平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2012年1月29日 父の定年と同じ歳になって

2012年01月28日 22時06分37秒 | Weblog
   父の定年と同じ歳になって

 57歳になった。私の父はこの年に市役所を定年退職した。それから父は、70歳くらいまで嘱託で働いていた。それは、出世をしなかったのが幸いして、受付などのちょっとした仕事で随分と重宝がられたからだった。
 父は73歳で死んだが、酒をこよなく愛した幸せな人生だった。おかげで母は苦労した。父は、鹿児島知覧の少年飛行兵特攻隊の生き残りだった。本をよく読んでいた。若い頃は、市役所の労働組合の書記長をしたこともあったが、運動に挫折失望してからは、演歌をヘッドホンで聴きながら、ちびりちびりと焼酎を飲むのが唯一の楽しみとなっていたようだ。
 キリスト教と共産主義が一緒になったら、よい世の中になる、と言っていた。父は、一度、船でキス釣りをしたらしい。そのとき、針を飲み込んだ魚からそれをはずそうとしたら、内臓も一緒に出てきたのを見て、以来、釣りはやめたのだった。私は、もう何千匹という魚を捌いてきたが、父のナイーブさはどうも受け継いではいないようだ。
 あと、16年もすれば、父の死んだ年になる。それまで、神様は生かしてくださるだろうか。父の年にだんだん近づいてきて、思うことがある。私は、酒飲みでぐうたらな父は嫌だったが、いったい父以上に何かを成しえてきたのだろうか。それは、あと16年の間に、神様が私をどう用いようとされて、私がどう応えられるかもあるのだが、それにしても酒飲みでぐうたらだった父の背中が、次第に大きく見え出してきた。


平良師

2012年1月22日 絆(きずな)

2012年01月21日 22時17分25秒 | Weblog
       絆(きずな)

 昨年3月11日(金)に、東日本の大地震と大津波によって起こった東北三県の被害状況は、筆舌に尽くし難い程ひどいものとなった。間髪を容れず、国内はもちろん諸外国からも救援の手が伸ばされ、人的、物的支援が行われている。毎日、新聞、テレビで報道されるニュースを見るだけで、わたしのような高齢者は何らなすこともなく約十ヶ月が過ぎてしまった。
 確かに政府、官公庁の行動には不充分な部分があったかもしれないが、誠心誠意努力しつくした人々も多くあったと考えられる。また、末端の市町村では、困難で苦しい中にあって、復興の意慾をもやし、各自が協力し、励まし合って新しい将来構想を作り、立ち上がろうとしている市民も諸所に見られる由、伝えられている。
 そのようなことから、わたしたちは少し長い期間にわたって再建の計画を立て、地についた歩みをしていかねばならないと考える。
 去年12月12日、毎年永平寺で行われる恒例の「今年の漢字」は、『絆』・きずな(森清範・貫主)であったがこのひと文字は、昨年の日本を表現するのには、まことにふさわしいものであったと思われた。
 この漢字は、人間と人間の交わり乃至は関わりを表すものであり、別な所では、神と人との結びつきを意味するものでもある。人間社会の中でもっとも大切なものといってもよい(エフェソ:四章3節)。すなわち、人間は平和のきずなで、結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。


