網を降ろしてみないとわからない
私には、かねてより密かな願いがあった。それは、この福岡の地でうなぎを釣り上げることだった。幼い頃の思い出はうなぎ釣りに尽きる。そのときのノスタルジアが私の中にはある。しかし、うなぎは稚魚の乱獲で、少なくなっているだけに、天然のうなぎなど、もうそんじょそこらにはいないのでないか、と思われる昨今だ。
今年、どういうわけか、うなぎを釣ってみたいと思った。6月半ば、夜の9時頃から、とある川で釣り始めた。小さなはぜが一匹釣れただけで、それ以外はあたりらしいものは何もなかった。それから今週、昼間にどしゃぶりの雨が降った日、その夜一月ぶりくらいでまたでかけた。
雨交じりの中、釣り糸を垂れてみた。竿を二本並べて、あたりを待った。真下に投げ込んでいた竿にあたりがあり、急いで上げると蟹だ。やはりうなぎなどいるはずがない、そう思った。それから、しばらくして上げた竿に、何やらかかっている。小さなうなぎだ。念願のうなぎである。この川にうなぎが上ってきている。それが嬉しかった。
それから、さらに二匹、そのうちの一匹は、食べられるサイズだった。私の念願は、福岡に来て、30年目にようやく叶えられた。正直なところ、ノスタルジアの思いだけで釣り糸を垂れていたのであり、うなぎがほんとうに釣れるなど、2割ほどの期待感しかなかった。これとても網を降ろす作業があって体験できたのだった。伝道の業は、もっと多くを期待できる。
平良師
私には、かねてより密かな願いがあった。それは、この福岡の地でうなぎを釣り上げることだった。幼い頃の思い出はうなぎ釣りに尽きる。そのときのノスタルジアが私の中にはある。しかし、うなぎは稚魚の乱獲で、少なくなっているだけに、天然のうなぎなど、もうそんじょそこらにはいないのでないか、と思われる昨今だ。
今年、どういうわけか、うなぎを釣ってみたいと思った。6月半ば、夜の9時頃から、とある川で釣り始めた。小さなはぜが一匹釣れただけで、それ以外はあたりらしいものは何もなかった。それから今週、昼間にどしゃぶりの雨が降った日、その夜一月ぶりくらいでまたでかけた。
雨交じりの中、釣り糸を垂れてみた。竿を二本並べて、あたりを待った。真下に投げ込んでいた竿にあたりがあり、急いで上げると蟹だ。やはりうなぎなどいるはずがない、そう思った。それから、しばらくして上げた竿に、何やらかかっている。小さなうなぎだ。念願のうなぎである。この川にうなぎが上ってきている。それが嬉しかった。
それから、さらに二匹、そのうちの一匹は、食べられるサイズだった。私の念願は、福岡に来て、30年目にようやく叶えられた。正直なところ、ノスタルジアの思いだけで釣り糸を垂れていたのであり、うなぎがほんとうに釣れるなど、2割ほどの期待感しかなかった。これとても網を降ろす作業があって体験できたのだった。伝道の業は、もっと多くを期待できる。
平良師