平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2016年5月1日 キリスト教の土着化のために-地域に愛され、信用のある教会を目指して-

2016年05月20日 12時35分25秒 | Weblog
キリスト教の土着化のために
   -地域に愛され、信用のある教会を目指して-

 標題通り、地域に愛され、信用のある教会を目指すことは、キリスト教が日本に土着するためには、どうしても欠かせない。そのためには、どうすればよいか。一つには、地域社会に親切になることである。
 例えば、地域で、子供たちのための催し物をしたいので、場所を貸してくれないか、といったような申し出に快く対応するといったことなど。ただし、内容の吟味が必要である。また、地域に住んでいる方々のためにDCGでも考えている清掃などの奉仕活動があろう。信用を得るためには、キリストの教会としての証しをすることも考えられる。
 例えば、自然災害などで被災された方々のために支援活動をするとか、地域の子どもたちのために行う活動とかである。実際、既に、それらの取り組みはなされている。東日本大震災を忘れないミニストリー、親と子のミニストリー、他にもいくつかのミニストリーがある。しかし、地域に愛され、信用のある教会となるためには、教会の群れのようすを見た人々から、愛に満ちた地域に開かれた群れとして、好感を持たれなければならない。
 それから、教会が地域社会に発する言葉や政治的立ち位置もあろう。また、教会員の一人一人も、教会の顔となって、職場や学校や家庭や地域社会にあって信用を勝ち得ることである。これらのことが、イエス・キリストを証しすることになる。そして、イエス様に栄光が帰せられるとき、キリスト教の土着化は進むのではないか。


平良 師

2016年4月24日 祈りを共有する恵み

2016年05月20日 12時31分52秒 | Weblog
祈りを共有する恵み

 熊本地震では、熊本で仕事をされている当教会の教会員とその家族の方々の安否が確認され、皆さん怪我もなくよかった。しかし、家のなかは物が倒れたり壊れたりとたいへんである旨うかがっている。福岡のある牧師が、早速、現地を訪れ、K教会が現在早急に必要とされている物資のリストを連合の各教会に祈りの課題と共に情報発信してくださった。
 私たちの教会も、すぐに森牧師が反応してくださり、先週の執事会で火曜日にでも必要な物資を持っていきたいと言われるので、教会からもわずかながら水を持っていってもらうことにした。それに、教会の何人かが、自分も持っていって欲しい物があるからと、荷物を託してくださり、それらを持って、火曜日の夜中に福岡を発ち、早朝に現地に到着した。
 メディアによれば、いろいろな必要物資は、たくさん集まっているらしいが、それを仕分けする人やどこにどれだけ持って行けばいいのかの情報を行政がまだつかんでいないために、品物が必要な所に行きわたっていないということだ。
 しかし、タイミング的にはK教会とその関係者たちに対しては、今日の品物のお届は幾ばくかのお手伝いになったかとは思う。ボランティアが現地で必要とされるのは、これからだという。今は、不明になっている方々や体調を壊している方々の救助が優先ということだ。当教会もこの間祈りの課題を共有し、6月に実施予定のチャリティーコンサートに急遽、熊本地震も含めることとした。


