平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2010年7月25日 大名伝道の始まりは

2010年08月31日 00時56分48秒 | Weblog
    大名伝道の始まりは

 先日、教会の近くに、ある飲食店が開店した。飲食店らしいが、工事をしているときから、どんなお店なのだろうかと、内心、期待していたのである。そして、開店したら一度は利用しようと思っていた。ところが、開店間近になっても、いったい何のお店かわからない。それで、近くの方に尋ねてみた。「いったい何のお店なんですか」。すると、「ワインを出すお店だそうですよ」ということだった。しゃれたお店ができるんだ、と思った。
 ところが、開店の当日、中に7~8名のお客さんらいし人々はいるが、活気に欠ける。4日目から人が入っていない。1週間くらいして、1ソフトドリンク無料とあった。ちょっと、遅いなあと思った。
 それから1週間して、「都合によりしばらく休業します」と貼紙がしてあった。もったいない。何百万円とかけて店をオープンさせたのじゃないだろうか。この店主は、まったく欲のない人で、商売を本気でしようなどとは考えていない人だ。開店日が近づいてきたら、何の店で、目玉は何で、くらい宣伝しなきゃ。そして、初日は、どんなサービスがあるかぐらいは大々的に知らせることだ。
 大名での伝道は、工事が始それから、翌日、ちょろちょろ入っている。まった段階で、「近くにこのような教会が建ちます。このような活動を行います。このようなプログラムもあります。お越しをお待ちしています」と、前宣伝を熱心に行なうところから始めたいと思う。本気である。


平良師

2010年7月18日 閃輝性暗点

2010年08月27日 18時26分17秒 | Weblog
     閃輝性暗点
 10数年ほど前から、一年に一度ほどの頻度で、とくに早朝新聞を読んでいるときに、目の異常を感ずるようになった。まず読んでいる活字の中心点に何か穴が開いたような感覚が生じて文字が見えにくくなり、その穴は次第々々に大きな円環になっていく。円環の内部がまったく見えなくなってしまうわけではないが、しかしその枠が大きくなっていくにつれて、それは次第にギザギザ模様の稲妻のように光り出し、ぐんぐんと大きな円環になっていき、2、30分のうちに視界の外側に出ていく形で消えていく。別にそれだけのことで、あとに何か異常が残るわけではない。
 しかしあまり気持ちのよいものではないので、いつもお世話になっている内科の主治医に相談したところ、眼科医を紹介されたのでそこで診察してもらった。しかし症状を説明した上で眼球の検査をしてもらったが、何が原因なのかわからないとのことであった。それから数年後、新聞の健康相談の欄でこの症状のことが取り上げられていて、病名は忘れてしまったが、それはときどきある症状で別に心配はいらない、と書かれていたので、ほっとしたのだった。
 ところが先日、大学院のゼミで一人の学生が、自分にもその症状があり、それは「閃輝性暗点(せんきせいあんてん)」と呼ばれる症状であり、使徒パウロの「肉体のとげ」(第二コリント12・7)とはまさにそれだったのではないかと推定する英語の論文が書かれている、ということを教えてくれた。
 パウロがおそらく目の病気を抱えていたのではないかということは、ガラテア4・13~15、6・11などから推定されるのだが、しかしこの学生は、この症状はあとに激しい偏頭痛を伴なっているということ、そして自分もそうであること、したがってかなりのストレスがあること、を語ってくれた。そう言えば、私も高校生の頃から偏頭痛の持ち主であり、いつも鎮痛剤の新グレランを持ち歩いていたものだ。
 教師になってからはそれは収まったと思っていたのだが、しかしつい数年前にズキンズキンと耐えられないほどの偏頭痛がして、MRIで診てもらうということがあった。結果は何の異常もなし、であったが、しかし目の症状とそれが連続して起こるということは、これまで一度もなかった。
 ところが学生が見せてくれた資料によれば、中高年で閃輝性暗点だけがあって、その後に頭痛を伴なわない場合こそが要注意である、なぜなら血栓による一過性の脳循環障害が原因である可能性があるからだ、と書かれていたので、ヤバイと思わせられた。病名すらも知らない眼科医もいる中で何が本当なのかはわからないが、生死を握っておられるのは神さまだけなのだから、その神さまにすべてを委ねて生きていくほかはない。


