平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2008年9月7日 彼女はかつて三日坊主だった

2008年09月29日 17時58分00秒 | Weblog
 私の妻は糖尿病の恐れがあり、医者から体重を減らすように言われていたが、明日はどうなろうと構わない、いつ召されても結構だと相変わらずゴキブリのような食いっぷりだった。

 ところが、さすがに薬が出てからというもの、少しは努力するようになって、毎日、1440キロカロリーだの、これで何単位、ヘモグロビンA1Cの数値がどうのこうのと言うようになって、一日に何度も体重を計り、それをグラフに記して、体重の推移を見ては「これでよし」と、それはこれまでとは違った。そして、みるみる間に体重が十キロ以上も減り、数値もよくなって、ついに薬を飲まなくてもよくなったのである。こうした模範的な患者も稀であると自我自賛している。

 妻もやるときにはやるもんだ。私は妻に聞いた。どうして、あなたはそんなに本気で、病気を治そうとしたのか、と。そうしたら意外な答えが返ってきた。「神様に対して努力しないことはよくないと思うようになった」。真面目な答えだ。私は、妻の意外性にはっとすることがある。どこまでもだらしなくなれる人であり、どこまでも真面目にいろいろと考え、どこまでも他者の気持ちに同化できるのである。

 身内にはこと細かくて、うるさがられてきたが、どこ吹く風とばかりに涼しい顔で子どもたちの暴言を無視してことにあたっている最近のようすは、スリムになった体に似合ってきた。饅頭でも分け合って食べることに喜びを感じるらしい。人は変わりうるのである。


平良師

2008年8月31日 祈りにおぼえて欲しい

2008年09月13日 23時55分08秒 | Weblog
    祈りにおぼえて欲しい

 祈祷会の証しをM兄がされた。これまでの人生に神様のお導きがあったことに感謝された。M兄は、祈祷会にほとんど毎週出席されているが、よく自分のことや自分がかかわっている教会活動のことなどを祈って欲しいと申し出てくださる。祈りに入る前、私が祈りの課題を提示して、他に皆さんの方からもありませんか、とお聞きしても遠慮されてなかなか出てこないのであるが、M兄は積極的にお祈りの課題を自ら申し出てくれる。

 しかし、それでは、牧師自らが自分のことや自分の家族のことを祈って欲しいと申し出ているかというと、そうではないことに気づいた。私自身の姿勢がよくなかったと思う。牧師は聞き役で、受け手で、執り成し役でと、勝手に決めていた。牧師自らが、自分の弱さや苦しみをオープンにしないのに、どうして、信徒の方々が胸襟を開かれるだろうか。そこで、私も祈って欲しいことを告げようと思う。

 一つは、礼拝に出席されている方々のそれぞれの生活や人生において、神様からいただいている試練とおぼしき出来事を共に担っていけるような強さと繊細さ、知恵と決断する心を牧師に備えてくださるように祈って欲しい。私と妻の健康を祈って欲しい。長女と次女の仕事のこと、長男と次男の教会生活のこと、三女に将来の夢が与えられるように祈って欲しい。それから、私自身のことをもう一つ。愚か者と叱られそうだが、周知の私の楽しみ事がこれからも許されるように祈って欲しい。


