平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2004年7月25日 (スイス便り3)フェーリエン

2006年12月31日 23時23分07秒 | Weblog
 (スイス便り3)フェーリエン

 最高気温が16度などという日々があるというのに、七月になると小学校も含めてスイスの学校は一斉に夏休みに入る。そしてこの時期になると、多くの家庭がどこかに二、三週間の「休暇」に出掛ける。
 「休暇」のことをドイツ語で「フェーリエン」、フランス語で「ヴァカンス」と言うが、日本にはどうもこの「休暇」という単語はないように思う、と彼らに話すと、では一体何のために生きているのか、という顔をされる。
 それほどにこのフェーリエンは彼らにとって大切なものなのだ。そして社会全体が、この長期休暇を前提にした上で組織・運営されている。私たちが出席しているタルヴィル・バプテスト教会の牧師も、「来週と次の週はフェーリエンですので、別の説教者となります」と言っていたし、信徒のほうでも六月頃から休暇中の人たちが多く、礼拝出席者はいつもよりずっと少ない。
 最近西南学院でも特別講義をしてくださったスイス・ベルン大学教授のウールリッヒ・ルツ先生(マタイ福音書のEKK註解書の著者)は、休暇になると神学関係の本は一切持たずにスイス南部のテシーン州に出掛けて20日間ぐらい過ごす、と言われたことがある。
 そんなことはとても私には真似できないし、その意味でも今の私は決して「休暇」中なわけではない。それはともかく、このような濃淡のある生活のリズムは、私たち日本人にもやはり必要なのではないかと思われる。
 つい最近、現在はウィーン・バプテスト教会牧師で、1982年には福岡に三ヶ月滞在して平尾教会でも説教をしてくださったことがあるヴィーザー夫妻を訪ねる機会があった。もちろん彼らも今はその休暇中なのだが、彼らが、有名な指揮者カール・ベームが日本人のウィーナー・ワルツ観に対して次のように言ったことがある、という話をしてくれた。
 「ワルツのリズムは、決して一、二、三、ではなくて、一、そして二、そしてたぶん三、という感じのものだ」。息の詰まるような「一、二、三」から解放されて、もう少し余裕をもったリズムの生活をしたい、とつくづく思うこの頃である。


青野 師

2004年7月18日 選挙こもごも

2006年12月30日 22時58分13秒 | Weblog
     選挙こもごも

 状況をどうみるかで、その対応はがらっと変わる。いいと考えるのか、それとも危機的だと思うのか、その判断が大切だ。選挙は、それらの国民の思いを反映している。選挙では、与党はこれまでの成果を強調し、改革をこのまま推し進めることが必要だと言い、野党は、その誤りを指摘する。
 国民は、どう判断したのだろうか。それは今度の参議院選挙の結果が物語っている。イラク派兵、年金問題などへの批判票も多かったのだろう。また、ある議員は、「予算をとってきます」と相変わらずのふうであった。
 露骨であるが、疲弊している中小企業にとって、やっぱり頼りになるのだろう。ある議員は、「ごめんなさい」と謝っていたが、有権者は、そう簡単には赦してくれなかったようだ。
 有権者も、唯一政治に直接かかわることのできる機会だから、権利は行使して欲しい。私の知っている身近な人は、間違って別人の名前を書いたと言っていた。論外である。役人からして、投票用紙を間違えて渡している。
 こんな選挙風景を見ながら、日本はまだまだ平和だ、と言う人がいる。一頃まで、声高に「憲法改正」を主張することなど、してはいけないという空気があった。前の戦争への反省からだ。今度の選挙では、護憲を主張してきた政党は大きく後退した。
 時代の流れは、平和憲法が危ない。教会は、神の守りを願い、神の正義を信じる群でありたい。「殺すな」、この十戒の一つを守り通すことにキリスト者の使命を思う。


