平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2012年10月28日 DCGはできることから

2012年10月27日 21時20分34秒 | Weblog
DCGはできることから


 教会に一度来られた方が、もう一度来たいと思うかどうかは、私たちの責任である。まず、説教がわかりやすいものだったか、いわゆるその人にとってためになった、大事だと思えるものであったか。また、冷たい感じのする教会には人は再び行こうと思わないだろう。あまり構って欲しくないという方はもちろんいるが、温かさは必要である。
 音楽は、旧約聖書の時代から、礼拝には欠かせないものであった。歌詞が大切であることは言うに及ばず。曲は、時代や地域によっても異なるし、そのリズムを好む年代もあるだろうから、これはいろいろなものがあってよいと思う。いずれにしろ、質が高ければそれにこしたことはない。それから、子どもや若者やご高齢の方々が大切にされている教会なのか、彼らの活動する場所があるか、そのことは、その家族たちがまた来たいと思う要因らしい。
 私たちは、どのような教会に人々が好んで来るのか、そのことをおぼえておきたい。DCGでは、以上の要因をまず備えることに努めよう。牧師である私も努力するし、教会員の皆様にもお願いしたい。私たちは、神様に喜ばれたいと思って、ことを成す。神様に仕えようと思って、ことを成す。
 DCGは、私たちに託された宣教の広場、主の庭である。私たちも当然のことではあるが伝道活動を行うし、他の団体が、宣教のためにと用いるときもあろう。使用条件や注意事項等も話し合いながら、互いに気持ちよく御国建設に励もう。


平良師

2012年10月21日 「iPS細胞」生成へのノーベル賞授与について

2012年10月23日 22時20分56秒 | Weblog
「iPS細胞」生成へのノーベル賞授与について


 数カ月前には皮膚の細胞だったものから、例えばドクドクと拍動する心臓の細胞を作り出す、というiPS細胞(Induced pluripotent stem cells)生成の技術を発見した山中伸弥・京都大学教授にノーベル生理学・医学賞が授与されたことは、実に喜ばしいことであった。
 いったん完全に分化した細胞を、わずか4つの遺伝子を導入するだけで受精卵と同様の万能性を持つ細胞にする方法を発見したのは同僚の高橋氏だったので、自分は便乗受賞ですと謙虚に語り、そして家族の支えに深く感謝する山中教授の言動は、実にさわやかで、その発見の凄さとの間のコントラストを見事に浮き彫りにしていて、ほのぼのとした感じを与えてくれる。
 某ノーベル賞受賞の先生は、その真偽のほどは確かではないが、自分より早く研究室に来て実験をしていた学生に、自分が散歩から帰ってくるまでにすべてを片づけておけと命じ、それができていなかったときにはすべてを実験台の上から床に投げ捨てて自分の実験を始めた、という噂が医学関係者の間ではあるそうだが、実験をしている学生と対話をしたあとに「どうもお邪魔しました」と言ってその場を去る、テレビに映し出された山中教授の姿勢との間の何という違いであろうか。
 それはともかく、自然科学分野におけるノーベル賞の受賞内容を聞くたびにいつも抱く思いは、その驚嘆すべき内容への畏怖の念とともに、その発見や理論は、すでにそこに現実としてはずっと存在してきたことがらのほんの一部を解明したに過ぎないものだ、という事実の持つ意味についての思いである。
 つまり、私たちが信じている神さまが創造されたこの世界のありさまは、そうした偉大な発見や理論をはるかに超えたさらに偉大なものであり、世界は人間によるその解明を常に待ち続けているのだということである。そして今回のiPS細胞の発見は「神の創造」に迫るという要素をも持っているだけに、それが健全に用いられて、決して人間が傲慢にも人間の限度を忘れて「神の領域」を侵すようなことがないように、と心から祈らずにはおれない。


青野師

2012年10月14日 神の国のあるところ 

2012年10月13日 21時33分27秒 | Weblog
神の国のあるところ


 神の国は、からし種に似ている、パン種に似ている、そうルカによる福音書の13章18節でイエス様はお語りになった。からし種を庭に蒔くと、成長して枝に空の鳥が巣を作るくらいになり、パン種を粉に混ぜると全体が膨れるとある。神の国は、自ずとそのように成長し、大きく豊かになるものなのである。
 それにもかかわらず、昨年度の連盟の教勢報告をみるとき、私たちは、この先、日本のキリスト教会は消滅してしまうのではないかとの危惧さえおぼえる。十数年にわたって教勢は減少傾向にある。これは、連盟だけではなく、日本のほとんどの教派がそのような状況にあるようだ。喜べる材料が見当たらないなか、私たちの教会に、新たなるヴィジョンが示されたことを思うとき、平尾教会に託された主の御心とその責任の重さに恐れ慄く。
 それも福岡の中心へ打って出ていくことを示された。神の国は、あなたがたの只中にあるとイエス様は、教えられる。つまり、教会の地道な活動のなかに、私たちは、神の国を見出すことが求められている。当時の人々も、初代教会のありようを見て、そこに、神の国を見たのではないか。
 「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を讃美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」。成すべきことは既に聖書に示されている。


