平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2012年8月12日 ロンドン・オリンピックに想う

2012年08月24日 23時22分40秒 | Weblog
ロンドン・オリンピックに想う


 7月27日(金)に開会式が行なわれたロンドン・オリンピックも、8月12日(日)の閉会式をもって終了する。どうしてスポーツはこれほどまでに私たちを感動させるのか、アスリートたちの克己心に裏打ちされた厳しい鍛錬の結果だからなのだろう、などと思いながら、時には夜遅くまで、いや早朝まで、観戦してしまった。数々の感動的なドラマがあったが、開会式で宣言をしたセバスチャン・コー(Sebastian Coe)の名前を聞いた時には、ある種の安堵感のようなものを私は感じた。
 コーは1980年のモスクワ大会と84年のロサンゼルス大会で、ともに陸上男子1500mで金、800mで銀メダルを獲得した実力者である。モスクワ大会は、周知のように、当時ソ連がアフガニスタンに侵攻したことに抗議して、アメリカ主導で日本も含む多くの西側諸国がボイコットをした大会であるが、イギリスの五輪委員会は、フランスやイタリアなどとともに参加を決定した。
 しかし政府からの圧力は強く、結局選手たちは国を代表する形ではなくて個人の資格で参加をしたのであった。そのためコーの優勝時の表彰式では、イギリス国旗と国歌の代わりに、五輪旗と五輪讃歌とが使用された。モスクワ大会で優勝を確実視されていた日本の柔道の山下泰裕選手などに代表されるアスリートたちが、何でもアメリカに追随する日本の政治によって翻弄される苦悩と悲哀が、ほんとうに気の毒であった。
 イギリスのコー選手たちもその後国からは圧力を受け続けたことであろうと思うが、今回そうした理不尽さに屈しない雄姿を見せてくれたことを大変嬉しく思った次第である。次のロサンゼルス大会にはソ連が報復のボイコットをしたが、スポーツの世界にまで政治が介入して、アスリートたちの純粋な努力を無にするような愚かさは、もう二度と犯してほしくないものである。そして、注意していないと、ことは信教の自由の問題においても起こりうることだということを、私たちは銘記しておきたいと思う。


青野師

2012年8月5日 審判とは・・

2012年08月24日 23時03分32秒 | Weblog
審判とは・・


 オリンピックが始まった。昨日は、サッカー男子が、モロッコを破って決勝進出を決め、アーチェリー女子団体は3位。一方、期待されていた選手たちが、その力を十分に発揮できずに敗退して、オリンピックの難しさがそこここに見える。
 そのような中、柔道の判定を巡って、珍現象が起こっている。一旦下した判定が、簡単に覆されるのである。それは、三人の審判員の他に、ビデオ等で競技内容を検討している係員がいて、この方々の権限が大きく、三人の審判員はこちらからの情報を重視せざるをえない。海老原選手は、勝敗を決める審判で、相手が優勢というしるしの青旗が3本上がったが、それに対して、ビデオ担当の方からクレームがつき、そのあと、再度判定をやり直して、今度は、白旗が3本上がるという「まさか」が起こったのである。
 神様ではない人間はジャッジにおいも誤りを犯す。しかし、審判が○と言えば○、×と言えば×なのである。それがルールだ。なるべく、誤りをなくそうという気持ちはわかるが、これほどまでにビデオに頼るならば、いっそのこと機械に審判を委ねたらよい。延長戦の勝敗を判断する前に、海老原の投げについて、有効の判定を二人の審判員が下したが、これも覆ってポイントにならなかった。
 ならば、その後、さしたるポイントが双方になければ、この有効と判断した審判員たちは少なくとも勝敗の判定の際、海老原に上げるべきだった。選手たちが翻弄されて気の毒である。


