平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2018年12月23日 クリスマスが来るということ

2018年12月24日 20時15分13秒 | Weblog
クリスマスが来るということ

 我が家のこどもたちにまだサンタが、プレゼントを持って来てた頃、サンタは、いろいろな手紙を寄越したものだった。あるときは、「今日は、ひどい雪でそちらに行くことができませんでした。明日には必ず行きますから、楽しみに待っていてください」。
 わが家は、クリスマス行事で忙しく、イブの終わる頃、ああ、そうだった、プレセントを買うのを忘れていた、となるのだった。また、あらかじめこどもたちからのプレゼントのリクエストを聞いていたのだが、これに対しても、「サンタさんは、こどもたちが目を悪くしたり、体によくないと思われるものを持ってくることはできないのですよ。ごめんね」。ゲーム機をお願いしたら、そんな断りの手紙も来たりした。
 あるときは、サンタは、屋根裏部屋にこっそりとプレゼントをおいてあった。こどもたちが家中を血眼になって捜しても何もそれらしきものが出てこないので、焦っているのを見て、私が「そう言えば、昨日の夜、天井の方からごそごそ音がしていたなあ・・」なんて言って、子どもたちが、それっーとあわてて行くのだった。
 サンタは、我が家に拾数回来たがいつの頃からか、来なくなった。100回クリスマスが来たら、サンタも100回来るだろう。同じ家にはどうかしらないが、どこかの家には行くことだろう。しかし、もし、イエス・キリストを心のうちに迎えることをしなければ、真実には、クリスマスは一度も来たことにならないのだと思う。


平良 師

2018年12月16日 お世話になった先生方が天に召されました!

2018年12月24日 20時07分12秒 | Weblog
お世話になった先生方が天に召されました!

 かつてお世話になった先生方が次々と天に召されました。親子までは行かないにしても、私にとっては信仰の大先輩でした。7月は筑紫野二日市教会で牧師をされた、岡秀夫先生。そして9月はその二日市開拓にあたられた山中猛士先生です。当時私は佐賀への通勤電車で、山中猛士先生によくお目にかかりました。山中先生と話がはずんだのは、私が佐賀教会で復権させていただいた事、大学時代は奥さまの先代先生を存じていた事などで、当時二日市開拓が幸いし導かれるようにして、筑紫野二日市教会に転会しました。
 夏休みの教会キャンプは海の中道でした。子どもたちもたくさんいて、海水浴をして砂浜でスイカ割りをしたことが懐かしい思い出です。そのキャンプの思い出も冷めないうちに、当時小6の長男が岡先生によりバプテスマを受けたのでした。岡先生の葬儀では、鍋倉先生、蓮池先生と再会出来たのは喜びでした。さらに山中先生の前夜式で先代先生がタクトを振られたハレルヤコーラスは、天国への凱旋だと痛く感激しました。
 さらに12月はアドベントに入り、早良教会の今村幸文先生が天に召されました。今村先生と初めてお目にかかったのは、20年ほど前の無牧の福山教会です。福山には福井時代の兄弟がいて、鉄板の焼きそばで歓迎会をしました。それから後の金沢教会の記念会では、私のことを覚えておられ声をかけていただきました。そして名古屋の平針教会では婿の斎藤信一郎牧師と一緒に、私たち家族も教会生活を共にしたのでした。
 先日の加山牧師の按手式で渾身の祈祷をされました。その後で私は先生と固い握手をしたのですが、先生の手は大きく強く、その熱が冷めないままです。鹿児島出身の骨太の暖かい先生でした。献花の後、まさゑ先生から 「今村は諸岡さんのことをずっと祈っていましたよ」 と言われ、思わず感涙にむせびました。「我、何を持ちてこれに応えん!」の心境です。幸いに1月に母校の西南高校で講話の奉仕があります。若い後輩たちに主のみ言葉を伝えていかねばと強い使命を感じております。