平良 師

2004年7月11日 少年の日の夏休み

2006年12月29日 19時52分06秒 | Weblog
   少年の日の夏休み

 この暑さはひどい。まだ、七月に入ったばかりというのに。日中、車で、でかけようとして、不用意にボンネットでも触れようものなら、たいへんだ。今のところ、ぶ厚い雲に覆われた梅雨空がもどってくる気配もない。
 しかし、こんなことを書いた途端に集中豪雨になったりする。幼い頃、夏の夜は、蚊帳をつって、窓を開け放って寝た。夜中に桜島が噴火して、その火山灰が市内にさらさらと音をたてて降ってきた。あわてて、窓をしめると、そこは蒸し風呂と化した。鹿児島の湿度を思い出すだけで、おお夏よ来い、と少年にもどったような気分になる。
 何とか、眠りについたが、陽が昇ると、また、カッーと暑くなって、汗だらだらで目が覚める。夏休みの一日は長かった。朝起きて、ラジオ体操へでかける。朝食後、「夏休みの友」を30分もすると、遊びのことが気になって、外へ飛び出す。ところが、小学生たちは誰もまだ外に出ていない。皆、家で、10時半になるのを待っている。学校の指導で、10時半までは家で勉強しろと言われていたからだ。昼食を食べてから夕食までが、さらに長く、将棋をしたり、泳ぎに行ったり、夕方から野球をしたり、と。
 それから夜はたらいで行水をし、天花粉を首の回りにたたいて寝床についた。公園で上映される移動映画館の怪談を見た夜などは、夜中に目が覚め、こわくて布団を頭からかぶり、汗をかきかき夜明けを待った。いつ頃からだろう、神様を知って、こわいものが少なくなった。


平良 師

2004年7月4日 ノーリアクション

2006年12月29日 00時12分54秒 | Weblog
   ノーリアクション

 先週の壮年会で、ある方が、憲法がこのままでは危ない、教会でも何らかの対応をしないといけないのではないか、との提案があった。何度か私も書いたり発言してきたのだが、日本憲法は、聖書に次ぐほどのすばらしいもので、わが国が世界に誇れる数少ないものの一つである。
 その中でも憲法九条は、戦後の日本の平和を支えてきた。私は説教においても、政治的な発言は極力抑制している。私は、聖書を神様からのメッセージとして語り、後は、礼拝の出席者が自分の今の状況に引き寄せて考えてくれたらいいと、思っているからだ。
 しかし、こと憲法に関しては、あえて発言をしてきた。これは、私たちの国の平和の要石だ。これをいじることは、当然憲法九条をさわることになる。ここが崩れたら、次に来るのは、徴兵制であり、次から次へと堰を切ったように、きな臭い時代がやってくることになる。
 壮年会では、次回の例会で、平和憲法をめぐる最近の動きについて学ぶことになった。連盟が第49回定期総会で採択した「平和宣言」については、各方面から高い評価を得ているという。あわせて、この「平和宣言」についても学ぶようにしたらいいと思っている。
 ノーリアクション(無反応)時代に蔓延しているこの空気に身を任せることは、手遅れかもしれないが、そろそろやめにしないといけない。「教会は国家に目をそそぎ、このために祈り、神のみむねに反しないかぎりこれに従う」(連盟信仰宣言より)。


平良 師

2004年6月27日 問われる献身者の指導性

2006年12月27日 17時58分52秒 | Weblog
  問われる献身者の指導性

 神学校週間が今日から始まる。牧師になるべく神学校に入学した方々の献身の思いで共通していることは、誰もが自分に牧師としての資質や適性を信じてやってきたのではないということだ。むしろ、自分のような者がというのが、正直なところである。
 牧師として立つようにとの神様の内なる声を聞いたのである。それで、ある者は、神様から静かに背中を押され、ある者は、蹴飛ばされて、神学校にやってきた。これが献身の原点である。
 しかし、牧師になって実際の現場に立つと、その指導性は自ずと問われるのである。そして昨今、この牧師の指導性に期待する声は決して小さくはないように思う。もちろん、牧師の指導性はあらゆる場面で柔軟に発揮されなければならない。ヴィジョンの提示やその共有、礼拝、会議、牧会など、様々な場面において。
 しかし、それは何も、牧師がいつも先頭に立たなければならないということではないし、表に出るということでもない。教会の課題を的確に見極め、さらに教勢の拡充も含め、バプテストの教会がしっかりと形成されていくように努力することである。
 バプテストの教会は、万人祭司、民主的教会運営に根ざしたものであるから、そこで問われる指導性は、牧師のいわゆるカリスマチックな色合いやワンマン的な要素とは少し距離を置くことになる。自戒の意を含めて述べるが、牧師の重々気をつけなければならないところである。