平良 師

2016年4月17日 内なる人は日々新たに

2016年05月16日 17時30分50秒 | Weblog
内なる人は日々新たに

 かつて、ある名横綱が引退をするとき、その理由の一つとして、「気力の限界」と言っていた。これは、その人がそれまでやってきた仕事を退くときの、確かに理由にはなりうると思う。パウロは、外なる人は衰えていくとしても、内なる人は日々新たにされていく、と言った。
 これは、キリスト者は、気力は衰えるどころか、ますます強くされていくのだということだ。自分で努力するのではない、神様がそうしてくださる。スポーツ選手が、引退をするとき、その理由を単純に体の衰えと言わないで、精神面での問題として表現しようとするのはいかにも人間らしい。私たちキリスト者も肉体の衰えはくる。
 どのように気をつけていても病気にもなる。これは自然の流れであって、早いか遅いかの違いはあるが、どうにもできない。ところが、先日、テレビを見ていたら冷凍保存をして、脳も死滅させないようにして、人間の体すべてを甦らすことが将来できるようになる可能性がでてきたと、言っていた。この肉体の衰えを食い止めたいとは誰しもが思う。私も、最近、水素水、発酵食品、酵素など、いろいろと試してみたい衝動にかられる。肉体の衰えが来ているのだろう。
 神様からもらったこの世の器だから、なるべく大事にしたいといった願いか。人間は、神様がそれぞれに定められた時間を精一杯生きて、死に至る。しかし、それでも内なる人は日々新たにされていて、遂には霊の体に復活する。科学ではない神の力で。


平良 師

2016年4月10日 2016年度の計画総会を終えて

2016年05月16日 17時26分08秒 | Weblog
2016年度の計画総会を終えて

 いろいろな意味で、2016年度は仕切り直しの感がある。二カ所で一つの教会を作っていくという歩みは、あまり賛成ではなかった方々も
 決まったからには協力していくとおっしゃってくださり、いよいよこれからは思いを一つにして前に進むこととなった。ほんとうに感謝なことである。これまでの3年間で露わになった課題を一つ一つ解決していくことで、この形はすばらしい宣教活動を展開していくと信じている。否、そのようになるように、皆で一つ思いになって事に臨んでいきたい。一つの思いだからといって、正さねばならないことや筋の通らないことに蓋をするようなことは、もちろんしない。大切なことは、皆の心がキリストを讃え、喜びと充実感に満たされることである。
 そして、教会内では、自由と多様性が尊ばれること。活動する自由もあれば、しない自由も許されることである。そして、教会にはキリストにある愛が充満している。そして、このような群れが、キリストを信じる人々の群れであると、他の人々に認識され、好感をもたれること。
 教会がこのような状態であれば、それはキリストの証しとなり、自ずと人々も教会を訪れ、礼拝を守るようになるだろう。先週、三つの礼拝に集っている兄弟姉妹が一堂に介して礼拝を守った。一人一人がファミリーだ。家族の中には、今、喜ぶ弟や痛み悩む姉がいるが、皆で分かち支え合う。いずれも父なる神様の愛のまなざしの中におかれている。それが教会。


平良 師

2016年4月3日 ちっぽけな特ダネ-釣行11話-

2016年05月11日 21時38分01秒 | Weblog
ちっぽけな特ダネ-釣行11話-

 最近、技の一つとして覚えつつあるものが、誘うという技術である。悲しいかな、人ひとり教会にお誘いできない者ではあるが、もの言わぬお魚にはそれはできる。
 ルアー釣などでは、そうした技術は当然必要とされ、エサ釣でもそれはあるが、釣堀で、この技術を上手に用いるならば、釣果は二倍にはなるのではなかろうか。誘うと言うのは、簡単に言うと、釣糸を引っ張って、エサを動かし魚の食い気を誘うのである。魚も、生きているものを補食しているものが多い。その動いているものに反応する習性をねらう。黄色のだんごエサをゆるりゆるりと引っ張ると、鯛が誘われるようにスーと追いかけてきて、たまらなくなりパクッと食いつく。何とかして獲物を得たいという人間の欲には果てしがなく、これで身を滅ぼすこともあるが、知恵や技術を高めることもある。
 もう一つ、私のフィールドとなっている海洋釣堀Uでのことだ。魚礁を中央に土管が沈めてある。ところが、そこに釣り糸を垂れると土管の高さの分、浅くなるのでウキが立たなくなるか、釣り糸が土管のどこかにひっかかってトラブルとなる。そのため中央に釣り糸を垂れるものはいない。第一、土管の上の方は浅くなるので、魚が泳いでいるのを想像しにくい。ところが、青物は鯛より浅いところを泳ぐため案外そんなところにいるかと思い、青物狙いとウキ下を短くして中央に投げたところ結構釣れたのである。ただし鯛だ。特ダネじゃないか!


