平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2012年9月9日 ご高齢の方々になすことは

2012年09月30日 13時52分49秒 | Weblog
ご高齢の方々になすことは


 今日は敬老の日礼拝である。日本は、高齢化社会と言われるようになって久しい。しかし、ご高齢の方々が多い教会は、どっしりとして安定感がある。この方々の力がなければ、教会は、すぐに傾いてしまうことだろう。これらの方々の祈りによって、牧師の仕事も支えられている。「毎日、祈っていますよ」と聞くたびに、ありがたいと思う。
 一日でも長くこの世にあって、平尾教会のことを祈り続けて欲しい。大名での活動が始まるからなおさら、そう願いたい。平尾教会は、75歳以上の教会員が16人おられる。その他にも、教会の礼拝に来られている75歳以上の方々は、4~5名おられる。今日の礼拝と愛餐会に与ることが共にできて、教会員一同うれしいと思う。
 さて、当教会は、ご高齢の方々が安心して礼拝に出席していただけるようにと、昨年から送迎を始めた。申し訳ないことに、送る体制は、まだ、十分にはできていない。あと、車椅子や介護者なども必要であろう。また、何かが起こったときは、どのように処置をし、また、どこに連絡をするかなど、そういったことも備えておかねばなるまい。安心して礼拝に参加できるよう、万全を期することが求められる。
 当教会は、バリアフリーについては、よくできている。その点は、外部にもっとアピールしてもよい。平尾教会の建物も中にいる人々も、ご高齢の方々に優しいと言われるように、私たちは努力する。それは、将来の自分たちのためでもある。


平良師

2012年9月2日 夏の終わりは始まりの季節

2012年09月30日 13時42分11秒 | Weblog
夏の終わりは始まりの季節


 この夏は、暑い夏だった。まだ、終ってはいないかもしれないが。教会は、幾つかの行事があり、幾人かのお客があった。例年と違ったのは、それに、火曜の大名の建築会議があり、土曜のDCG委員会が夏も毎週行われたことだ。大童であったが、しかし、これからのことを思えば、大したことではない。
 例年、夏の終わりは、寂しく、物悲しい思いに包まれる。今年は、そのような暇もない。夏の終わりは、平尾バプテスト教会の新たなる始まりの季節となろう。胸躍る季節を迎えている。毎日、確実に建物は完成に近づき、私たちの思いが形に成っていくのを見るのはうれしい。そこで成される伝道の業は、毎日、新鮮で、大名の街もキリストの教会に求めているものを少しずつ教えてくれることだろう。よいものを私たちは建て、よいものを提供しよう。その最良のものは、イエス・キリストの福音である。
 9月17日(月)のファミリーキャンプは、教会でミッションステートメントについて考え、それから大名まで歩いていって食事をし、建築中の大名クロスガーデンの建物を見て、そのあとDCGの案内チラシを地域周辺に配布するというものである。この企画をされた友愛委員会の委員長T兄は、もっと早くにことを進めたいと願っておられる。私は、前任地で1年が過ぎた頃「まだ一年ですから」と言ったところ、信徒のある方が、「もう一年過ぎました」と答えられたのには驚いた。確かに時はあっという間だ。


平良師

2012年8月26日 DCGオープンまで2ケ月半

2012年09月29日 21時47分15秒 | Weblog
DCGオープンまで2ケ月半


 躯体ができれば、いよいよ内装工事に入り、10月末には建物が完成する。二つで一つの教会を作るために、私たちの教会は何を目指して宣教活動を行っていくのか、どのような教会を作ろうとしているのか、大名の地に立てられた教会としての特異性が求められるが、そこらを含みつつ、それと平尾がどのように結びついていくのか、そのようなことを言い表した共通のミッションステートメントを作ることをしたい。
 それがあれば、どちらの場所でも、それを確認しながら、一つの教会を作っていくことができる。また、始めるにあたりスタッフの問題がある。2015年度からもう一人の牧師をとの思いであったが、状況が許されるのであれば、早い方がよいに決まっている。スタートしてからの2年くらいは、他のどの時期よりも大切な時となるだろう。
 この期間を一人の牧師と協力牧師が行ったり来たりしながら、もちろん、教会員もDCGでの奉仕もあれこれとしなければならならないこと、責任を負ってやりたいことなどがあり、おまけに、連合の資料室と九州バプテスト神学校の活動など、結構な量の活動内容がDCGにはあって、まかり間違えば何をやっているのかわからないという状況すら訪れる可能性がある。
 そこで、何とか2013年度から、もう一人の牧師を迎えることはできないものか、と考える。可能性はなきにしもあらずである。祈り、各方面からこのことのために知恵を出し合い、集中すれば事は成ると信じる。


平良師

2012年8月19日 キリストはアルファでありオメガ

2012年09月29日 21時35分27秒 | Weblog
キリストはアルファでありオメガ


 時を止めることは誰にもできない。時だけは、常に前へ進んでいく。止まることはないし、戻ることもない。今、このときだけが、生きるということであって、過去も未来も、命の鼓動はそこにはないと多くの人々は考えるのだろうか。しかし、キリスト者は違う。
 聖書というおよそ2000年前に書かれた書物に今を生きているし、終末に向かって、永遠の命に向かって今を生きている。過去にも、現在にも、未来にも向かって、生きているのである。ヨハネの黙示録22章13節において、イエス様は、「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終りである」と言われた。
 イエス様が、初めのときからずっとおられ、これからもずっとおられるのである。時を支配しておられるお方、歴史を支配し、創造していかれるお方、それが神様、イエス様だ。教会は、このイエス・キリストと共に歩んできたし、歩んでいるし、これからを歩む。教会によっては、晩餐台や説教台に、このアルファΑとオメガΩの文字を入れたり、デザインしたりしているところがある。
 イエス・キリストの支配の中に教会は、身をゆだねていることを喜び、再臨のキリストを待ち望んでいる。ΑとΩは、そうした教会の姿を象徴しているのだろう。DCG委員会では、大名クロスガーデンの晩餐台にこうした文字を入れることなども検討している。いずれ、教会の皆様のご意見もうかがうことになろう。


平良師