2014年01月11日 21時57分07秒 | Weblog
駅伝に人生をみる

 箱根駅伝は、Y大学を応援している。私が山梨にいた頃には、2~3年とても強いときがあった。今はそれほどでもなくなったが、箱根駅伝の常連ではある。
 この大学は、必ずケニアなどのアフリカからの留学生が登場して、ときには1区間で10人抜きをしたりするものだから、その瞬間は特に面白い。今年もそのような選手が登場して、序盤は快走していて5人抜いたまではよかったが、その後足を引きづりだして、ついには棄権となった。これは予想もしていなかったことだろう。選手がハイペースで無理をしたのだ。駅伝は襷を繋ぐことが第一だから、このチームは終わりとなった。
 さて、試合前に、今年は、どこそこの大学が優勝候補というのがわかる。それは、それまでの幾度かの全国大会でどこの大学が強いかがわかっているからだろう。また、試合のかけひきもあって、これこれの選手がいて、タイム的には合算するとこういう時間になって、だから、今は、5位でも、この選手のときにトップに躍り出るから、平均このペースで行けばよい、とか、そのようなことまで計算して行っているらしい。ある程度無理をしないと上位にはいけないし、極端に無理をすると後が続かない。
 何事もそうである。目標に向かって走っている。これは、競技だから賞を得るために走っている。ただし、計画的にやっていても、ハプニングはいたるところに待ち構えていて、ドラマも生まれる。計算し尽せないのが人生だ。


平良師

2013年12月29日 2013年もそうだった

2014年01月05日 23時46分07秒 | Weblog
2013年もそうだった

 2013年は、私にとって私的にも公的にも、喜怒哀楽に富んだなかなかの年だった。アメリカを生まれて初めて見た。次男が結婚した。前任地の87歳の姉妹が天に召され、兄弟が痴ほう症を患うようになったと便りが届いた。長くねんごろに看病なさっていた当教会の姉妹のご主人も天に召された。
 難問も多くあり、一つ一つ丁寧に解いていくことの苦手な私は、問題の整理もできないありさまだった。しかし、ありがたいことに、兄弟姉妹たちの粘り強い取り組みや助け手が現れて、問題の解決に力を貸してくれたのだった。私は、今年も前を行かれる主だけを追いながら歩んだ。私のイメージする主は、牧師としての召しを受けたときには、両手を差し伸べてくださった優しいお方だったが、そのあとは、止まることなく前を歩いている主である。
 ちょっと待ってくださいと、息をはずませながら言いたくなるときもある。大学時代、山岳部にいたときの登山を思い出す。あの頃は、取り残されまいと、前を歩いている人間のかかとだけをみつめながら必死に歩いていた。周りの風景を楽しむことも、おいしい空気を味わうこともしなかった。
 全然余裕がなかったのである。ただ、このつらい労働から解放されて目的地に着きたいと願っていた。しかし、イエス様に従う山行は、いざとなればイエス様が背負ってくれるに違いないと思えるから安心だ。ただ主を見失わないように歩いていけばよい。2013年もそうだった。


平良師