平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2014年7月20日 言葉(ロゴス)の意味の重さについて

2014年07月27日 12時33分46秒 | Weblog
言葉(ロゴス)の意味の重さについて

 西高宮小学校から集団下校する子どもたちの元気な声が、私の書斎までよく聞こえてくる。いつもは静かな住宅街が、この時だけは弾むような彼らの声で、しばし華やぐことになる。先日、その声を聞くともなく聞いていると、明らかに上級生と思われる男子生徒の、「彼の存在そのものがそうなんだよ」という声がはっきりと聴き取れて、思わず唸った。
 「彼」に対する否定的な意見だったのか、肯定的なそれだったのかは、判別できなかったが、7月1日に集団的自衛権の行使を認めるという「解釈改憲」を閣議決定した首相に対しての憤りの念を、うまく処理できずにきた私は、ミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』を思い出しながら、「そうなんだよ、彼の存在そのものが、あまりにも軽すぎるんだよ」と、独り言ちてしまった。
 首相の閣議決定後の記者会見での、「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなりました」という発言には、「何をこの期に及んで」と、耳を疑いたくなる「軽さ」を感じざるを得なかったからだ。そしてそれはまた、歴代内閣が厳しく禁じてきた海外派兵を、限定的とは言え「できる」ようにしてしまった大転換にもかかわらず、「憲法解釈の基本は変えていない」と強弁する「軽さ」でもある。首相がよく引き合いに出す、「日米安保条約を結んだりしたら日本は戦争に巻き込まれると主張した人たちがいましたが、そんなことは一度もなかったじゃありませんか」という論法にしても、それは憲法9条の厳格な解釈があったからこそなのであって、それの「骨抜き」を企む者が口にできる言葉ではないはずである。何よりも言葉(ロゴス)のもつ意味の重さを破壊してしまった首相として、彼は日本の歴史に名を刻んだことになるだろうと私は思う。
 基本的な重要性においてキリスト教信仰に深く通底している憲法9条の、 解釈によるこの改変に対しては、今後私たちは、主として選挙をとおして明確な「否」を言い続けていきたい。「憲法改正」とは、本来は「国民投票」によってしか、しかも3分の2の賛成という高いハードルを超えることによってしか、なすことのできないはずのものだからである。つまり「改憲」とはそれほどに重いことがらなのである。そして実際、一年程前までの首相自身もまた、そのハードルを2分の1にまで下げようと、まるで物事のルールを自分の思いどおりに変えようとする駄々っ子のようにして、企んでいたではないか。しかし民意はそこにないと看て取るや否や、今回のような暴挙に彼は出たのだから、それへの「否」を、私たちはまさにその「投票」という行為によって、はっきりと意思表示し続けていかなければならないと思う。


青野師

2014年7月13日 スモールグループキャンペーンを迎えて

2014年07月19日 23時45分13秒 | Weblog
スモールグループキャンペーンを迎えて

 確かにスモールグループ(SG)は、既に存在していたと言える。教会学校の各クラス、各会は、そう呼んでも差し支えないだろう。ただし、何でも語り合える友たりえていたかどうか、何かあったときの祈りの友だったかどうか、そこらになると少し個人差があるかもしれない。
 教会学校は、教師と生徒といった縦の関係性が強く、生徒同士にしてもその時間内では互いに気さくに話を交わす関係までには至っていないというのが、実状ではなかろうか。各会も、互いの抱えている課題を分かち合うような場面は簡単にはない。その点、SGでは、本音で会話することを皆で心がける。教師は存在せず、世話役がいて、自分の考えを押し付けたり、解説をしたりはなるべく控え、場の相互の会話がなるべく弾むように心がける。
 SGでは、礼拝があり、学びがあり、祈りがあり、交わりがあり、新来者をその場にお連れすることは伝道のよい機会となる。なるべく、その5つの内容が、網羅されることを心がける。言わば、SGは、小さな教会でもある。現在のところ、多いところで月に2回の割合でSGを守っている。
 祈祷会と教会学校の働きも兼ね備えているので、ある程度の形がさらに充実してくれば、もう少し頻度も多くなってもよいと思うが、子育て真っ最中の方々には、なかなか時間の確保が難しいという方もおられるから、そこらは工夫のしどころである。一人でも多くの方々が、このSGに参加されることを願う。


平良師

2014年7月6日 神を畏れない者は民衆を不幸にする

2014年07月12日 23時01分08秒 | Weblog
神を畏れない者は民衆を不幸にする

 神様を畏れない政治家が時に現われて民衆を不幸にする。集団自衛権の行使を容認すれば、戦争に巻き込まれることくらい、誰にもわかる。これからは、ミサイルの雨が降ってくるかもしれない。同盟国と同じように見なされ、テロもまたこの国でも起こるかもしれない。基地は必要とされ続け、それこそ、これまで以上の苦しみを沖縄の人々は強いられることになるだろう。
 危険と不安をこの平和な国に招き入れたとして、この男の名は歴史に残ることだろう。多くの国民の期待は、経済面における働きだったはず。平和なこの日本を台無しにすることを願っている人は誰もいない。我々国民の平和と安全を守ることに努めるべき政治家が、危険と不安に陥れる、暴挙と言う他はない。
 日本の誇るべきものは、平和憲法。この理念は、イエス・キリストの教えに通じている。唯一、平和を維持する方法は、集団自衛権を行使しないことだ。この国の憲法は、国の交戦権を認めてはいない。戦争は、どこの国も、集団自衛権を主張して行ってきたことを歴史が証明している。いったいどこの国が、この戦争は侵略するためのものだと言っただろうか。
 集団自衛権の行使を容認することは、文字通り、戦争を容認することに他ならない。これまで戦争のできない国だからというので、中立だと思われ、赦され、勝ち得てきた信頼が崩壊する。アジア諸国は日本をこれまでと同じようには見ない。以前のあの過ちを犯した国がやってくる・・。


平良師

2014年6月29日 主体的に変化を担う

2014年07月05日 22時32分18秒 | Weblog
主体的に変化を担う

 今は、力を合わせるときである。私たちは、大きなチャレンジをしようとしている。このチャレンジは、神様から私たちの教会に与えられたものだと信じる故に、皆が同じように神様に応答していただきたい。これを皆で取り組むことができるなら、そのときは、大きな変化が与えられ、教会は変わる。
 私のイメージでは、多くの人々がスモールグループにかかわり、より深い絆で結ばれた真の神の家族が生まれる。また、多くの人々が、生き生きと自分のやりたい奉仕活動に加わり、教会生活を喜び楽しむ。二か所で営まれる3つの主日礼拝と毎月1度の英語礼拝に自由に出席し、多様性のある豊かな教会生活をおくる。私たちの教会生活の幅は、これまでの何倍にもなり、多くの交わりや奉仕の場所が与えられることになる。
 私たちは、教会が伝統的に行ってきた礼拝、交わり、学び、奉仕、伝道の5つの活動に、主によって新鮮な息吹が吹き込まれることを喜ぶ。ただ、皆が一つになって働くことが叶わなければ、この試みは、ただ混乱を招いただけに終わるだろう。私たちは、今、主がほんとうに私たちの教会を用いて、この地域の伝道に広がりを生みだそうとされているのだと信じる。私たちの教会のチャレンジが大きく実を結び、生き生きとした教会が形成されるなら、他の教会への励みとなる。
 今や、教会員一人一人は拍手する側にはいない。祈り心を一つにする役者たちであり、それも皆が主人公である。


平良師