けれども金メダルは ・・
アスリートには失礼なお話だが、昔から言われるように、何も考えたくなければスポーツ観戦をすることだ。実際、観る側のことで言えば、自分もその競技に参加しているような気分になって興奮したり、はらはらどきどきして楽しい。そして、競技において数々のドラマが生まれ、勇気や励ましをもらうことも少なくない。
また、最近は、これまでのその選手の努力が描かれて、その努力が報われたとか、そうでないとか、感動させられることが多い。そのようなときに、観戦している者で現在自分が抱えている問題のあれこれを考えている人はいない。しばし競技に夢中になって忘れている。
だから、政治を行う者たちにとってもスポーツ振興は欠かせない。国民に、政治の破れをあれこれ見て欲しくなければ、オリンピック招致をして、愛国心を養ったり各々の生活苦などを忘れさせることだ、と誰かが言っていたっけ。う~ん、そうかもしれない。それでも、スポーツをする人も観戦する人も、スポーツは私たちの生活の中に大きな位置を占めていることは事実だ。先ほども述べたように、一日の疲れを癒し、人生を少し楽しみたいときスポーツの果たす役割は小さくはない。
そして、スポーツをする者も単なる体力作りだけでなく、礼儀とか仲間作りとか忍耐力とか協調性など、人間形成にも有益である。しかし、キリスト教的な観点から言えば、うしろから一位の人こそ金メダルはふさわしいということになる。
平良 師