平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2018年6月3日 ゆる〜いと多様性

2018年06月26日 17時14分07秒 | Weblog
ゆる〜いと多様性

 この2年ほど、多様性ということで、いろいろと考えている。そして、今、私たちの教会のキーワードは「多様性」といって過言ではない。福音理解から礼拝スタイルなど、多くの点で多様性を大事にしている。また、こんな側面を保持する教会になろうともしている。
 それは、ゆる~い教会。この教会は、現代社会が必要としている教会の姿かもしれない。その教会は、許され、赦され、癒される教会である。奉仕は、自分の賜物を生かし、恵みに押し出されてする。教会の集会には、キリストの群れゆえの、多様性に富む人々の交わりがある。互いに迷惑がかかることもできるだけ受け入れ合う。その人が担っていた仕事を果たせなくなっても、助けを求めるならば、誰かがフォローしてくれる。こんなゆる~い教会で、主が共におられることを実感する。
 私たちの教会は多様性を大切にしているから、根本的にはゆる~い教会のはずだ。ただし、ゆる~い教会が、成り立っていくための条件がいくつかある。その一つは、私たちの教会がゆる~い教会であることを皆が理解していること。そうでないと、互いに責め合うことだって起こりうる。
 そして、多様性を互いに認め合うためには、ときには、多少なりともぶつかることも余儀なくされる。信頼のなかで、ぶつかり合うことが条件の二つ目。そして、三つ目は、多様性を受け入れ合うことには忍耐が必要であり、それは愛へ繋がる。


平良 師

2018年5月27日 潔い青年と愚かな為政者

2018年06月03日 10時34分22秒 | Weblog
潔い青年と愚かな為政者

 暴力の責任をとったアメフトの青年、彼の愚かなる監督、そして、さらに愚かな為政者とが、実に対照的に描かれたこの一週間であった。政情は、罪を認めさせるまで追い詰めることができない与野党の攻防が続いている。支持率も下がってきて、ようやく国民も目覚めたかと思っていると、土俵際になって脅威の粘り腰である。
 それがまた、長い長い。そのうち国民も飽きがきて、下がっていた支持率も気がつけばまた「もり」返したりして。何が何でも生き延びて、憲法のなかに、日本は戦争のできる国であることを明記せねばと躍起なのであろう。間違って困るのは、権力を委託された者たちは、自分たちの思想を実現するために働くのは二の次である。
 第一は、日本に安心して暮らし、誰からも危害を与えられず、もちろん与えもせず、どのような境遇にある人も、皆が平等に幸せに暮らすことができる社会にするのが、政治を任せられた者たちの仕事である。それなのにこの政権は、お友達だけを優遇していると言われても仕方がないほどで、「もり」「かけ」もまた、そのことを象徴している。それでも国民は懲りないから不思議だ。この政権にあやかって莫大な富を手にしている者がいるのだろうが、下々にはわからぬ世界があるんだ。
 きっとイエス様だったら、とうに食卓をひっくり返しているところだ。青年は、自分の非と弱さを認めたが、監督や為政者は、もう少しうまくやればよかったと思っているのだろうか。


平良牧師