青野師

2010年7月11日 『彼に神の救いなどあるものか』と言われてもなお

2010年08月25日 23時47分14秒 | Weblog
『彼に神の救いなどあるものか』と言われてもなお

 詩編の3編は、ダビデの作と言われる。ダビデの第三王子アブサロムが、後継者になろうと反旗を翻したために、それを避けて逃れたときのものである。ダビデは罪を犯した。家臣の妻を自分の妻にするために、彼を戦場へ赴かせ、戦死へと追いやった。そのことは神様の怒りをかうこととなり、息子の反乱となって、かえってきた。逃げるダビデに人々は、「彼に神の救いなどあるものか」と罵声を浴びせた。
 ダビデという王は、イスラエルの歴史の中でも優れた王様であった。少年ダビデが、ペリシテの大男ゴリアテと戦い勝利した武勇伝がある。しかし、誘惑に負けて罪を犯すといった点では、彼もまた普通の人であった。このとき、わが愛する息子の反乱にあったのである。どんなにかつらいことであっただろう。
 彼は、息子が恐ろしいのではなく、自分の愛する息子が反乱を起こしたことに頭をうなだれているのである。しかし、ダビデの本当に優れている点は、どのような状況の中でも、神様への信頼を忘れなかったところだ。「主よ、それでも、あなたはわたしの盾、わたしの栄え、わたしの頭を高くあげてくださる方。主に向って声をあげれば、聖なる山から答えてくださいます」。
 苦しみの真っ只中にあって、行き詰まり、どうしようもないときにも、神様を待ち望み、神様へ寄り頼んでいく姿が、私たちを励ます。ダビデは、苦難や試練のときにこそ、神様と真実に向き合うことを選んだ。神様に対して謙虚であった。


平良師

2010年7月4日 スモールグループの良きもの

2010年08月14日 00時03分12秒 | Weblog
   スモールグループの良きもの

 9月からのスモールグループ(SG)に先立ち有志の若ママの会が活動を始められて9回目を迎えた。幾度もお誘いをいただきながら、今回ようやく参加できた。しかし、内実は、これから平尾教会が行なおうとしているSGとほとんど変わらないものではなかろうかと思う。
 今日は、4名の若ママ教会員と我々夫婦。最初、賛美歌を歌い、祈り、「人生を導く5つの目的」の第7日目の内容を皆で輪読し、感想を述べ合う。それから、昼食をとり、最近の一番嬉しかったこと、つらかったことを語り、思いを分かち合う。それから、祈りの課題を共有して、この日は、すでに予定していた時間を過ぎていたために、それぞれがノートに祈りの課題を書きとめ、家に帰ってから祈ることとなった。
 この会が始まってからとても関係が親密になり、ほんとうに祈ってくれているのだという確かさをメンバー全員が感じているとのことだ。教会では、内容としては、これとほぼ同じことになると思うが、まず、目的を確認することから始めなければならないと考える。
 何のために、ということである。それから、リーダーの役割、場所を開放してくださる方の対応内容、また、SG内における決まりごとの確認、SGへの参加時の留意点などをいったい誰が導くのか、SGが一定の人数を超えたときの次の段階の移行について、どのようにするのか、などである。今回、この若ママの会に参加して、多くの良きものを期待できると確信できた。


平良師

2010年6月27日 私たちの教会

2010年08月12日 22時51分20秒 | Weblog
    私たちの教会

 私たちの教会は、西南学院、西南女学院の創設にも尽力されたアメリカ南部バプテスト連盟の宣教師たちによって開拓された教会の一つです。バプテスト派は、伝道熱心であり、信仰告白した者のみに洗礼を施し、教会運営は民主的、政教分離の原則を大切にするなどの特徴があります。
 当教会の特徴としては、幼子からご高齢の方々まで、一堂に介しての全年齢層の一つの礼拝を守っています。小学生以下の子供たちは、大人の説教を聞くことは自由です。礼拝は、主日(キリストは日曜日の朝に復活されましたので、日曜日を主の日、主日と呼んでいます)礼拝といい、毎週この時間帯に行われます。また、イースター(イエス・キリストの復活祭)礼拝、召天者記念礼拝、家族の日礼拝、平和の日礼拝などと、毎月一度くらいの割合で、特別の礼拝を捧げています。
 礼拝のあと、報告があり、12時くらいには終わります。それから30分間、各年齢層に分かれての教会学校があります。これは、聖書の学びと交流の時間でもあり、教師と書記が、リーダーとなってクラスを導いています。初めて来られた方は、牧師室で、新来者クラスを牧師が担当します。
 教会学校が12時30分まであり、それから、13時30分くらいまで、多目的ルームで食事を一緒に致します。大人は300円、中高生が150円、小学生以下は100円です。ただし、初めての方は、歓迎の意味を込めて無料です。その他、水曜日に朝と夜に祈り会をしています。どなたも、どの集会にもご自由にご出席できます。お越しをお待ちしています。