平良師

2012年7月29日 これからの日本の行く末を案じている一人の信者から

2012年08月24日 12時19分37秒 | Weblog
これからの日本の行く末を案じている一人の信者から


 私は小学校(途中、4年生か5年生から国民学校と改称)の時は1学年から卒業まで6年間、同じ柴田六輔という先生が受け持ちであった。実直で良い先生であった。当時は、軍国主義の教育で、挙国一致して戦争のために国民は大きな犠牲を強いられていた。近年、学校で昔もあったようないじめが、時折起こっていることが報道され、心をいためているが、こんな心配をしているのは私だけではあるまい。
 私は教育の専門家ではないが、物事はもっとわかり易いこと、一番必要なこと、大切なことをとりあげて、すなおに話し合うことが根本だと考える。テレビに出てくる人たちではなく、学校(先生)と家族が話し合うべきだと思う。
 本当の当事者ではない人たち、文科省の人たちにはわかる人は少ないだろう。教育委員(長)など教育はあまりわかっていない人が多いと思う。市長の発言とか責任とか、筋違いの人たちの意見とかは意味がないように思われるのだが、皆さんの意見を聞いてみたいと思っている。


松村師

2012年7月22日 アナログが強いか

2012年08月22日 20時07分17秒 | Weblog
アナログが強いか


 1週間ほど前、突然、パソコンがブザーのような音を出し始め、それが7~8回鳴っただろうか、次の瞬間、画面が真っ黒になってしまった。あわてて、あれこれとやっていたら、いつの間にか元に戻った。それから一週間して、昨日、突然にまた同じ症状が現れた。
 今度は簡単ではなく、祈祷会の日でもあり、朝から夕方まで幾人かの訪問客もあって、最後に訪れた方が、IT関係の方だったので、ちょっと見てもらおうと思って、スイッチを入れたら、これまた、何ごともなかったように元に戻った。おかしなことである。しかし、このパソコンは、購入して7年目になっているので、そろそろ寿命ではないかと言う方もおられて、それなら、今度そのような状態になったら、三度目の正直で御仕舞だと思った。
 早いとこ、データを他に移さねばと、その作業を夜の祈祷会に来られたS神学生に急遽行ってもらった。さあ、これで、いつ壊れても用意はできた。それにしても、日頃、パソコンに頼り切りになっているので、これが使えなくなると、仕事にならないのである。私のような悪筆は、もう自分の字では仕事ができなくなってしまっている。
 途方に暮れる。2年前、故障して、メーカーに送ったら、保障期間中だったので、無料で戻ってきたが、今回、地元の修理会社に電話したら、出張見積費だけで目が飛び出た。こんな値段設定でも需要があるのだろう。パソコンを使わず、自分の字だけで生活している人が強く見えてきた。


平良師

2012年7月15日 いつも言っていること

2012年08月19日 00時35分03秒 | Weblog
いつも言っていること


 伝道の可能性について言えば、限りがないと思う。これはよいと思うことをやる、できることをやる、やりたいから実行する、そういうことで始めたらよい。一番よくないのは、何もしないことだ。
 イエス様のなさったたとえ話に、主人から1タラントン預かった僕が、主人が帰るまでそれを地面に隠しておいて、怠け者の悪い僕だと、叱られた話がある。預かったお金がなくなったら主人に叱られると恐れたのだ。他の2タラントン、5タラントン預かった僕たちは、それぞれそのお金を元手に商売をして、さらに2タラントン、5タラントン儲けて、よくやったと褒められた。
 私たちは、DCGという大きな賜物を授かったのに、それを用いて何もしないのであれば、おそらく神様から怠惰な悪い僕だとお叱りを受けるだろう。私たちは、DCGでやれること、やりたいことを精一杯やる。チャレンジするのである。
 DCGでは、何も奉仕できないという人もおられるが、その方は、祈ってくださればそれで十分である。DCGという大きな賜物をいただいた私たちの教会は、この福岡市の中心地で、イエス・キリストの福音を大胆に伝えることを使命として与えられた。
 神様が平尾教会に与えてくださったヴィジョンだ。手探り状態であっても、何でもやってみることだ。そうすれば、継続してやれるもの、やった方がいいもの、すぐにでもやめた方がいいものがわかる。そして、その時点で判断をしたらよい。まず実行しよう。