平良 師

2016年3月27日 代表の顔

2016年05月06日 17時14分46秒 | Weblog
代表の顔

 代表の顔というのは、実に大事だと、最近の米国大統領候補指名のための各党選挙戦を見ながら思う。もし、T氏が共和党の候補となったとしたら、そして、その人物が万が一大統領にでもなったら、どうなるか。少なくとも米国と対立している国々は、密かに笑うだろうが、それだけではすまないから政治はやっかいである。
 この選挙戦で見せるT氏の顔は、差別主義者、排除主義者といったところか。T氏は、「私は良い人、クリントンは悪い人」と、実に内容のない発言を繰り返すが、この簡単なフレーズが、人々にわかりやすく、受けているとのことだ。特に、今の生活に不満を持っている人々は、インテリ層に辟易しており、T氏は、富裕層に属する人間でありながらも、自分たちと近いものを感じさせるのではないかとのことだ。
 このような人物がと、想像するだけでも恐ろしいと多くは思う。しかし、このやんちゃなおじさんは、結構な人気者となっている。困るのは、最初は、おもしろがって見ていたが、ひょっとして利用できるかもと、よからぬ人々がT氏の周りに集まってくることだ。実際、そうした人々も少しずつ加わってきているのだろう。
 この人物は、いよいよ共和党の代表になりそうな気配である。国の代表の責任はもちろんであるが、選ぶ側の国民の責任もある。私も、発言や行動について気をつけなければ、教会の品位、否、キリストの名を汚すことになる。既に遅しの感があり、ゴメンナサイ。


平良 師

2016年3月20日 平尾ガーデンへの夢

2016年05月06日 17時10分40秒 | Weblog
平尾ガーデンへの夢

 最近の私の夢のひとつは、平尾教会の掲示板付近の場所が大切なアーモンドの木やミカンの木、厳しい冬を生き残った紫陽花の挿し木などを生かしつつ、木の周りを煉瓦で囲み、色とりどりの煉瓦を敷き詰めて、平尾ガーデンとなる事を夢見ている。この計画が実現されれば、長らく言われてきた駐輪するスペースが生まれ、子供たちが来やすくなり、近くの人は車を使わないで来ることができるようになり、平尾のオレンジの瓦に立つ十字架に向かう駐車場の道は広くなり、乳母車を抱えてこられる方も教会に来やすくなるだろう。
 綺麗に整備されればステンドグラスの元にベンチを設置して、前の病院待ちの方々や通りがかった方が日の当たるところで休めるようになれば地域貢献にもなろう。実際の働きはこれをおしゃれにするイメージと計画、レンガを購入し、平尾や大名のメンバーにも土を掘る作業とレンガを敷き詰める作業を手伝ってもらえればすぐにでも完成するだろう。
 私は勝手ながら、これは神様から私に与えられた使命(ミッション)の様なものだと信じている。大名クロスガーデンが献堂された当初、ある姉妹と壮年の方々がDCGの庭の手入れと花などを植えて下さったのだが、その時にレンガを敷いてホールに向かう小さな小道を庭に造ったのだ。
 その道は、ここを通る人たちに教会の建物をより身近に感じてもらえるような小道であった。今年の最初に掲げたJOYSHIPのテーマはMAKE HIS PATHS STRAIGHT、「主(彼)の道をまっすぐにせよ」(マタイ3:3)。この幻に賛同してくれる方の一声を待っています。


