平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2015年11月15日 先入観

2015年12月27日 19時55分15秒 | Weblog
先入観

 月曜日の朝、9時30分頃に貸し布団屋さんが、回収にこられると聞いた。一階の母子室にあるのだろうと思っていた。というのも、土曜日に受け取ったときに、母子室に一旦置いたからだ。それも、運んできた業者さんは、車の所にいて、手伝っていた青年は私に布団を渡すだけだったので、ひょっとしたら今回もまた、借りる方が、自分たちで、車まで運んでいくことが条件になっているのではないかと思った。
 それもまた、先週の日曜日のキャンプの最終打ち合わせがあった日、こちらが運べば若干さらに安くなるということだ、といった話を小耳にはさんでいたものだから、そのような条件で借りたのではないかと思ってしまったのであった。そうして、ない貸布団を探してみると、何と、二階の一番奥の部屋に置いてあるではないか。いったい誰が運ぶのか。私一人だ。
 最近、M牧師が腰を痛めて、長く患っている様を見て、気の毒だなあ、随分と無理をしていただいたのだろうなあ、などと思っていた。今度は私の番かな、いや、お金を出してでも、あちらに運んでもらおうと思って、キャンプの会計をしていたI姉に了解をいただいた。そうして、業者さんがやってきた。
 結局、あちらも何も言わないし、私も何も触れず、ただ、二階にある布団を二人でせっせと運んだ。終わったあと、業者さんは、お手伝いくださってありがとうございますと、私が昨日会計さんから預かっておいたお金を受け取って、帰って行った。


平良 師

2015年11月8日 若者と日本の未来

2015年12月27日 19時50分58秒 | Weblog
若者と日本の未来

 この平和の町に、「平和の街から憲法を語る会」を地域の皆さんと立ち上げてから、もう10年になろうとしている。専らの世話人会や行事もこの教会を使用していただいてできた。しかし、若者は一向に集まってこない。こちらの努力不足が大きかったのだが。同時に、今の時代の若者たちの政治離れはかなりのもので、これからの日本社会はどうなってしまうのだろうと思っていた。
 しかし、今年のいわゆる「戦争法案」への反対運動の中で、若者たちの果たした役割は随分と大きく、話題をよんだ。また、18歳から選挙権が与えられるというので、これもまたいったどういうことになるのだろうかと、実は懸念していたのである。政治に関心のない若者たちが、投票するとなるとどういうことになるか、思っただけでも恐ろしい気がしていた。
 しかし、これもまた、今の若者たちの中には、投票するということがどういうことなのか、今の社会状況についてもきっちりと自分たちで学んだり、若者たち自身がもっと年下の有権者たちに教えたいというグループが現れている。このような動きは、18歳以上に選挙権を引き上げようと考えた者たちの思惑の中にあっただろうか。
 私は今は、これからの日本の未来は、かなり明るくなってきたと思えるようになった。昨日は、ハロウィーンで渋谷の町を闊歩していた若者たちが、終了後、ゴミ拾いをして回っていた。来年も社会から受け入れられるようにと、先のことを考えてのことだ。


