この一年に召天された方々
2008年7月27日、51歳で、阿部康子姉は天に召された。かねてより体調を崩しておられ、明日病院に行きましょうと約束した。おそらくその夜に倒れられたと思われる。1974年10月に平尾教会がこの近辺の宗教調査なるものを行ったとき、K姉とU兄が訪ねられたのが教会に来るきっかけとなった。彼女は高2であり、教会にとっては、その企画の初穂と言える方だった。それから、2年後の1976年に金子純雄牧師よりバプテスマを受けられた。
彼女は障害を負い、車いすの生活を余儀なくされていたが、キリストにあって自立した精神の持ち主だった。特に、記憶力には恵まれた方で、私も助けられたことが多い。体調が一年を通しては、安定せず、教会に来られない日々もあったが、平尾教会の歩みをずっと見守り続けてきた方だった。
牛原千彰さんは、奥様のT姉が、バプテスマを受けられた2ケ月後の10月25日、47歳で天に召された。胆管の癌であったが、責任感の強い方で、最後までお仕事に出られていた。市役所に長く勤務され、同僚や上司の方々の信頼も篤かったときく。
私が妻とお見舞いに行くと、感謝の言葉を述べられ、後のことはお願いしますと、やせ細ったお体で、熱く語られる家族思いの方であった。T姉が、バプテスマを受けられるときも、よろしくお願いします、と丁寧にご挨拶をいただいた。バプテスマは受けられなかったけれども、聖書を読み、祈る私たちを心から喜んでくださった。
平良師
2008年7月27日、51歳で、阿部康子姉は天に召された。かねてより体調を崩しておられ、明日病院に行きましょうと約束した。おそらくその夜に倒れられたと思われる。1974年10月に平尾教会がこの近辺の宗教調査なるものを行ったとき、K姉とU兄が訪ねられたのが教会に来るきっかけとなった。彼女は高2であり、教会にとっては、その企画の初穂と言える方だった。それから、2年後の1976年に金子純雄牧師よりバプテスマを受けられた。
彼女は障害を負い、車いすの生活を余儀なくされていたが、キリストにあって自立した精神の持ち主だった。特に、記憶力には恵まれた方で、私も助けられたことが多い。体調が一年を通しては、安定せず、教会に来られない日々もあったが、平尾教会の歩みをずっと見守り続けてきた方だった。
牛原千彰さんは、奥様のT姉が、バプテスマを受けられた2ケ月後の10月25日、47歳で天に召された。胆管の癌であったが、責任感の強い方で、最後までお仕事に出られていた。市役所に長く勤務され、同僚や上司の方々の信頼も篤かったときく。
私が妻とお見舞いに行くと、感謝の言葉を述べられ、後のことはお願いしますと、やせ細ったお体で、熱く語られる家族思いの方であった。T姉が、バプテスマを受けられるときも、よろしくお願いします、と丁寧にご挨拶をいただいた。バプテスマは受けられなかったけれども、聖書を読み、祈る私たちを心から喜んでくださった。
平良師