平良師

2010年6月20日 ユーモアと信仰

2010年08月08日 22時50分06秒 | Weblog
     ユーモアと信仰

 先日、ある米人を囲んでの語らいのときだった。日本人の他教派の牧師が尋ねた。「先生、牧師の燃え尽き症候群を防ぐには、どうしたらいいでしょうか」。確かに、この牧師は、少々疲れているご様子であった。(と、平良牧師は、言いなさんな、あなたは疲れていなくても、そのような顔をしていますよ、はい、わかっています)。
 そのとき、米人の牧師は、答えた。「毎週、1日は休暇をとってください」。(よっしゃあ、私なんか、毎週欠かさず、とるようにしているものな)。そうしたら、このお疲れぎみの牧師が「しかし、サタンは、24時間働いて、私たちを滅びに誘っているのですよ。それを考えると、とても休んでなどおられません」。(それもそうだ。休まずにしっかり祈って、サタンを祈り倒さなければ・・)。
 そこでこの米人牧師は、「なるほど、そうですねえ、しかし、いつからあなたは、サタンをモデルにするようになったのですか。神様ですら、6日間お働きになったら、1日は休まれたのですよ」。そこで、ドッとその場が笑いの渦になったのである。こういうユーモアを咄嗟に言えるようになりたいものだ。受けない駄洒落は、結構言おうと思えば言えるのだが、中身のあるユーモアはさっぱり。
 信仰を語るときに、ユーモアを交えることは、不謹慎なことと受け取られるだろうか。それどころか、気持ちも和らぎ、楽しく聞けてよい。だが、説教の中でユーモアのつもりで話をして、真面目な顔の聴衆を見るとき、消えたいと思う。


平良師

2010年6月13日 相手を優れた者と思いなさい

2010年08月07日 17時05分34秒 | Weblog
 相手を優れた者と思いなさい(ロマ12章10節)

 昨年9月に、長い間、自民党を中心に一方的な政治形態を押し付けていた政府が、民主党に変わるという大きな変化が起こった。しかし、首相と幹事長が不明朗な金銭の問題をはっきりと釈明できないことから、遂に、また8ヵ月ちょっとで辞職する羽目になった。今度こそ、ガラス張りの、誰にもわかり易い政治を行使してもらいたいものだ。
 日本の政治は、いつになったら明るくスマートなものになっていくのか、待ち遠しいものだ。もちろん、国民の一人ひとりにも責任はあるのかもしれない。以前の「平和一丁目」でも述べたが、『それでも日本人は戦争を選んだ』(加藤陽子)にあるように、われわれは、第2次大戦に至るまでの経過と戦後の過ごし方についてもう少し考慮し、議論を重ねる必要があるだろう。
 現在における日本社会の人間の生活のあり方にも、いくつかの問題がある。そのうちの一つは、お互いの感情交流が豊かでなくなったということ。すなわち他人の感情、心、気持を聴き取る力の不足とでも言うべきである。
 物、金銭の多寡、知識や点数の多少、成績の高低などにとらわれない人物の評価を重くとらえ、人間の喜びと生き甲斐、芸術や幸せの理解を深める社会にすることが最も大切だ。


松村師

2010年6月6日 熱狂主義ではなく霊的な熱心さ

2010年08月06日 18時04分09秒 | Weblog
   熱狂主義ではなく霊的な熱心さ

 私たちは、物事がほんとうにわかったというとき、感動したとか、鳥肌がたったとか、などの表現をする。神様がわかるというのは、それは理屈ではないだろう。神様が一番わかるのは、それは礼拝のときである。共に礼拝を捧げているその場に、神様が共におられるという臨在感を体験する、それ以上のわかるということはない。
 聖霊のお働きがそこにあり、私たちが生き生きと礼拝を捧げているのなら、その場にいる者たちは、神の臨在を感じることになるだろう。そのような礼拝をいつも捧げたいと思う。熱狂主義はどうかと思うが、霊的な熱心さがなければ伝道はできない。
 私たちの中に、いつも誰かを教会に誘いたいという思いがあるかどうか、イエス様を宣べ伝えたいという思いがあるかどうか、自問自答してみるとわかる。霊的な熱心さは、祈りにも表れる。よく言われることは、祈りは時間が長ければいいということでもない。適切な言葉で祈るかでもない。真夜中とか、早朝など、時間帯にもよらない。
 大切なことは、どれだけ真実に熱心に祈るかである。ただし、「霊的な熱心さ」と言っても、それぞれの性格もあり、表現の仕方もあるから、他人が、あの人は霊的に熱心だ、というようなレッテルは貼らないことだ。
 それは、その人がいかに冷静に見えようとも、「霊的に熱心」であるかどうかは、その人自身が一番よくわかっていることなのである。熱狂的なのではなく霊的な熱心さが教会には必要である。