平良師

2012年7月8日 大いなる罪

2012年08月17日 23時59分30秒 | Weblog
大いなる罪


 戦後生まれの私たちは、戦争のない平和な時代に生きてきた。終戦を迎えてから67年がたつ。日本国憲法は、国家権力による戦争を禁じている。戦争になったら、幸せなことなど何一つないことを日本人は前の戦争で、痛いというほど味わった。戦争がないだけで、平和かと問われれば、そうではないと言わざるをえないけれど、少なくとも殺される恐怖からは解放される。それだけでも大きい。
 しかし、昨今の原発事情は、戦争に匹敵するほどの死の恐怖を与えていると考える人もいる。にもかかわらず、原発は再稼動した。老朽化した原発は、自然災害など来ずとも、いくつもの新たなる事故の可能性を私たち伝え始めている。これまで原子力発電所は、故障や事故があっても、軽微と判断したものは逐一伝えようとはしなかった。その体質は以前と同じ。
 しかし、震災以前と以後とは状況は大きく違う。原発を稼動させる限り、どのような些細なことも公にして、世論の批判にも耐えうるように諸状況を整えていかねばならないだろう。太陽や風、地熱を利用しての自然エネルギーを考える方向性は、創造の秩序にかなっている。科学は、自然では決して起こりえない核分裂を可能とした。
 その矛先は、神様が創造された命すべてに向けられている。神様が愛して創造された命に対して、原発の存在が大きな脅威となった。これは、神様への反逆的行為であり、大いなる罪ではないかと思うのだが。


平良師

2012年7月1日 HCMGBASKTGPMSNO57

2012年08月11日 23時31分48秒 | Weblog
HCMGBASKTGPMSNO57


 平尾教会で行われる宣教活動は、それが良きにしろ悪しきにしろ、すべては代表役員の平良の責任であると言いたいところだが、これは神様が関わってくださっていることなので、そう言い切るのも適当ではない。しかも万人祭司であるからなおさら。私の年齢は57歳。これが、HCMGBPSKTGPMSNO57の意味だ。ワイルドだろう、誰にも覚えられない。
 ちなみに、私はAKB48のファンではないが、真剣な選挙があることくらいは知っている。私は、気持ちは青年だが、ご存知のとおりのオヤジ。しかも、つい最近不覚にもおじいさんになってしまった。ワイルドだろう。孫のオムツを換えていたら噴水のようなウンチを顔に浴びてしまった。これまたワイルドだろう!
 ところで、お笑い芸人たちは、日々、いろいろな奇抜なネタを披露して、私たちを楽しませてくれる。スギちゃんの「~だせ、ワイルドだろう!」は、ちょっとしたブームになっている。人には笑いのツボがある。同じものを見ているのに、ケラケラ笑う人もいれば、まったくつまらなそうな顔をしている人もいる。私の妻のように、何が面白いと腹を立てる人さえいる。お笑い番組を見ている私は、四六時中ニヤニヤしているらしい。
 聖書はどうなのか。同じ箇所を読んでいるのに、感動する人もいれば、ピンとこないという人もいる。しかし、聖書を読んでケラケラ笑う人はいない。聖書は信仰の書だから、笑いはない・・・か?ツボがわからないだけかも。


平良師

2012年6月24日 魅力について

2012年08月04日 11時32分32秒 | Weblog
魅力について


 魅力はどのような人も持っている。何にそれを感じるかも人それぞれだが、思いつくままに挙げてみる。上品さ、明るさ、紳士的、優しい、よく気がつく、力強い、物腰が柔らかい、控えめである、親切、情熱がある、寛容、容姿がいい、物事をよい方向に受けとる、行動的、誠実、率直など、もうきりがない。
 年を重ねて魅力の増す人もおれば、色あせていく人もいる。どうせなら、魅力が増し加わっていくような人生を送っていけたらよい。人は、年を重ねていくと、力がなえ、容姿は衰え、魅力も失せていくように見える。しかし、キリスト者は、たとえ、外なる人はそうであったとしても、内なる人は日々新たにされていくという。内なる人とは、いったいどのような人なのか。それは、永遠性と関係している。
 つまり、終わらないということ、希望があり、未来があるということだ。だから、私たちキリスト者は、最後の最後まで、希望を語り、未来を語ることを怠ってはならない。それが、キリスト者の最大の魅力であると私は思う。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。
 その根拠は、イエス様が、十字架につき、復活されたことにより、すべてのことが解決している、もう大丈夫、安心しなさい、そういうことだろう。イエス様も、「勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」と述べている。


平良師