森 師

2016年3月13日 うれしい動き

2016年05月06日 17時05分55秒 | Weblog
うれしい動き

 私は、今、教会でうれしい動きだと感じていることがある。それは、教会員一人ひとりが、教会をご自分の教会として愛してくださっていることが、これまで以上に私には響いていて、それぞれのお気持ちが届くようになってきたことだ。これまでは、いろいろなことを自由にさせてもらってきた私だが、少し信頼し過ぎた感があったのではなかろうか。
 それが、最近では、ご自身の意見を皆さんがはっきりと主張してくださるようになって、それも言うだけなく、あちらこちらで、実に主体的に教会のいろいろな働きを担ってくださるようになった。そして、そのような方々の割合が増えてきたことである。
 これは、実に喜ばしい傾向であって、教会を共に建て上げていけるのがうれしい。今の自分は、教会のために時間を割かれるといった気持ちで奉仕せざるを得ないという方もおれば、喜び楽しみながらできる方もおられることだろう。それぞれの人生の時があって、今はそのような時なのだと悟っておられる方もいよう。
 どちらも神様は喜んでくださるのではないだろうか。教会を共に建て上げようとするとき、つらいこともあるが、キリストにある兄弟姉妹は意見の違う立場にあっても、なお、愛すべき方々である。それがキリストの教会だ。民主的な教会運営を大事にするバプテストの教会は、意見の対立はむしろプラスに作用して、相互の人間関係の理解を深めることになっていく。ここがバプテストの醍醐味だ。


平良 師

2016年3月6日 6度目の3.11を迎えて、私は

2016年05月01日 22時22分01秒 | Weblog
6度目の3.11を迎えて、私は

 東日本大震災からまる5年が経過して、6度目の3.11を迎えようとしている。私たちの教会では、被災地を忘れないミニストリーの方々を中心に、毎年、募金箱を置き、また、バザーをして、支援に取り組んできた。そして、それらの募金や収益金を、あるときは連盟へ、あるときは直接被災地の教会に送ってきた。
 私たちは、この5年間、間接的ではあるが被災された方々を支えるお手伝いをささやかながら続けてきた。「忘れない」ことが、重要であるため、このミニストリーにかかわっている方々は、少しでも長く続けることに意味があると考えている。震災があった次の年に、私たちの教会の幾人かが被災地を訪れた。そして、あちらの方々との出会いをいただいて帰ってきた。当教会の研修神学生たちもこれまでボランティアとして被災地を訪れた。そして、昨年はボランティアに参加されたZ兄が、報告をしてくれた。
 私は、これまで、被災地に行って何かできるお手伝いをさせていただこうと考えないこともなかったが、実行に移すほどの強い気持ではなかった。しかし、今年になって被災地を訪れたいと思うようになった。時を失することの多い者である。おそらく、被災地のことが何となく気がかりになってきたのだと思う。それは、これまでの当教会の地道なかかわりが、そのように私を教育してきたのかもしれないが、イエス様から、お前はまで来ていないと、言われているように感じているのも事実だ。


平良 師

2016年2月28日 これから

2016年05月01日 21時34分35秒 | Weblog
これから

 何かが新たに始まるとき、新たなる段階に入るとき、「これから」だ、と人は言う。
中学校、高校を卒業して進学する人、学校を卒業して社会人となる人、学校や職場は、それぞれにとって「これから」の世界である。あるいは、職場を去って、第2、第3の人生を「これから」歩もうとされている人もいる。
 これまでは、苦しかったけれど、これからはと、将来の希望に胸躍らせている方もいよう。これまでは、楽をしていたけれど、これからは大変だと覚悟している方もいよう。私たちの教会は、どちらだろうか。いずれにしても、2016年度は、「これから」を定めることをまずしなければならない。出発点の確認を2016年度の計画総会ではしなければならない。
 つまり、それは、これまでどおり二つ(二カ所)で一つの教会を作っていくのか、大名が独立する方向に進むのかを、新たに決意し直すことをする。そして、それが定まれば、今度こそ、思いを一つにして、「これから」を歩み始めることになる。3年間の歩みが終わった。多くの実りを数え、喜ぶことができる一方で、多くの課題も見えてきた。
 一つ一つの課題を解決していくことはできるだろうか。どちらの方向を選ぼうとも、これから前に進むためには、教会員の気持ちが一つになることが重要なことであると、私たちは気づいた。2016年度の計画総会は、心を一つにするための総会とも言える。信仰と民主的な教会運営によって私たちが選び取った道を私たちは進む。


平良 師