諸岡 師

2018年12月9日 養殖・自然エネルギー・平和

2018年12月24日 20時01分40秒 | Weblog
養殖・自然エネルギー・平和

 人間が食べる物は、今や、ほとんど天然産はなくなりつつある。唯一、魚は、海で自然に育ったものがほとんどだったが、現在は、どれくらいの割合になっているだろう。いろいろな種類の魚が養殖される時代となった。稚魚を捕獲して成魚にする養殖はもちろんだが、卵から孵化させて育てる魚も多い。釣堀の魚の鯛やしまあじは養殖もので、ヤズもほとんどそうだが、天然ものは豊漁だったりするときだけである。
 米、小麦、野菜、くだもの、鶏、豚、牛、魚、もうすべてが人の手によって生み出される時代となった。これらに遺伝子組み換えのものも造られる時代となった。だが、人体にどのような影響を与えるかは懸念される。魚も、味は天然のものよりもおいしいものがいくらでもある。松茸も、本物の松茸に近いバカ松茸というあまり名前がよろしくない松茸もどきがあり、これならば栽培ができ、味もほとんど本物の松茸に近いので、将来かなりの需要が見込まれている。
 味がよく、安全が保障されるなら、より確実な生産性の高い養殖が便利であろう。何よりも、魚などは活かしたまま運搬する技術が発達しているので、養殖が重宝がられている。あとはコストの問題だけである。化石燃料が枯渇すれば自然エネルギーを考えつく。
 神様の創造された人間は悪いこともするが、生き延びる知恵もなかなかでしぶとい。だから、戦争をしないで平和に暮らせる世界を創造しようと思えば、できないはずはないのである。


平良 師

2018年12月2日 感謝を込めて、笑顔で

2018年12月24日 19時51分54秒 | Weblog
感謝を込めて、笑顔で

 娘の結婚式では教会の皆様に多大なお世話になった。色々な人が、いろいろなところで働いてくださったことを知り、ほんとうに感謝に堪えない。いかにして、この恩に報いるべきかと思う。鯛を釣って配りまわるといった安易なことをすぐに思いつくが、心を込めてと考えると、そうでない方法がよいであろう。
 行き着くところは、愛である。牧師として、皆さんを精いっぱい愛するということである。しかし、これとても、生来の性格もあってか、伝わらないどころか変に反発をかったりしてうまく届かないこともある。先日のS教会の牧師就任式のときに、励ましの言葉を述べる機会をいただいた。そのとき、私はこんなことを言った。「K牧師は、いつも笑顔でいるのがいいと思う、親切で優しいところがさらにいい」。
 励ましの言葉としては軽い、と言われそうだが、牧師のイメージとしては、まずはこれだろう。ご存じのように、私は心に一つ思うことがあるとき、それは顔に出ているらしい。それも、心以上の顔つきになっているらしい。私は、そういった意味で表情に自信がない。
 ましてやいつも笑顔なんて、とてもできない。お笑い番組を見ているときは、実に自然に笑っているというのだが、「ハイ笑って!」なんて言われると顔がこわばる。「人は40になったら顔に責任を持て」と言った米大統領。他人は私の顔を見るだけで幸せにもなり、不快になることもあろう。教会には、感謝を込めて笑顔で皆を迎え入れたい。


