ロンドン・オリンピックに想う
7月27日(金)に開会式が行なわれたロンドン・オリンピックも、8月12日(日)の閉会式をもって終了する。どうしてスポーツはこれほどまでに私たちを感動させるのか、アスリートたちの克己心に裏打ちされた厳しい鍛錬の結果だからなのだろう、などと思いながら、時には夜遅くまで、いや早朝まで、観戦してしまった。数々の感動的なドラマがあったが、開会式で宣言をしたセバスチャン・コー(Sebastian Coe)の名前を聞いた時には、ある種の安堵感のようなものを私は感じた。
コーは1980年のモスクワ大会と84年のロサンゼルス大会で、ともに陸上男子1500mで金、800mで銀メダルを獲得した実力者である。モスクワ大会は、周知のように、当時ソ連がアフガニスタンに侵攻したことに抗議して、アメリカ主導で日本も含む多くの西側諸国がボイコットをした大会であるが、イギリスの五輪委員会は、フランスやイタリアなどとともに参加を決定した。
しかし政府からの圧力は強く、結局選手たちは国を代表する形ではなくて個人の資格で参加をしたのであった。そのためコーの優勝時の表彰式では、イギリス国旗と国歌の代わりに、五輪旗と五輪讃歌とが使用された。モスクワ大会で優勝を確実視されていた日本の柔道の山下泰裕選手などに代表されるアスリートたちが、何でもアメリカに追随する日本の政治によって翻弄される苦悩と悲哀が、ほんとうに気の毒であった。
イギリスのコー選手たちもその後国からは圧力を受け続けたことであろうと思うが、今回そうした理不尽さに屈しない雄姿を見せてくれたことを大変嬉しく思った次第である。次のロサンゼルス大会にはソ連が報復のボイコットをしたが、スポーツの世界にまで政治が介入して、アスリートたちの純粋な努力を無にするような愚かさは、もう二度と犯してほしくないものである。そして、注意していないと、ことは信教の自由の問題においても起こりうることだということを、私たちは銘記しておきたいと思う。
青野師