本能と理性
今年、米国の大統領選挙があるというので、今朝のテレビ番組で、候補者のことがいろいろと話題になっていた。なかでも、えげつない本音を語り、支持率を上げている人がいる。彼の言うことは、誰もが内心思うであろうことだ。
しかし、多くの人々は、その思いを理性で立て直している。本能を人は、理性で抑制し、それは人として恥ずべきことだ、他者のことも考えなければと、どうやったら皆が共に利益を得て、共存していけるかと考える。人の上に立つ者は、どれだけいろいろな立場の人のことを考えられるかということになるのだろう。
その広さが器の大きさとなり、きめの細かい行き届いた政治が可能となる。にもかかわらず、この話題の候補者は、米国にとって利益、それも目先の利益としか思われないことを主張して、支持を得ようとしている。先月だっただろか、世界の世論調査で、今どの国がもっとも優れた国だと考えるか、というアンケート結果を公表していた。一位は、ドイツであった。ドイツは、ヨーロッパのなかでも難民を積極的に受け入れている国である。ドイツは、難民の人々へとても手あつい保護政策をとっている。
難民受け入れに対して、難色を示す国が多くなってきている現在、第二次世界大戦で失った信用をみごとにこの国は取り戻している。誰もが、大事な選択をするときには、葛藤を余儀なくされる。神様に創造された人間は、そこで、主の御声に聴き従おうとするからだ。
平良 師