平良 師

2018年11月25日 嫌老社会で生きる

2018年12月24日 19時47分37秒 | Weblog
嫌老社会で生きる

 ある作家は、日本は嫌老社会ではないかと言っているという。他者が高齢者をどう見るかもだが、高齢者自らが、自分をどう捉えているかがまずは重要である。教会でも、老人とか老齢者といった言葉はほとんど使わない。それは、この言葉の持っている響きに嫌悪感をもよおすからではないか。
 私は、40歳を越えた頃、「そこのオジサン、ここは自分の場所だからよそで釣ってください」と言われたとき、このオジサンという響きにショックを覚えたことを思い出す。初めて言われた言葉だった。それから、孫が生まれて、ジージとか言われたときには、少しだけ、あーあといった思いがした。
 そのうち、「そこのおじいさん、ここにお座りください」と席を譲られるかもしれない。あと1年と1ヶ月で65歳である。当教会では75歳からが敬老の日の対象者となるのだが、年齢をもっと引き上げて欲しいという声もある。年よりになることは、第二、第三の人生の始まりであって、新たなる挑戦やロマンが待っていると考えることもできる。他者に仕える力があるなら、それもまた生き甲斐になろう。
 しかし、今の時代は、雀の涙程度の年金ゆえに、そんなゆとりのある人生なんかおくれない、そういう気持ちもないことはない。それでも、何だか好きなことが一日中できそうで、楽しみである。神様が与えられたいのちの仕組みがあり、老人になることもまたそれでなければいただけない恵みもあるから、感謝して受け入れよう。


平良 師

2018年11月18日 有明教会 礼拝奉仕

2018年12月24日 19時44分39秒 | Weblog
有明教会 礼拝奉仕

 6月に大牟田の有明教会で説教奉仕を行いました。教会の場所をインターネットで検索したのですが、沖縄出身のテナー歌手新垣勉さんのコンサートのお知らせをアピールをされていました。この時、私もアクロス福岡での新垣勉さんのコンサートに行ったので実に奇遇でした。有明教会に行って、恵みをたくさんいただきました。
◎恵みその1:新垣勉さんのコンサートは近隣の教会の協力を得て、近くの集会場を借り何と300名の集客があったそうです。この教会が地域に伝道しようする篤い姿勢を感じました。
◎恵みその2:当日は妻と荒尾までJRで行きました。田中先生の奥さまが車で迎えに来られ、向かった先は老人ホームです。何とその方は98歳になられる元牧師の奥さまで、私のご学友のお母様でした。お姿を拝見しましたが実にお元気そうでした。
◎恵みその3:この教会には古いオルガンがあり、神学部で教会音楽担当の福田のぞみ先生が、業者とオルガンのメンテナンスに行かれたばかりでした。このオルガンに “のぞみ” があったのです。田中夫人がこのオルガンで奏楽をされ、私はリコーダーのアメイジンググレースで応答しました。
◎恵みその4:私の説教箇所は第2コリントのパウロのとげの箇所です。パウロ同様、自分も持病で通院している旨証しをしました。お昼の愛餐会はダイエットの糖質制限食で、おからのサラダに豆腐の料理におにぎりです。田中夫人もこれでお腹がへっこんだ、体が軽くなったとアピールされました。手が込んでいて美味しかったです。
◎恵みその5:司会者は西南大法学部の先輩で、政治学の河島幸夫先生のゼミ生でした。私も河島読書会でご一緒していたのです。神学校で学びをしたいというお気持ちでした。九州バプテスト神学校には通信があって、YouTubeで大変便利なことをお伝えしました。