平良 師

2015年10月18日 胆石除去手術の顛末

2015年12月27日 19時41分26秒 | Weblog
胆石除去手術の顛末

 10月初頭の突然の入院騒ぎで、「聖書講座」もドタキャンしたりして、各方面に多大なご迷惑をお掛けしてしまったことを、まず心からお詫び申し上げます。「胆石がありますから、痛みが出たらすぐに病院に行ってくださいね。遅れるとめんどうなことになりますから」。20年ほど前から主治医にこう言われてきた。しかしそれらしい痛みはこれまで一度もなかったので、もうそれはないのだろうと思っていた。
 それに、先輩牧師のA先生から、出張中にバス停で突然激しい結石の痛みに襲われて七転八倒し、救急車でその町の病院に運ばれて手術を受けた、という話をお聞きしていたので、それは突如襲いかかってくる激痛なのだろう、との予断を持ってしまっていた。だから、合計5回に及んだ今回の発作に伴なう痛みが、結石による痛みであるとはまったく予想することができなかった。
 なぜなら、今回の痛みは突然の激痛ではなくて、むしろ最初はいつも、まず「みぞおち」の部分に違和感が生じ、それがゆっくりとこぶし大の固い岩石のような感じになり、次に重苦しい痛みを伴なってそれが腹部全体に広まり、最後には巨大な岩石を腹部に抱え込むような感じになっていく、そういう痛みだったからである。キリキリと痛む鋭い痛みでも、ズキンズキンと痛む疼痛でもなく、むしろズシリと重い痛みだった。
 最終的なその痛みが激痛であることに変わりはないが、辞書はその痛みを「疝痛」(せんつう)と記している。座っても立ってもおれず、横になってもおれず、ただただ脂汗を流しながら2~3時間じっとその痛みが止んでくれるのを待つ以外に方法がなかった。MRIの写真には、胆のうのなかの14個もの石が、まるで行儀よく整列するかのように並んで映っていて、驚愕しつつも苦笑を禁じ得なかったが、もう一つ別の石が胆管にまで出てきて、今回の悪さをしたのだそうだ。
 『福音と世界』の「新約釈義」の原稿を提出し終わった直後の痛みだったので、これぞまさに「神さまのお恵み」と最初は思ったのだが、しかし事実はそうではなかった。実は最初の発作が10日ほど前にあったにもかかわらず、3時間後にそれが静かに消えてくれたのをいいことに、事態をそのままに放置してしまったことが、今回の胆のう炎の状態悪化を惹き起こしていたのだ。そのために、胆石除去の手術に続けてすぐに胆のう全摘出の手術を行なうことができず、改めて10月末に再入院して手術を受けざるを得なくなった。
 ともかく、根拠のない「予断」を持ったために、これはもしかしたら胆石の痛みかもしれないと思いつくことすらまったくしなかった自らの不明を、深く恥じている。しかし、今回この激痛をとおして、世の中にはこうした痛みを、それも持続的に抱えて苦しんでいる人々が多くいる、という事実への想像力を持つことができたし、それは、この世界の「苦難」を問題にしている私の「十字架の神学」のさらなる展開のためにも、大きな意味を持つ経験だったのではないかと思う。


