(スイス便り3)フェーリエン
最高気温が16度などという日々があるというのに、七月になると小学校も含めてスイスの学校は一斉に夏休みに入る。そしてこの時期になると、多くの家庭がどこかに二、三週間の「休暇」に出掛ける。
「休暇」のことをドイツ語で「フェーリエン」、フランス語で「ヴァカンス」と言うが、日本にはどうもこの「休暇」という単語はないように思う、と彼らに話すと、では一体何のために生きているのか、という顔をされる。
それほどにこのフェーリエンは彼らにとって大切なものなのだ。そして社会全体が、この長期休暇を前提にした上で組織・運営されている。私たちが出席しているタルヴィル・バプテスト教会の牧師も、「来週と次の週はフェーリエンですので、別の説教者となります」と言っていたし、信徒のほうでも六月頃から休暇中の人たちが多く、礼拝出席者はいつもよりずっと少ない。
最近西南学院でも特別講義をしてくださったスイス・ベルン大学教授のウールリッヒ・ルツ先生(マタイ福音書のEKK註解書の著者)は、休暇になると神学関係の本は一切持たずにスイス南部のテシーン州に出掛けて20日間ぐらい過ごす、と言われたことがある。
そんなことはとても私には真似できないし、その意味でも今の私は決して「休暇」中なわけではない。それはともかく、このような濃淡のある生活のリズムは、私たち日本人にもやはり必要なのではないかと思われる。
つい最近、現在はウィーン・バプテスト教会牧師で、1982年には福岡に三ヶ月滞在して平尾教会でも説教をしてくださったことがあるヴィーザー夫妻を訪ねる機会があった。もちろん彼らも今はその休暇中なのだが、彼らが、有名な指揮者カール・ベームが日本人のウィーナー・ワルツ観に対して次のように言ったことがある、という話をしてくれた。
「ワルツのリズムは、決して一、二、三、ではなくて、一、そして二、そしてたぶん三、という感じのものだ」。息の詰まるような「一、二、三」から解放されて、もう少し余裕をもったリズムの生活をしたい、とつくづく思うこの頃である。
青野 師
最高気温が16度などという日々があるというのに、七月になると小学校も含めてスイスの学校は一斉に夏休みに入る。そしてこの時期になると、多くの家庭がどこかに二、三週間の「休暇」に出掛ける。
「休暇」のことをドイツ語で「フェーリエン」、フランス語で「ヴァカンス」と言うが、日本にはどうもこの「休暇」という単語はないように思う、と彼らに話すと、では一体何のために生きているのか、という顔をされる。
それほどにこのフェーリエンは彼らにとって大切なものなのだ。そして社会全体が、この長期休暇を前提にした上で組織・運営されている。私たちが出席しているタルヴィル・バプテスト教会の牧師も、「来週と次の週はフェーリエンですので、別の説教者となります」と言っていたし、信徒のほうでも六月頃から休暇中の人たちが多く、礼拝出席者はいつもよりずっと少ない。
最近西南学院でも特別講義をしてくださったスイス・ベルン大学教授のウールリッヒ・ルツ先生(マタイ福音書のEKK註解書の著者)は、休暇になると神学関係の本は一切持たずにスイス南部のテシーン州に出掛けて20日間ぐらい過ごす、と言われたことがある。
そんなことはとても私には真似できないし、その意味でも今の私は決して「休暇」中なわけではない。それはともかく、このような濃淡のある生活のリズムは、私たち日本人にもやはり必要なのではないかと思われる。
つい最近、現在はウィーン・バプテスト教会牧師で、1982年には福岡に三ヶ月滞在して平尾教会でも説教をしてくださったことがあるヴィーザー夫妻を訪ねる機会があった。もちろん彼らも今はその休暇中なのだが、彼らが、有名な指揮者カール・ベームが日本人のウィーナー・ワルツ観に対して次のように言ったことがある、という話をしてくれた。
「ワルツのリズムは、決して一、二、三、ではなくて、一、そして二、そしてたぶん三、という感じのものだ」。息の詰まるような「一、二、三」から解放されて、もう少し余裕をもったリズムの生活をしたい、とつくづく思うこの頃である。
青野 師