平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2004年12月5日 『愛している』なんて、とても恥ずかしくて

2007年01月17日 21時39分27秒 | Weblog
『愛している』なんて、とても恥ずかしくて

 先日、テレビを見ていたら面白い調査をしていた。韓国と日本の女性に、夫の職場に電話をかけてもらい、「愛しているわ」と言うのである、そして、返答がないと「あなたはどうなの」と聞くのである。
 韓国の男性たちは、半分以上がすぐに、「愛しているよ」と返答したのであるが、日本人は、「おまえ、何を考えているのか」とか、「大丈夫か」「職場に電話をかける奴があるか」といったもので、なかにはこういうものもあった。「あなたは誰ですか。どういうおつもりですか」と自分の妻にまじめに聞き返す夫もいた。
 まあ、これがお国柄というものだろうか。日本の男性は、妻に「愛している」という言葉をほとんど言わないのではないだろうか。恥の文化に生きているからなのか、男はちゃらちゃらしないのが美徳と考えているのだろうか。
 我が教会の夫たちは、どうなのだろうか。「愛しているの」と聞かれ、「はい、愛しています」。そう返事をしそうなご夫妻たちの顔が、幾組も頭に浮かんでくる。これは、すばらしいことではないか。私も、妻からよく聞かれる。
 ペトロも、復活のイエス様からしつこく「あなたはわたしを愛しているか」と聞かれ、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがよくご存じです」と答えたが、わかっているだろうなんて甘いのである。何度でも、「私はあなたを愛しています」とこれまた、しつこく答えねばならない。愛は厳しい。恥ずかしいだなんて言っている場合じゃない。


  平良 師