平良師

2008年8月24日 久山コロニー友の会主催のワークキャンプに参加して

2008年09月12日 21時57分30秒 | Weblog
  久山コロニー友の会主催のワークキャンプに参加して

 今回のワークキャンプでは、通園されている方々のお母様方が、いろいろなお話をしてくださった。いずれの方々も通園されている子どもを我が家の宝のように言われていた。この子のおかげで、家族の和が保たれている、家族が一つになっている、というようなお話だった。
 とは言え、60歳になる妹、30歳、20歳代のお子様方もおられ、もし親が先に死ぬようなことになれば、と心配されている方々がほとんどであった。
 そうした場合、今の医療制度、福祉制度の中では、久山療育園のように安心してお任せできるような施設はあまりない。国の方針は、逆に、こうした施設を廃園に追い込むような動きにさえ見える。
 久山療育園のこれからについても話し合われたが、現在の福祉切り捨てという時代の流れの中で、いと小さき者と共に歩まれるイエス・キリストの福音を掲げ、ますます輝くシンボル的存在に久山療育園はなっていくのではないか。
 福岡地方バプテスト連合の運動からこの施設は誕生した。平尾教会にも初期の頃からボランティア活動に参加されてきたご婦人たちがおられる。毎月のコロニー友の会の街頭募金活動に、当教会の子どもたちの参加は今や欠かせないものだろう。この募金活動は、久山療育園の存在をアピールするとてもよい働きをしている。
 9月23日、例年この日に久山療育園開園祭が開かれる。今年は新しくなった「久山療育園重症児者医療療育センター」の記念行事がある。皆で参加したい。


平良師

2008年8月17日 天国では一位も最下位も同価値

2008年09月02日 15時32分54秒 | Weblog
 天国では一位も最下位も同価値

 前回のオリンピックで水泳の北島選手が、一位になっての感想を聞かれて、「超気持ちいい」、と言っていたのを思い出す。一位は気持のよいものだろう。何でもいいから一位になったことがあるか、と聞かれて、「ある」と答えられる人はどれだけいるのだろう。
 一位になる人は、一度や二度ではない、何度も一位をとる。スポーツでも、何でもそうだ。その人は、恵まれている人だ、努力の人だ、できる人なのだろう。一位は、簡単にはとれないが、最下位は意図的にとろうと思えばできる。その代わり、その人は侮られることを覚悟しなければならない。
 一位は、才能や素質にも恵まれ、環境に恵まれ、努力の人であることが必要だ。意図的に最下位をとりたいのなら、一位をとろうとする努力を一切放棄すればよい。オリンピックに出場する人で、最下位をとろうとしている人がいるだろうか。そんな人がいたら、それはナンセンスと言われるだろう。最下位もまた、その人なりに努力したけれど、仕方なかった場合にのみ価値がある。その場合、一位も最下位も同価値。
 人生も同じ。天国の譬話で、朝6時からぶどう園で働いた人と夕方5時からの人が同賃金だったことを想い起こす。夕方からの人は、労働意欲はあったが誰も雇ってくれず5時まで不安の中にいた。雇い主である神様は、朝6時からの男たちと夕方5時からの男に同賃金を支払って同じように扱かった。理由は、そうしたいからそうしたのだということだった。


平良師

2008年8月10日 ある米国カメラマンの話

2008年09月01日 22時38分13秒 | Weblog
   ある米国カメラマンの話

 NHKのドキュメンタリー番組で、米国人オダネルというカメラマンを扱っていた。原爆で死んだ弟を背負い、火葬を待っている少年の写真が有名になった。終戦を迎えた時、彼は、原爆直後の長崎の撮影を軍に命じられた。色々と写真を撮り続けていくうちに、この原爆投下は間違いではなかったかと思うようになる。
 米国に帰国したとき、軍に提出する写真とは別に30枚ばかりのネガを持ち帰った。家族には、ネガを入れたトランクを決して開けないようにと言っていたという。彼は、戦後40年たってから、とある教会の十字架のキリスト像を見た。その像は、被爆した人々の写真で覆われていた。それに彼は深く感動し、自分も封印していた記憶を語り継がねばらないと考えた。
 それから、その30枚の写真の展示場所を見つけようとしたが、どこからも断られ、また、それを写真集にしようとしたがすべての出版社から断られた。彼の行おうとしたことは、原爆投下を正当化してきた多くの米国人から非難を浴びる結果になった。
 それでもオダネルは、あのとき、瓦礫と灰の上で、自分が見たものを見なかったことにすることはできなった。妻もまた、夫のしていることを理解できずに去っていった。
 昨年彼は死んだ。息子は、父親のしようとしていたことを受け継ぎたいと思った。今年の夏、長崎で、オダネルの写真展が開かれた。彼が撮影した、熱線で負傷した当時の少年だった男性が、協力をして実現したのだった。


平良師