平良師

2012年10月7日 大名の建物・なかなかのもの・・

2012年10月06日 21時56分10秒 | Weblog
大名の建物・なかなかのもの・・


 今日の定例建築会議で、設計監理者や施主側立会いのもと、建築物の検査を10月26日(金)頃に行うことが決まった。あと、4週間くらいで完成する見込みである。引渡しは、10月31日(水)。そのときが、刻一刻と近づいてくる。7日(日)に希望する方々と共に現地に赴き、見学する。初めて内部を見る人も多いと思うが、楽しみにして欲しい。
 この建物は、教会の皆さんの思いを設計監理者と施工業者が十分に聞き入れてくださった結果、他の教会とはちょっと違うユニークなものとなった。また、礼拝堂も、礼拝だけでなく、コンサートはもちろん、演劇にも使用できる。音の響きは、まだ完全には分らないが、何となく良さそうというのがN・A姉の感想である。もし、そうであるのなら、やった~ということであろう。音響の設計は、お金がそこまでなくて、頼めなかったが、DCG委員一人一人の発想を持ち寄ってできた形状である。
 素人なりに、あれこれ知恵を出し合って、侃侃諤諤と1年間やり続けた。その甲斐があったと言えるものができ上がるかどうか。しかし、全貌が見えてくるにつれて、これまた「結構いいかもしれない」、と思えてきたのである。M先生がスペインから取り寄せた大理石の十字架ももうじき付く。5年後に、パイプオルガンがつけば、この礼拝堂は完成となる。礼拝堂と多目的ホールのそれぞれの稼動間仕切りを取り除けば、300名は収容できる。大概のことはできるのである。


平良師

2012年9月30日 うますぎる話

2012年10月03日 12時10分51秒 | Weblog
うますぎる話


 休暇に入る前日。妻が、「明日は釣りに行くのでしょう」と聞く。実は、明日は、仕事をあらかた済ませて、25日から休暇を楽しもうと思っていた。それで、口を濁していると、「あなたは、明日は釣りに行くと言ったよね」と、どうしてか、脅迫じみた怒ったような口調で言うので、「まあ、行くけど」と答えた。それで、「よし、やはり行こう」という気になった。
 これほど、妻の後押しが頼もしく感じられたことはない。妻はやはり親切な人だった。だんだん、気持ちが高揚してきて、頭の中は、釣りのことでいっぱいになった。先日、インターネットの釣りの情報欄に「他の人は全然釣れていないのに、自分だけに鯛がかかってきた」と、自作のエサでたくさんの釣果をあげた人の談話が載っていた。
 そして、分量などは書いていなかったが、そのエサになる材料が書いてあったので、それらをそろえ、適当に混ぜて、ダンゴを作り、次回の鯛釣りでそれを試してみようと考えていた。そのダンゴの効力を、ついに、試す時が来た。笑いが湧き出て止まらない。私だけが、ジャンジャン釣れたらどうしよう。いつもの大島の釣り場でその成果を試そうと思った。
 そして、HPで予約状況を確認したところ、何と、何と・・明日は釣り場は休みとあった。休暇の初日から、これか。まずは、仕事を済ませてから、休みなさいということなのだろう。妻が釣りを勧めてくれたとき、何かしらヘンと思ったが、やはりそういうことになった。


平良師

2012年9月23日 SGの機能

2012年10月02日 20時17分41秒 | Weblog
SGの機能


 先週は、SG(スモールグループ)のキャンペーンだった。初めて、SGを体験された方々もおられたと思う。昨年は、このキャンペーンによって、新たにSGに参加されるようになった方々もおられた。また、今年のデモテープの出来栄えもなかなかで、楽しい雰囲気がよくでていたと思う。そして、SGの大切な部分、例えば互いに祈りにおぼえ合うなどの点も押えられていた。
 私たちの教会は2007年に100名を越える礼拝人数となって以来、新たなる方向を模索するなかで、大名のヴィジョンも与えられ、SGも生まれたと理解している。教会には幾つもの受け皿があってよい。礼拝に与るだけで、十分に信仰を養われる方もおれば、祈祷会での共同の祈りは欠かせないという人もいよう。
 委員会や教会学校の奉仕、礼拝奉仕など、奉仕チームに関わるなかで、より強い信仰が保たれると考えている人もいる。SGは、今のところ、月に2回というグループが多いが、SGの集会に参加するなかで、共同牧会が可能となっている。SGもまる2年となった。これからのさらなる充実を祈り求めていきたい。
 そして、大名においてもまた、若い人たちを中心としたスモールグループの形成が望まれる。それこそ、カフェのような感覚で、季節によっては、駐車場側の一階のテラスに机や椅子をおき、また、二階のベランダも十分にスペースがあるので、自然を満喫しながらSGを行うことも可能であろう。秋は実りの季節である。


平良師