溜息をつくなんて・・
溜息が出る。「あ~あ」。日に何度も出ることがある。自分の不甲斐なさを嘆くときもそうだが、他の方々の負っている事柄の重さを思って出るときもある。妻から、どうしてそんなに溜息ばかりつくのかと尋ねられるが、いろいろなことを思って、無意識のうちにふと出るようだ。
溜息をつくのは、不信仰の証拠、そう思う。そんなことを思って、また「あ?あ」だ。溜息というのは、落胆、失望、ストレス、そのような感情の吐露。この大不況のなか、溜息をつく人々が増えているのではないか。あちこちから、溜息がもれてくるようだ。
パウロは、いつも喜んでいなさい、と奨めている。主にあって、喜んでいなさい、ということだ。私たちが負うべき、すべてのことを主が共に担ってくださるのだから、すべてのことは主にあって既に解決済みなのだから、元気を出せ、パウロは、そう私たちに奨めているのか。それとも、これもまた、逆説的に「貧しい者は幸いである」ということであろうか。そうだとも言えよう。
今日、Hrt君がバプテスマを受けた。4月から小学生だ。輝かしい未来が待っている。その彼が、牧師が、溜息ばかりついているのを見たら、がっかりすることだろう。キリスト者は、溜息をついてはいけないという法律はないが、少なくとも牧師が溜息とは、ダメでしょう。そう言えば、かつて、教会を訪ねて来た方から、私を見て開口一番「何か牧師さんもお悩みですか」と聞かれたことがあった。あ?あ!
平良師
溜息が出る。「あ~あ」。日に何度も出ることがある。自分の不甲斐なさを嘆くときもそうだが、他の方々の負っている事柄の重さを思って出るときもある。妻から、どうしてそんなに溜息ばかりつくのかと尋ねられるが、いろいろなことを思って、無意識のうちにふと出るようだ。
溜息をつくのは、不信仰の証拠、そう思う。そんなことを思って、また「あ?あ」だ。溜息というのは、落胆、失望、ストレス、そのような感情の吐露。この大不況のなか、溜息をつく人々が増えているのではないか。あちこちから、溜息がもれてくるようだ。
パウロは、いつも喜んでいなさい、と奨めている。主にあって、喜んでいなさい、ということだ。私たちが負うべき、すべてのことを主が共に担ってくださるのだから、すべてのことは主にあって既に解決済みなのだから、元気を出せ、パウロは、そう私たちに奨めているのか。それとも、これもまた、逆説的に「貧しい者は幸いである」ということであろうか。そうだとも言えよう。
今日、Hrt君がバプテスマを受けた。4月から小学生だ。輝かしい未来が待っている。その彼が、牧師が、溜息ばかりついているのを見たら、がっかりすることだろう。キリスト者は、溜息をついてはいけないという法律はないが、少なくとも牧師が溜息とは、ダメでしょう。そう言えば、かつて、教会を訪ねて来た方から、私を見て開口一番「何か牧師さんもお悩みですか」と聞かれたことがあった。あ?あ!
平良師