青野 師

2015年10月11日&25日&11月1日 ドジな夫婦の旅に伴われた神

2015年12月27日 19時28分46秒 | Weblog
ドジな夫婦の旅に伴われた神

 アイパットがないのに気付いたのは、釣堀の受付に着いてからだった。来る途中のサービスエリアのトイレに置き忘れたことを思い出した妻は、急いで車で引き返した。私は「一緒に行こう」とは言わなかった。なぜなら、この旅の最大の目玉は、日本一の海洋釣堀を体験することだったからである。妻もそれはわかってくれた。ちなみにこの日は、結婚記念日だった。嫌な予感の始まりである。
 妻は、途中、サービスエリアに連絡して係りの方にトイレを見てもらったところ、何とまだそのままになっていた。それで、帰りに取りに行くことを告げて、また釣り場に戻ってきてくれた。釣堀では、釣りに関心のない妻は、椅子に腰かけて英語の勉強をするか、携帯で電話をしていたが、ときどき思い出したように、私の釣り上げた魚をたもですくってくれた。
 釣りが終わって、アイパットを取りに戻った。それから、今晩の宿に行こうとカーナビをセットすると、到着予想時刻が午後7時50分ではないか。宿屋には午後6時半到着予定と前もって知らせておいたのだが、えらいことになった。1時間のロスが発生した上に、一般道の100キロの道のりの読みが甘かったのだ。
 しかし、妻が、万事を手配してくれた手前、私には何を言う権利もなく、噴火のように爆発しそうな気持をただぐっと抑えていたが、「だいたいトイレなんかに・・」の一言を言った途端・・あとは我々を知る読み手のご想像にお任せする。
 ご想像のとおり、激しいバトルとなった。今晩の夕食はバイキングで午後8時までという。間に合わない可能性もでてきた。しかし、何度も言うようにすべては妻のお任せプランだから責めることに限度がある。いい加減黙ることにして、何とかならないものかと考えたが、いくら何でも午後6時半に着くはずの道程をどうやって90分縮めることができるというのか。
 そんなことを考えているうちにそろそろ高速道路も終わり一般道になる頃となった。ところが、おやっ!高速道路が終わらない。何だか、新しい工事をして、高速道路が延びているようだ。いったいどこにつながっているのだろうか。それもわからないまま運転をし続けていた。ナビも道なきところを矢印だけは動いている。
 それが、ふと、本来ナビが示すはずの青色の道が表示されて、それと今まで道なきところを動いていたナビの矢印が一瞬重なったとき、到着予定時刻が30分ほど縮まったのである。この新しい高速道路は、我々が行こうとしている目的地に向かっているかもしれないが、三重の方に延びていたらどうなるのか。否、神様の計らいを信じよう。
 このままで行き進めば、ひょっとしたら残りの60分も縮まるかもしれない。高速道路はまだまだ延びていた。途中、ナビの矢印は道なき所を突き進んだ。そして、工事は続いているようだが、とりあえず一般道路につながった。そこは、ナビが本来示すはずの道路だった。ピタリ合計90分縮まっていた。
 良いことの後には、悪いことが起こり、悪いことの後には、また、良いことが。そんな繰り返しの中に、神様の御心が、ふっ、ふっと垣間見えるのであろうか。思わぬ導きで、うまく宿屋のバイキングに間に合ったのだが、その中身は「ヘボキチ君」だった。
 おまけに、妻は、食事の前にちゃちゃっとひとっ風呂浴びて来たのだが、どうも着替えを間違えられて、その間違えた方から「あなたは私の籠をあせって何をしているの!」と言われて、「間違っているのはあなたの方ですよ」と言ったそうだが、どうもわからない方のようで、自分が悪者にされたと、かんかんになって食堂に現れた。
 それから次の日は、朝から激しい雨で、日本中秋晴れのなか、なぜか、私たちのいる所だけが、この日は雨だったようである。それで、観光地に行くのは諦めて、関西空港に早々と行くことになった。ところが、空港に着いてから、妻が「あれっ、どこの航空会社だったっけ」と必死にアイパッドを操作しているのであるが、それらしい情報が出てこない。
 最近、アイパッドのメール情報は二ヶ月で消えるようにしていたらしい。それで、消えてなくなっていた。彼女の記憶の中にあったのは、16:30出発ということだけで、いろいろと探したが、その時刻の福岡行はなかった。それから、あちらこちらに聞きまくり、ようやく探し当てたが出発時刻ぎりぎりだった。ああ、これで早く空港に着くことになったのかと思った。神様、感謝!


平良 師

2015年10月4日 新・協力伝道の恵み ―LIFT Youth Missionの働きを通して-

2015年12月27日 18時52分12秒 | Weblog
新・協力伝道の恵み

―LIFT Youth Missionの働きを通して-

 LIFT Youth Missionとは西南学院に集う学生バプテストクリスチャンによる伝道集会の事である。先日大名クロスガーデンにおいて二回目のLIFTの集会が持たれたが、100名程の若者が集まり、讃美をし、聖書の御言葉を聞いた。この集会から教会に繋がった人、またはバプテスマ(受洗)を決心された方も数名おられる。
 わたしはLIFTの働きに直接関わっているわけではないが、彼らの働きを通して教えられることがいくつかあった。ひとつは準備の段階から核となるメンバーの祈りは固く、またメンバーは具体的に伝道をしたい友人などを誘うために名前を書き、セルグループで祈っているという事であった。事前にチラシ配りをし、当日には街角に数名のチームで数か所に立ち、当日もボランティアによって教会前に立つ人が備えられていた。
 礼拝プログラムは初めて教会を訪れる方用に整えられており、挨拶、讃美、クリスチャンの証し、特別讃美、聖書のメッセージ、讃美、アナウンスのひとつひとつが「あなたは神様から愛されている」と言ったテーマの元に構成されていた。それぞれのコアメンバーの教会紹介もなされ、日曜礼拝への流れを生み出す工夫もされていた。礼拝後は丁寧に準備されたテーブル、お菓子、お茶、でゆっくり交わりをしていた。
 伝道は教会の大切な姿勢のひとつであるが、それぞれの地にある教会の青年達の祈りが結集したこの伝道の時は大きな聖霊の力と導きを頂いて実りを大きくしている。しかし、その恵みは新生者が生まれるというだけでなく、既に信じた者が、更に信仰を深め、神様に対する信頼を深めることの出来る恵みの時であった。


森 師