DCGはできることから
教会に一度来られた方が、もう一度来たいと思うかどうかは、私たちの責任である。まず、説教がわかりやすいものだったか、いわゆるその人にとってためになった、大事だと思えるものであったか。また、冷たい感じのする教会には人は再び行こうと思わないだろう。あまり構って欲しくないという方はもちろんいるが、温かさは必要である。
音楽は、旧約聖書の時代から、礼拝には欠かせないものであった。歌詞が大切であることは言うに及ばず。曲は、時代や地域によっても異なるし、そのリズムを好む年代もあるだろうから、これはいろいろなものがあってよいと思う。いずれにしろ、質が高ければそれにこしたことはない。それから、子どもや若者やご高齢の方々が大切にされている教会なのか、彼らの活動する場所があるか、そのことは、その家族たちがまた来たいと思う要因らしい。
私たちは、どのような教会に人々が好んで来るのか、そのことをおぼえておきたい。DCGでは、以上の要因をまず備えることに努めよう。牧師である私も努力するし、教会員の皆様にもお願いしたい。私たちは、神様に喜ばれたいと思って、ことを成す。神様に仕えようと思って、ことを成す。
DCGは、私たちに託された宣教の広場、主の庭である。私たちも当然のことではあるが伝道活動を行うし、他の団体が、宣教のためにと用いるときもあろう。使用条件や注意事項等も話し合いながら、互いに気持ちよく御国建設に励もう。
平良師