平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2011年5月22日 イメージ一転

2011年05月21日 20時44分18秒 | Weblog
     イメージ一転

 原発は、クリーンエネルギーとされていた。それが、今回の事故で、一歩間違えば、手のつけられないとんでもないゴミを撒き散らすものであることがわかった。ゴミ屋敷なるものもトラック一台で片付くが、このゴミは、目に見えず、健康を害するのでやっかいだ。クリーンどころか、恐ろしいゴミとなった。最初からとんでもないゴミであると主張していた方々もいたが、推進側は、いやいやなかなかのクリーンだと言ってきたのである。
 イメージというのは、恐ろしい。風評被害という言葉があるとおり、実際は、そうでもないのに、うわさがうわさをよんで、害がないものでさえ、敬遠されるようになる。とにかく、福島原発については、早く収束に向かってくれと、日本全体あちこちで悲鳴があがっている。
 ところで、今回のことを自分たちの日常のことに置き換えて考えてみるとき、身辺はいつもきれいにしておかねばならないと教えられる。クリーンなイメージは大切だ。しかし、一旦これがくずれてしまうと、それまできれいとばかり思っていただけに、その反動は大きい。
 教会という所も世間では、クリーンなイメージを与えているだろう。しかし、その教会が不正なことをすれば、この世の非難は一般よりも厳しいものがあるだろう。そういった意味では、教会は、初代教会のように社会から信用や好感を持たれることが大事だ。そして、教会やキリスト者が、クリーンであるか否かは、神様が問うのである。


平良師

2011年5月15日 うみんぐ大島釣堀体験記

2011年05月17日 16時34分50秒 | Weblog
    うみんぐ大島釣堀体験記

 宗像市大島の「うみんぐ大島」は、海洋体験施設として、4月29日にオープンした。この施設では、シーカヤック、磯観察、防波堤釣り、海洋釣堀などができる。その海洋釣堀に、先日でかけた。
 ここは、予約が必要である。ということは、その予約の人数に従って放流するということであろうから、あちらは損をしないということになる。釣る方は、皆が平等に釣るはずもないので、自然とよく釣る者とそうでない者が生じる。この釣堀では、どの魚種も、最初の料金のみで、釣っただけ持ち帰れる。他の釣堀は、鯛だけは持ち帰りは1匹のみ、といった具合である。最初の料金も他の釣堀並。何という大判振る舞いであることか。しかも、何も釣れない場合でも、1匹はおみやげにくれる。
 K牧師と二人で釣行した。彼は、釣堀は初めてであったが、鯛5匹、ヤズ1匹、イサキ2匹と笑いが止まらないほどの釣果であった。それ以上だった私は、これまた、ごめんなさい、といった気持ちになった。持ち帰った鯛は、方々に配った。そのうちに、あなたの家にも鯛が届くので、首を長くして待っていていただきたい。
 この釣堀も、魚が一箇所に止まらないようには作ったと思うが、それでもポイントなるものができる。私が大漁だったのは偶然にポイントに遭遇したからではなく、実は、この日はよく釣堀内の魚の動きを観察し、予測が的中したのだった。人の動きや心も読めたらいいが、そうはいかない。神様のお働きがある。


平良師

2011年5月8日 家 族

2011年05月08日 12時15分32秒 | Weblog
      家 族

 本日は家族の日礼拝である。平尾教会では、互に家族をおぼえ合う日、また、教会の神の家族をおぼえ合い、感謝する日として守っている。当初は、母親が既に天に召されたりして、おられない方々への配慮もあったと聞く。
 今度の東日本大震災では、多くの方々が、家族をなくされた。また、一万人以上が行方不明という。特に、福島原発付近の人々は、捜索もままならない状態だから、とてもやるせないお気持ちだろう。このような災害が発生すると、家族との関係で悩んでいる人々もいるが、それでもまだ、家族がいてすったもんだの方が、どれだけ幸せなことだろうかと思わされるのである。
 今朝は、地域の漁村の人々が、今度の災害でバラバラになってしまうことを懸念して、行政をあてにせず、何とか自分たちで共同体の復興を成し遂げようとしている姿が報道されていた。そして、そのことを成し遂げるために多くのボランティア団体が、応援に駆けつけていた。その方々が、本当に欲していることをしてさしあげる。そのことが一番の手伝いになるだろう。
 この連休、多くの方々が、ボランティアとして、被災地に行ったそうだ。現地の方々から、ありがたい、助かったと、さぞ喜ばれたことだろう。互いに助け合って生きていく、その最小の単位が、神様がお与えになった夫婦であり、家族だ。今、日本全体で家族を体験している。


平良師

2011年5月1日 今、この時に

2011年05月03日 19時00分15秒 | Weblog
     今、この時に

「わたしの生きる力は絶えた。ただ主を待ち望もう。」(哀歌3:18)
 今朝の毎日新聞(4月28日)に、3月11日以降、東日本大震災で亡くなった人たちの数が、約2万6千人であることを報じている。夥しい死者である。さらに、破壊された原発基地と放射能の拡散被害の復旧と、自然界の改善などの作業は、労力、予算、年月と、厖大なものを必要とすることは言うまでもない。それに当該地方の居住者の生活、教育、医療の整備等を考えると、莫大な補償が必要となる。
 現在の日本の政治や経済の状態は、不安定であり、いら立つ気持ちを持っている人は、私だけではあるまい。信仰をもった人間は、主は計画したことを実現し、約束したことを果たされるかた。主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。主の救いを黙して待てば、必ず、幸いを得る。神様、御もとに立ち帰らせて下さい。神は罰する神ではなく、赦す神であり、救ってくださることを信じて、歩みましょう。


松村師