平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2016年9月18日 若い人よ、出番です!

2016年09月29日 22時50分25秒 | Weblog
若い人よ、出番です!

 敬老の日には多くの市町村が祝金を出してきたが、財政難によりこうした祝金はなくす方向にあるらしい。妻の父が、富士吉田市に移り住んで90歳になったとき、市から確か10万円を祝金としてもらった。三女が生まれたときも5人目というので10万円もらったと記憶する。もう25年も前のことだ。あの頃は、バブルのはじけた直後だったが、祝金なんかは、まだ市町村も結構大盤ぶるまいだった。過疎対策もあったのだろう。
 さて、10年前に比べ、今の時代は高齢者にとって、よい社会と言えるだろうか。給与が上がったとはいえ、現役労働者の生活に潤い感は乏しい。高齢者は、年金もかつてほどはないから、厳しい生活を強いられている。介護制度など、福祉関係は、充実してきたと感じている人は多いかもしれないが。行政は、お金がないならないで、高齢者にとっての豊かさの内実をどう整えていくのか、それは工夫して欲しいものだ。
 教会もまた、一日でも長く教会生活を送っていただくために、送迎をはじめ、いろいろな介護の可能性を考える必要がある。また、信仰生活がそれまで以上に豊かになっていくために、どのようなことを提供して差し上げられるか、考えていきたと思う。今、ご訪問の計画やイベントの実施、食事会なども行いたいと思って、それを話し合い、そのお世話をする方々を決めようとするとき、はたと気づく。そこで話し合っておられるのもまたご高齢の方々ばかり。若い人よ、出番です!


平良 師

2016年9月11日 イエス様の教会へようこそ!

2016年09月29日 22時46分48秒 | Weblog
イエス様の教会へようこそ!

 教会の主催者は、誰かと申しますと、イエス・キリスト、このお方です。また、教会を人の体に見立てた場合、教会の頭が、イエス様であって、それぞれの肢体はクリスチャン一人ひとりということになります。教会においては、誰もがそれぞれに必要とされています。そして、互いに助け合い支え合って生きています。教会では、互いに依り頼む関係を喜びとします。
 日曜日にある礼拝を主日礼拝と呼んでいます。主日といのは、主の日、イエス様の日という意味です。これは、聖書によれば、イエス・キリストは、金曜日に私たちの罪を負って十字架におつきになられ、日曜日の朝に復活させられたことになっていますので、この復活の日を祝い、主の日、主日と呼び、この日曜日の朝に、イエス様が復活なさったことを記念して礼拝を行っているのです。
 宗教は、いろいろと救いの概念を持っていますが、キリスト教の場合、それは、人間の罪からの解放を意味しています。もちろん、他の宗教と同じように、病が癒されること、衣食住が足ること、仕事や将来の希望が適えられること、災いに遭わないことなども祈りますし、救いの内容としても祈りますが、専ら救いと言えば罪からの解放です。
 そして、罪というのは、一言で言えば神なき人生を送ること、神様に背を向けて歩むことを指しております。神様に目を向けますときに、自然と自分を絶対化できず、他者への赦しと優しい関係も生まれ、平和が実現できます。


平良 師

2016年9月4日 中国のことわざにあるらしい?

2016年09月11日 13時08分33秒 | Weblog
中国のことわざにあるらしい?

 中国の古いことわざにあるらしい。「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい」。
 い~イことわざだ。束の間の幸せを得たいならは、お酒でもよい。結婚の蜜月は三日が限度ということ? 何も言わないでおこう。豚は、足から頭まで、食べられるから、八日間くらいはいろいろとおいしく楽しめるということか。釣りをおぼえたら、永遠に幸せになれるのか。釣り好きの私にはたまらない言葉だが、いくら何でも、それはないだろう。せめて、死ぬまでだったら、釣りのあれこれを思って、幸せでいられるような気もするが。
 9月の17日から11月6日まで、福岡市博物館で、「釣道楽の世界」が開催される。先のことわざもこの宣伝チラシに載っていた。そして、こういうことも書かれていた。「釣りは、私たちに感覚を研ぎすます喜びを、心を無にする愉しみを、そして、忘れられない昂奮を与えてくれる。
 溢れるほどの情熱がかたちとなって、釣りの歴史は創られてきた」だって!ただ、危惧することは、ここ数年私のはまっているジャンル、海洋釣堀についての言及があるかということ。現代日本の釣り文化のなかに、こんなに奥の深い釣り方があったなんて。にもかかわらず、もし無視されていたら・・この釣りを邪道という人もいるし・・ジャあドウすればいい!


平良 師

2016年8月28日 久山ワークキャンプのこと

2016年09月04日 11時50分22秒 | Weblog
久山ワークキャンプのこと

 このキャンプは、楽しいプログラムは少ないが、励ましや勇気をいただいて、来てよかったと多くの人が語る。草刈は毎回。今回は、送迎用の車の洗車も行った。また、二日目は、厳しい炎天下の中、街頭募金を行った。そして、重症心身障害児者のことを職種の違う職員の方々から聞いたり、車椅子の使い方や食事介助の仕方を学んだ。
 また、実際に入所されている方々とのふれあいや食事介助を手伝わせてもいただく。二日目の夜は、バーベキューをするが、職員の方々の参加も今年は多く、それに入所されている方々も加わってよい交流の場となった。そして、その夜は近くの久山温泉に行って就寝。例年は、三日目の早朝は、希望者だけで近くの池に釣りに行くのだが、今年は、用意していたミミズがこの暑さで死滅したために、釣りは中止となった。この釣りを楽しみに来ている子供たちも少なくないから、さぞ残念であっただろう。
 スタッフは、彼らのために仕掛けを前の晩に遅くまで用意し、早朝の出発だから、疲れがピークに達するのだが、今年はそれがなかった分、体力を温存できた。このキャンプで、皆が一番真剣になるのは、重症心身障害児者の保護者の方からお話を聞くときである。毎年飽きもせずキャンプに来続けている者も少なくない。それは、このキャンプが、その人にとってそれ以後の人生に何らかの影響を及ぼすほどのものとなるからだ。「共に生きる」ことの学びが自然にできるキャンプである。


平良 師