平良師

2004年6月20日 ほたる

2006年12月26日 23時55分44秒 | Weblog
      ほ た る

 H姉の近くの川に蛍がたくさん出ていると聞いた。それもあの野坂昭如の「火垂るの墓」に出てくるくらいたくさんの蛍だという。「火垂るの墓」は、敗戦前の疎開地で、両親に死なれ、親戚からもやっかい払いにされた幼い兄妹が、力を合わせて生活する様を描いている。そして、ついには、兄妹は疫病と飢えで死んでいくという悲しい物語である。
 駅の片隅ですでに屍となっている兄は手に小さなカンを握っている。それは妹の遺骨である。通行人の壮年が男の子の大事そうに握っているカンを見つけた。そして、中を覗き込み、たいしたものではないとわかり、投げ捨てた。そのとき、そのカンからおびただしいほたるが飛び出してきた。映画では、その時、その蛍たちと一緒ににこにこ笑っている兄妹の姿があった。
 「火垂るの墓」に出てくるくらいと聞いて早速、その夜行ってみた。その日はばたばたして、夜の10時くらいになっていた。内野の辺りまできて、久野姉に電話をしたら、蛍は、夜の8時くらいに乱舞して、後はお休みになるという。
 一晩中飛んでいるのかと思い込んでいた。せっかく来たのだし、その場所くらいはおぼえておこうと行ってみた。そこは丁度、石釜豆腐店の近くだった。
 ちらっと、灯りが見えて、あれかと思って近寄ってみると、それは若い男女の懐中電灯の灯りが、草木の間からこぼれて見えていたのだった。やはりだめかと思い、何げなく見上げた夜空は、こちらに来て初めての満天の星だった。


平良 師

2004年6月13日 聖書の行間もね

2006年12月25日 23時53分55秒 | Weblog
     聖書の行間もね

 土曜日の夜11:10からNHKで「冬のソナタ」というドラマがある。これが、中高年層に結構受けているらしい。当教会にも密かに楽しみにしているファンがいる。ファンのK兄は言う。
 このドラマのどこにこれだけのブームになる魅力があるかというと、とても、清純な感じのする恋愛物語であること、遠い昔に味わった自分の淡い恋物語を世のお父さん、お母さんは思い出すのだ。女性は、とてもやさしいがきりっとした気高さをもっている。
 男性は、相手を思いやり、忍耐強さを漂わせている。全体として、抑制された雰囲気がある。季節は冬、ピーンとはった冷たい澄んだ空気、純白の包み込むような雪が舞う。
 ストーリーは、高校生時代に交通事故で失った恋人Aと瓜二つの男Bに、10数年後に主人公の女が会う。女は、そのとき男Cと婚約していたが、このBの出現に心揺れる。Cは、高校生時代からこの女が好きだったが女はAを愛していたのである。10数年後、ようやくCはこの女と結婚のはこびとなり幸せなときを過ごしていた。しかし、Bの出現によって、またもや彼女を奪われることとなる。
 この後のドラマの展開については、概ね想像できるとK兄は言う。彼の読みでは、この女性はBともCとも結ばれない。小説の終り方としては破局というやつである。
 K兄よ、そうかもしれないが、聖書の行間もそれくらい必死に読んだらどうだろう。聖書は、神様からのラブレターだと言われているのだし。


平良 師

2004年6月6日 ヨーヨーマ(スイス便り・その二)

2006年12月24日 22時59分13秒 | Weblog
 ヨーヨーマ(スイス便り・その二)