平良師

2010年5月30日 T姉に励まされて

2010年08月03日 11時11分52秒 | Weblog
    T姉に励まされて

 私が来た年にT姉は、足を痛められて、それから車いすの生活となり、今は、ベッドに寝たきりとなられた。数年前から胃に直接流動食を入れて、栄養を摂取されている。昨年あたりからお話もできない状態となり、私たちも意味をつかむことが難しくなった。
 しかし、今日は、2年前くらいのT姉の感じで、部屋に入って目と目が合った瞬間、にこっと笑われて私たちとすぐに理解してくださった。耳元で、「平尾教会の牧師の平良です」と言ったら、目を細めて、涙を浮かべられた。それから、妻が讃美歌の「主われを愛す」を歌いだすと、一緒になって声を出してくださった。そのささやかれるような声の響きは温かで、音程もすばらしく合っていたように思う。
 それから、私は、先日行われた教会組織50周年のことを話して、写真の中にT姉の姿があって、「美人でした」、と言ったら、うれしそうに笑ってくださった。そして、妻が祈って欲しいことはないですかと尋ねたら、「自分が守られるように祈って欲しい」と何とか聞き取れるくらいの言葉で話された。
 そして、最後に3人で祈った。彼女の耳元で、ちょっと大きめの声でお祈りをさせていただいたのだが、終わったとき、T姉は、必死に両手を合わせて、目を閉じ、私の祈りに必死に心を合わせてくださっていた。「私たちもいつもT姉のことをおぼえて祈りますから、平尾教会のことも祈っていてくださいね」、と言って帰ってきた。T姉には、いつも励まされる。


平良師

2010年5月23日 聖書への関心

2010年08月02日 23時44分00秒 | Weblog
     聖書への関心

 月に二回発行されている『pen』(阪急コミュニケーションズ)の本年3月1日号や、季刊誌『考える人』(新潮社)の、同じく本年4月3日発行の第32号が、立て続けに「聖書」また「キリスト教」の特集を組んでいる。二つとも私にはあまり馴染みのない雑誌だったので驚いたが、前者は売れ行きが好調だったのか、増補改訂版まで出版された。新約聖書学を専門としている私には「んっ?」と思うような記述もないわけではなかったが、とくに後者の『考える人』における著名な方々の文章の数々は、とても示唆的で、そこから私は多くを教えられた。そしてほぼ同時期に、畏友大貫隆氏が岩波新書『聖書の読み方』を出版して、簡にして要を得た聖書への案内を書いてくれたので、聖書への関心はさらに高まったのではないかと思われる。これらが日本のキリスト教の成長にとって積極的な意味を持ってくれることを心から願っている。
 ところで私たちは、こうした書籍をも参考にしながら自分自身の聖書理解、キリスト教理解を獲得するようにと促されているのであるが、いつの時にもその自分の理解を絶対化してしまう危険を持ち合わせている。その意味で、『考える人』の中で、私が説教の中で引用したことのある『西の魔女は死んだ』の著者である梨木香歩さんが紹介してくれている、『砂漠の師父の言葉』(知泉書館)(これは今西南神学部で非常勤講師をされている九大名誉教授の谷隆一郎氏が訳されたものであるが)の中の次の言葉には、とても考えさせられた。「師父パンポが多くの人よりも優れていたのは、次の点においてである。
 彼は聖書の言葉や霊的な言葉について尋ねられた時、すぐに答えようとはせず、そんな言葉は知らないと語っていた。そしてさらに人が願っても、答えを与えなかった。」「師父ザカリアが息を引き取ろうとしていたとき、師父モーセが『何か見えるか』と尋ねた。ザカリアは言った。『父よ、黙っていた方がよくはないでしょうか。』すると師父は言った。『子よ、その通りだ。黙っていなさい。』」


青野師