平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2005年1月9日 50歳を迎えて

2007年01月22日 16時37分12秒 | Weblog
     50歳を迎えて

 50歳になった。子どもたちが、「お父さんは前のように叱らなくなった」と言う。これは衰えを表す一材料だろうか。頭の髪がさらに薄くなった。これもそうだろうか。とんでもない物忘れをしでかすようになった。これもそうか。これからは努力が必要となる。手帳に、物忘れをしないよう、まめにメモをとること。そんなことを考える。
 私にあとこの世で残されている年月はどれくらいなのだろうか。平均寿命もあてにはならない。神様は、それぞれにこの世での持ち時間をお決めになっている。もし、それがわかれば、これからの人生設計も充実するのだがと考える人もいよう。
 否、そのようなことは分からない方がいいのかもしれない。ある日、目が覚めたら、この世の人々との別れの挨拶もなしで、天国にいた、そんな感じがいいのかもしれない。
 否、否、挨拶くらいはしたいものだ。という具合で、ちょっとずつちょっとずつ、私も人並みに、死というものについて、思いを巡らすようになった。
 スペインだったか、どこかの国の諺らしきものに、メメントモリというのがある。「死をおぼえよ」という意味だ。いつまでもこの世で生きるものと、錯覚してもならないのだろう。
 しかし、一方において、「明日のことまで思い悩むな」というイエス様のお言葉もある。神様はちゃんと考えてくださっておられる。ケセラセラ、「なるようになる」わけだ。「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」これこそ真理である。


平良 師

2005年1月2日 2005年の年は

2007年01月22日 00時27分00秒 | Weblog
    2005年の年は

 昨年は、ほんとうに大きな災害がいくつもあった年だった。スマトラ沖の地震による津波で、7万人ほどの死亡が確認され、まだ、2万人が、行方不明となっている。2004年は最後の最後まで暗い年だったと人々の記憶にそう残るかもしれない。
 イラクも泥沼状態となった。多くの嘆きと悲しみが起こり、人々の怒りと憎しみは絶えなかった。教会の人々もそれぞれにいろいろな出来事や事件があり、悲しみ、苦しみ、不安があり、それでも、主の守りと支えのなかで何とかやってこられたという方もおられただろう。今年も、弱っている方々と少しでも、共に歩もうとする教会であることをまずは祈りたい。
 昨年の教会に与えられた神様の業を思うとき、私たちたちはその恵みに驚かされるのである。教会員として群に加わった人々が14名おられた。そして現在、共に教会の群れを形成している。そうしたこともあってか、新しい風があちらこちらから吹き始めている。
 教会の主催者はイエス様だから、この方に私たちが従おうとする限り、これからも基本は変わることはない。しかし人の数が増えることは、その分の考え方が生まれることでもある。そして、一致を見出そうとすると、多くの時間が必要となる。
 また、教会の力に応じ、社会奉仕の使命など、宣教の課題も多岐にわたることが予想され、ダイナミックな教会形成が求められる。それでもキリストにあって一つ、教会は、伝道に向けて最大の力を注ぐ。


平良 師