クリスマスが来るということ
我が家のこどもたちにまだサンタが、プレゼントを持って来てた頃、サンタは、いろいろな手紙を寄越したものだった。あるときは、「今日は、ひどい雪でそちらに行くことができませんでした。明日には必ず行きますから、楽しみに待っていてください」。
わが家は、クリスマス行事で忙しく、イブの終わる頃、ああ、そうだった、プレセントを買うのを忘れていた、となるのだった。また、あらかじめこどもたちからのプレゼントのリクエストを聞いていたのだが、これに対しても、「サンタさんは、こどもたちが目を悪くしたり、体によくないと思われるものを持ってくることはできないのですよ。ごめんね」。ゲーム機をお願いしたら、そんな断りの手紙も来たりした。
あるときは、サンタは、屋根裏部屋にこっそりとプレゼントをおいてあった。こどもたちが家中を血眼になって捜しても何もそれらしきものが出てこないので、焦っているのを見て、私が「そう言えば、昨日の夜、天井の方からごそごそ音がしていたなあ・・」なんて言って、子どもたちが、それっーとあわてて行くのだった。
サンタは、我が家に拾数回来たがいつの頃からか、来なくなった。100回クリスマスが来たら、サンタも100回来るだろう。同じ家にはどうかしらないが、どこかの家には行くことだろう。しかし、もし、イエス・キリストを心のうちに迎えることをしなければ、真実には、クリスマスは一度も来たことにならないのだと思う。
平良 師