松村師

2012年1月15日 繰り返しになるけれど、牧師のDCCのイメージ

2012年01月14日 22時19分00秒 | Weblog
 繰り返しになるけれど、牧師のDCCのイメージ

 生まれたばかりの動物は、最初に目にするものを母親と思うらしい。最初の印象は、何ごとにつけても大事だ。DCCがあの街のあのあたりを歩く若者たちに、ここは若者の教会らしい、という評判を得られることができるなら、それはそのような教会となるだろう。その若者たちが、平尾の群れの中でキリスト者として育てられていく。
 私たちは、二ケ所で一つの教会を形成していく。大名は、伝道の最前線として位置づけられる。若者に限らず、サラリーマン・OLやショッピングに来た若い母親たちへのプログラムも考えられる。そして、ご高齢の方々やその他のプログラムも平尾教会員の賜物を生かす形で考えられる。
 しかし、どのような教会ですか、と聞かれた人々が、あそこは若者の多い教会ですよ、と答えられるなら、まずは成功であろう。隣接地に教会がある、また、大名には他にも幾つかの教会がある。そこに与えられた場所ということで、これは既成の教会を神様は願われてのことではないと考える。ここは特色のある、多くの人々に開かれた場所になるはずである。
 しかし、平尾教会である。平尾教会の大名会堂と平尾会堂なのである。そして、大名会堂では、特色のある宣教活動を行い、そこで与えられた人々が、平尾の群れに加わり、一つとされていくのである。大学生、専門学校生、社会人、他、若者たちが自分たちの居場所、オアシスとして、大名のこの場所をおぼえてくれる日がくることを祈り求めたい。


平良師

2012年1月8日 好きなことには

2012年01月08日 11時21分38秒 | Weblog
     好きなことには

 人間、好きなことには労を惜しまない。仕事のために、朝5時に起きるのはつらいが、釣りのためなら3時くらいから目が覚める。街頭募金で2時間立っているのはつらいが、釣りで3時間立っているのは、あっという間だ。
 仕事場に急ぎ足で行くのは疲れるが、釣り場の場所を確保するために、駆け足をしても息切れもしない。妻から買い物を頼まれて10キロの米を担いで3階のマンションまでの階段を上ると不平を言いたくなるが、釣った魚で一杯になった20キロくらいのクーラーをフェリーの甲板まで担ぎ上げるのは、重くて腰がどうかなりそうになっても我慢できる。仕事の2時間の車の運転は無口でも、釣り場へ向かう3時間は、口笛を吹きながらである。釣りは、非常に過酷な趣味である。朝早く起きて、現場に移動、4~5時間フルに働いて帰宅。それから、魚を捌き、片付けまで終えると夜。
 くたくたである。しかし、私の場合は、これで終わらない。明日は遊びの釣りというので、前の日にはたくさんの妻からの仕事をこなし、釣りから帰ってくると、今日は遊んだというので、またまた、妻からのたくさんの仕事が待っている。これらを怠ると、次の許可がおりないから体に鞭を打つ。
 パウロは、福音のためだったら、どんなことでもする、と言った。もちろん、私だって、福音のためならと同じことを言いたい。しかし、釣りのためにも何でもするかも。パウロの心だけを心とする2012年でありたいものだ。


平良師

2012年1月1日 2012年を迎えるにあたり

2012年01月01日 00時06分30秒 | Weblog
     2012年を迎えるにあたり

 2011年は、東日本大震災から始まり、非常に多くの事柄があった一年だったと言える。被災者への祈りは継続されることだろう。また昨年は、教会の姉妹が3名、天に召されたのも寂しいことであった。しかし、信仰者としては天国への凱旋である。
 その他、教会員で、ご家族を天にお送りした方々もおられた。また、大名のことでは、あれこれと議論を重ね、随分と力を傾けた。これもようやく、3月から工事となり、今年の10月には完成の見込みである。これからは、どのような活動を行うのかに時間をとらねばならない。組織についても、二つの場所での活動が始まるので、平尾での活動や組織のスリム化を内容の豊かさは落さずに図る必要もあろう。
 例えば、礼拝、祈祷会、スモールグループ、教会学校、聖歌隊、ジュニアチャイム、執事、委員会の委員、週報つくりなど、一人でこれら多くのことに携わっておられる方もいる。これを礼拝とスモールグループ<SG>(相互牧会、祈り、学び)、委員会の奉仕など、一人の信徒が行うのは一つの礼拝、一つの集会、一つ(せめて二つまで)の奉仕に集約するのはどうか。
 ただし、SGは、現在行われている奉仕グループ、委員会や教会学校のクラス、祈祷会も、それぞれのケースによっては、SGの一つとして位置づけることも可能であろう。これからは組織の改変も含めて、多方面からの知恵と力を合わせて、教会の運営、伝道の方策を練っていかねばならない。


平良師