平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2018年3月18日 パイプオルガンの設置に思う

2018年03月27日 21時39分46秒 | Weblog
パイプオルガンの設置に思う

 大名の建物が与えられてから6年目に入っている。ようやく、念願のパイプオルガンが設置されることとなった。1週間で、かなりの部分ができあがったように見えるが、さらに完成までには2ケ月を要する。ビルダーの神戸さんが、岐阜と福岡を行ったり来たりしながら、これからは細かい作業を行うということだ。
 教会にパイプオルガンがあるなど、とても恵まれている。その神様からの恵みに、このパイプオルガンを用いた豊かな宣教活動を通して応答していきたい。私たちの教会には、数々の宝があるが、このパイプオルガンもその一つとなることだろう。このパイプオルガンは、おそらく、二つの宣教場所をつなぐ大きな道具になるはずである。
 先週、M先生のところへ行ったおりに、先生に、すばらしいパイプオルガンが設置されつつあることをお伝えした。ちょっと目を見開いたような感じがして、何となく、わかってくださったのではないかと思った。M先生のところに今度来るときには、パイプオルガンの写真を持ってくることをお約束して帰ってきた。
 大名のある教会にはパイプオルガンがあり、明るい礼拝堂にドーンと落着きを与えている。そこは、平尾バプテスト教会の大名クロスガーデン。そのように囁かれる日も近い。多くの方々が、キリストの教会に足を運び、パイプオルガンの音色に感動をおぼえる。あるいは、ここらを歩く人々が、その音色に足をとめ、礼拝堂を覗く。ちょっと嬉しい光景だ。


平良 師

2018年3月11日 多様性は平尾教会の歴史の必然性

2018年03月20日 22時37分44秒 | Weblog
多様性は平尾教会の歴史の必然性

 私は驚くべき平尾教会の歴史を思う。まず、私たちが保持する教会の信仰告白には、他では見られてない内容が含まれている。それは、「序」というやつである。日本憲法で言うならば、「前文」にあたると私は思う。「この信仰告白は、何人の信仰をも制限することなく、あかしとして又、はげましとしてこれを宣言いたします」。
 教会の信仰告白を定めておきながら、これで何人の信仰も制限しない。まさに、信仰理解、聖書理解の多様性の容認である。そして、その正当性を裏付けてくれたのは、当教会の協力牧師であり、新約聖書学者の青野太潮先生だった。青野先生は、平尾教会で40年にわたり、私たちにラディカルとも思える聖書の解釈を提示してこられたのである。
 それから、2012年の11月から始まった大名での宣教活動である。二ヶ所での宣教活動の中心は礼拝である。大名では、平尾とは違うスタイルの礼拝が始まったが、それは大名を取り巻く街の環境や伝道対象者を考えた末のことであった。そこで、再び、双方が互いを受け入れ合うことが課題となり、多様性を認めること、喜ぶことが当教会の必然となった。
 要するに、平尾教会が、多様性を大切にするのは、自立した教会としての歩みが始まった最初からのことであり、それに次々とそれでなければならない必然性が加わっていった歴史があったことがわかる。まさに、多様性は、当教会に与えられた神様の恵みであり、摂理と言っても過言ではない。


平良 師

2018年3月4日 知らない世界を知る恵み

2018年03月10日 21時42分16秒 | Weblog
知らない世界を知る恵み

 「井の中の蛙大海を知らず」、ということわざがある。狭い世界で生きて満足しているが、もし、世界がどのようなものなのかを知ると、その人の世界観は変り、より豊かになる。また、今のままで十分だ、と言う方もおられるから、それはそれでいいのだと思う。ただ、知らないから、そのような偏見が生まれるということはある。
 「こんなところに日本人が」というテレビ番組がある。見ていて何だかワクワクしてくる。そして、そこで日本人であるこの人がいったい何をしているのかがわかると、その人の人生に感動するだけではなく、行っているお国柄や事情もわかり、もっと知りたいといった気持ちにさせられる。いろいろと世界観が広げられて、いい番組だと思う。
 ところで、先週、「西郷どん」というNHKの大河ドラマのことを書かせていただいたが、それに対して、歴史上の西郷隆盛の奄美大島での影の部分の指摘をいただいた。沖縄に対して薩摩藩がやったことはある程度知っていたので、さもありなんと思った。郷土の英雄のお話であり、ちょっとうわついていた自分があり反省する。そして、意気消沈したが、冷静になれてよかったと思う。
 歴史小説だから、虚構の部分も多いこともあるし、それを楽しむ側面もあってよいとは思うが、指摘されたことはそうなので、知らない世界を知らされた恵みを思う。ご指摘くださった読者に感謝したい。誰の人生にも、どんな英雄にも、栄光と影があるというのはわかる。


平良 師

2018年2月25日 敬天愛人やっぱ西郷どんじゃっど

2018年03月06日 22時21分56秒 | Weblog
敬天愛人やっぱ西郷どんじゃっど

 「敬天愛人」この西郷隆盛が語ったという言葉は、どこかで聞いたことのある言葉だ。そう、マタイによる福音書22章37節「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」どうも、西郷は、聖書を手にしたことがあったようだ。そして、自らも聖書を教えたという説もある。
 旧庄内藩士たちが、西郷から直接聞いた教訓等を一冊にまとめた「南洲翁遺訓」のなかに、「敬天愛人」について「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である」と説明がなされている。
 ちなみに、庄内藩士たちが、西郷を慕った理由は、新政府軍の参謀であった黒田清隆が新政府に敵対した庄内藩に対して極めて寛大な温情ある処分をした背景に、西郷の指示があったからだと言われている。
 また、征韓論の中心人物とされてきたが、これも、実は、即時の朝鮮出兵に対しては反対の立場であり、開国を勧める遣韓論を主張したと言われている。だからと言って許される話ではないが。今度のNHKの大河ドラマ「西郷どん」は、隣人に対する思いやりが色濃く描かれていて興味深い。


平良 師