 スイスでは一流の音楽が適度の値段のチケットで簡単に聴けるので、ここにいる間になるべく多くのコンサートにいきたいと思っている。先日は日本でも有名な中国人チェリストのヨーヨーマと、オランダ人オルガニスト兼指揮者のトーン・コープマン率いるアムステルダム・バロック・オーケストラの共演を聴くことができた。
 前半部の終わりですごい盛り上がりがあり、ヨーヨーマに対する大きな拍手が鳴り止まなかった。しかし、後半部の一曲目の彼の演奏は、むしろ静かな曲で、拍手も控え目であった。最後のオーケストラによる一曲を残して、これでヨーヨーマとはお別れなのか、何という下手な盛り上げ方のプログラム構成なのだろう、と訝しく思わずにはおれなかった。
 ところが、私は最初それに気づかなかったのだが、何と最後の曲では、そのヨーヨーマがチェロの最後列でオーケストラの一員として参加しているではないか。さっきまで見事なソロを聴かせてくれた彼のチェロの音は、オーケストラ全体の音の中にひとつとなって溶け込んでいた。
 オーケストラのメンバーとの間に深い信頼関係が成立していることを示す暖かい雰囲気が、そこには醸し出されていた。そして最後にもちろん指揮者はヨーヨーマを前列に立たせたのだが、そこではオーケストラとの共演においては異例とも思える三曲ものアンコール曲が演奏される、というクライマックスが用意されていた。
 その演出の妙に感嘆すると同時に、微笑みを湛えるようにして堂々とソロを演奏することも、オーケストラの一員として「ひとつの体の一部として」( I コリント12章)特別目立つこともなく演奏することも知っているヨーヨーマの人間性に、心から感動した演奏会だった。


青野 師

2004年5月30日 シィート先生のこと

2006年12月23日 23時57分20秒 | Weblog
   シィート先生のこと

 私がシィート先生にはじめてお会いしたのは、23歳のときだったから、今から26年も前だ。新人教員の研修会でお会いして、えらく日本語の達者な方だと思った。また、髭の恰好いいアメリカ人だと思った。
 それから、次の出会いは神学部の先生として、現代神学を教えていただいたときだ。先生は、対話とバランスを重んじられ、どちらか一方の思想や主張が正しく、さらに絶対的であるなどということについては否定的な立場をとられた。
 おそらく、あえていつも、対話が誰とでもできるように、だれをも受け入れられるようにと、懐を広げておられるのだと理解した。だから先生には、平和とは何かということについて、その後姿によって多くを教えていただいたように思う。その先生が、平尾教会で何年もの間、宣教師としてのお働きをされた間のことについて、残念ながら私はほとんど何も知らない。
 しかし、先生ご夫妻のことを語るときの教会員の笑顔には、並々ならぬ親愛の情が浮かんでいる。よほど、深い牧会と交流をご夫妻からいただいたに違いない。
 宣教師の先生方は、ほんとうに日本を愛してくださった方が多い。シィート先生ご夫妻もそうで、お連れ合いのジュン夫人も、神学生の婦人たちに子育てについて教えてくださっていた。
 米国に帰国されたら、日本のいろいろな状況についての報告などで、しばらくはまたお忙しいことだろう。あちらでのお働きとご活躍を覚え、お祈りさせていただきたい。


平良 師

2004年5月23日 何もかも委ねるしかない

2006年12月22日 20時28分41秒 | Weblog
  何もかも委ねるしかない

 今、意識できるような不安なことは何一つないにもかかわらず、本当は不安に思っている何かがあるのだろうかと考えないわけにはいかない夢を見ることがある。それも何度も。
 また、あるとき、誰かから、自分の足りないところをそれも日頃自分としてもかなり意識していることを指摘されたようなとき、これもまた不安になる。しかし、もっと不安になるのは、やれていると自信をもっていたことに対して、足りないと指摘されたときは、その不安は計り知れないものがある。
 また、健康面でも、ある年齢になれば誰しもが、あちらこちら痛んできて自然なのだけれど、それでも、実際、その体の崩れが起こると、とても不安になる。目がかすみ、腕の付け根が痛み、ときに、肋骨の下のあたりや背中のあたりが痛むと、たぶん老眼で五十肩で太り過ぎで神経痛でと思ってみるが、ひょっとして何かの病かもしれないと不安になることがある。
 その他にも、不安になる材料は私たちの日常には山ほどある。自分が崩される不安。自分の命も、財産も、家族をはじめとする人間関係も、そうすべてのものが神様が与えてくださっている恵みで、自分がつくり、自分が所有してきたものなど何一つないはずなのに、いつの間にか、自分の力、自分のものと思い込んでいる。
 しかし、それらのものは、神様が与えたものだから、神様がもっていかれるときが当然あるし、必ずくる。すべてを神様に委ねるしかないというのはわかっている。


平良 師