父の定年と同じ歳になって
57歳になった。私の父はこの年に市役所を定年退職した。それから父は、70歳くらいまで嘱託で働いていた。それは、出世をしなかったのが幸いして、受付などのちょっとした仕事で随分と重宝がられたからだった。
父は73歳で死んだが、酒をこよなく愛した幸せな人生だった。おかげで母は苦労した。父は、鹿児島知覧の少年飛行兵特攻隊の生き残りだった。本をよく読んでいた。若い頃は、市役所の労働組合の書記長をしたこともあったが、運動に挫折失望してからは、演歌をヘッドホンで聴きながら、ちびりちびりと焼酎を飲むのが唯一の楽しみとなっていたようだ。
キリスト教と共産主義が一緒になったら、よい世の中になる、と言っていた。父は、一度、船でキス釣りをしたらしい。そのとき、針を飲み込んだ魚からそれをはずそうとしたら、内臓も一緒に出てきたのを見て、以来、釣りはやめたのだった。私は、もう何千匹という魚を捌いてきたが、父のナイーブさはどうも受け継いではいないようだ。
あと、16年もすれば、父の死んだ年になる。それまで、神様は生かしてくださるだろうか。父の年にだんだん近づいてきて、思うことがある。私は、酒飲みでぐうたらな父は嫌だったが、いったい父以上に何かを成しえてきたのだろうか。それは、あと16年の間に、神様が私をどう用いようとされて、私がどう応えられるかもあるのだが、それにしても酒飲みでぐうたらだった父の背中が、次第に大きく見え出してきた。
平良師
57歳になった。私の父はこの年に市役所を定年退職した。それから父は、70歳くらいまで嘱託で働いていた。それは、出世をしなかったのが幸いして、受付などのちょっとした仕事で随分と重宝がられたからだった。
父は73歳で死んだが、酒をこよなく愛した幸せな人生だった。おかげで母は苦労した。父は、鹿児島知覧の少年飛行兵特攻隊の生き残りだった。本をよく読んでいた。若い頃は、市役所の労働組合の書記長をしたこともあったが、運動に挫折失望してからは、演歌をヘッドホンで聴きながら、ちびりちびりと焼酎を飲むのが唯一の楽しみとなっていたようだ。
キリスト教と共産主義が一緒になったら、よい世の中になる、と言っていた。父は、一度、船でキス釣りをしたらしい。そのとき、針を飲み込んだ魚からそれをはずそうとしたら、内臓も一緒に出てきたのを見て、以来、釣りはやめたのだった。私は、もう何千匹という魚を捌いてきたが、父のナイーブさはどうも受け継いではいないようだ。
あと、16年もすれば、父の死んだ年になる。それまで、神様は生かしてくださるだろうか。父の年にだんだん近づいてきて、思うことがある。私は、酒飲みでぐうたらな父は嫌だったが、いったい父以上に何かを成しえてきたのだろうか。それは、あと16年の間に、神様が私をどう用いようとされて、私がどう応えられるかもあるのだが、それにしても酒飲みでぐうたらだった父の背中が、次第に大きく見え出してきた。
平良師