諸岡 師

2018年11月11日 面従腹背

2018年12月24日 19時41分53秒 | Weblog
面従腹背

 元米国陸軍大佐のアン・ライト氏は、「地位協定による『特権意識』こそが、沖縄での相次ぐ事件の背景だ」として、次のように語っている。「地位協定によって、一般的には、米軍関係者が基地受け入れ国の日本から訴追されることはありません。
 実際、若い米軍関係者たちは、『日本で裁判にかけられることはない』『軍事法廷に立たされるかもしれないが、しかし刑は軽いだろう』と考えがちです。ですから日本政府は、地位協定について再交渉する(renegotiate)べきです。クレージーですよ(It is crazy!)。『政治的な意志』(political will)が鍵なのです。国民のそれが政治を動かし、人々の願いを実現させるのですから」(2016年6月20日の「報道ステーション」において)。
 アンという名前からしてこの方は女性であるが、陸軍大佐を退任後は、9つの国の米国大使館に上級外交官として勤務した。しかし2003年のブッシュ政権によるイラク戦争に抗議して、彼女はその公職を自ら辞職した。その後平和運動に転じた彼女は、その過程で日本の平和憲法の存在を知り、武力による紛争解決は決してしないという憲法9条のすばらしさに感動し、その護持と推進のためにも、現在積極的に行動している。
 もしも上で引用したような沖縄の地位協定に関する発言を、彼女が陸軍大佐のときにしていたら、それは確実により大きな衝撃を与えたにちがいないが、しかしそんなことをしていたら、彼女は確実に、辞職ではなくて解任に追い込まれたことであろう。ところで、前文科省事務次官の前川喜平氏は、現政権に仕えた身でありながら、辞職後に、「文科省に実際にあった<総理のご意向>文書をなかったことにするわけにはいかない」と言いつつ、厳しい政権批判を展開するに至っている。そして現職だったころの官僚としての自分の立ち方を、「面従腹背」であったと前川氏が総括したことは、広く知られている。
 首相は、「何で現職のときに直接私に言わなかったのか」などと嘯(うそぶ)いていたが、そんな批判を現職官僚がしたりしたら間違いなく即座にクビにしてしまったであろう首相のその言葉は、「丁寧な上にも丁寧に説明する」という「ご丁寧な」言葉と同様に、何の重みもないものである。翻って、私たちの信仰者としてのあり様はどうだろうか。職を賭してでも「真実」を語らなくてはならないという状況に直面したとき、そうする勇気が果たして私たちにあるだろうか。「面従腹背」と言った前川氏を「官僚のクズだ」とエラそうに切り捨てた元官僚の慶応大教授がいたが、政権べったりだった者にそんな批判をする資格などまったくないことは明らかであろう。
 私も定年退職時まで大学で過ごしたので、そこには比較的自由にものが言える環境があることを知ってはいるが、しかし官公庁のみならず、不正続出の企業や会社に、そんな自由がまったくないのは、残念ながら事実である。だから前川氏をグズだ(クズではなくて)と非難する気にもまったくならない。むしろ「面従腹背」は、実にユーモアとアイロニーに富んだ軽やかな抵抗の姿勢であり、現職時代から今日に至るまで夜間中学の問題などに真摯に取り組んできた前川氏の佇(たたず)まいにふさわしいものだと思う。結局、退職前であれ後であれ、その人が「真実」を語り出し、そしてそれを実際に生きることになるか否かが、最終的には問われているのだ、と自戒している。


青野 師

2018年11月4日 連盟総会に向けて

2018年12月24日 19時38分36秒 | Weblog
連盟総会に向けて
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 日本バプテスト連盟は、バプテスト同盟、バプテスト連合、聖書バプテストなどの諸バプテスト派のなかでも、リベラルな派である。もともと、米国南部バプテスト連盟の宣教師たちの働きによって、日本のバプテスト連盟の諸教会の基は形成されたのであるから、福音派色の濃い教派だったのであるが、リベラルな宣教師たちもかなりいたことや戦後、靖国問題、公害問題、福祉問題など、社会的な諸問題にも積極的な取り組みと運動を展開してきたことなども影響してか、現在のような色合いとなったと考えている。
 ところで、ここ20年近く、日本のキリスト教の教勢は、衰え続けているが、日本バプテスト連盟も例外ではない。日本においては、宗教全般に言える現象かもしれない。こうした宗教離れの現象は、たとえば、葬儀一つとっても言えることで、現在は、家族葬や直葬でひっそりとあるいは簡単に葬儀をすます人々が増えている。連盟もこうしたなか、財政の立て直し、事業体の運営、事務所体制などに関し、いくつもの大きな改革が迫られている。
 使える資金も枯渇してきた。今回の連盟総会は、そういった意味では、理事長の選出をはじめ、常務理事、地区理事、全国理事の選挙など、重要な議案がいくつかあるが、従来と異なり、いろいろな方面で行き詰まりの感が大きく、ある意味では、大きな曲がり角を迎えているとも言える。己の教会もさることながら、連盟のヴィジョンのためにも祈ろう。


平良 師