平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2007年11月4日 怠るなかれ、愛情表現

2008年01月27日 13時35分44秒 | Weblog
   怠るなかれ、愛情表現

 他者の喜びや悲しみを受け止める力は、どの程度のものだろう。自分は、牧師だから、他の人よりもそうした力はあると思いたいが、これも真実には神様からしかいただけないのではないか。
 他者の思いを自分のことのように感じとる力が欲しいと願い求めるのだが、難しい。所詮は、自分自身がそういう立場にならない限り何もわからないのだろうか。せめて、できることは、お話を聞くことだけである。
 聞いて、聞いて、また聞いて、それ以上のことは何もできない。それも肯定的に聞くこと。ところが、これが一番身近な存在である人には容易にできないから困る。
 すぐにアドバイスをしようとしたり、否定的な言葉を発したりと。その人は、私にアドバイスなどを求めてはいない。ただ、聞いてくれるだけでいいのだ。こちらもそのことはわかっている。
 しかし、わかっちゃいるけど、やめられない。何で、こんなことで・・と思ってしまうのだ。最後には、いらいらしてきて、もう勘弁してくださいな、となる。
 身近な者への愛情表現には、かなりの努力、工夫が必要だ。空気でわかるよね、とは古い日本のお話。愛していることを伝えることも、求めていることを満たすこともしなければならない。
 これから結婚をされようとしている方々へ伝えたい。夫婦の関係を続けるために、あなたは、人生で味わったことのない努力を要することになるだろう。イエス様もありとあらゆる方法で、私たちに愛を伝えてくださった。


平良師

2008年10月28日 手術と神様への信頼

2008年01月05日 23時08分37秒 | Weblog
   手術と神様への信頼

 私は、三歳のとき、笛をくわえたままころんで舌を切り、病院に運ばれた。あのときの恐怖だったことをよく憶えている。手術をしたのはこの年になるまで、そのときの1回だけだ。
 牧師になってから、お見舞い等々で、病院へ行く機会は増えた。先週も3人の兄弟姉妹たちが手術をされた。3人の信仰の先達たちは、すべてのことを主にお任せしていた。私は、励まされ、主のご栄光を拝した。
 自分がその立場になったら、どうするだろうかと考える。小心者の私は、いろいろなことが心配になっておたおたするのは目に見えている。これが牧師だろうか、と見舞いに来られた方々は思うかもしれない。
 O兄は、いつも毅然とした態度で、「お任せします」と医師に伝える。だから、医師も最善を尽くす。もし、神様に完全に自分のことを明け渡し、すべてを委ねることができるなら、神様もまた、私たちのために、最善のことを成してくださるに違いない。
 そう信じつつも、いつも事柄が望んだようにいくとは限らない。これらの先輩たちを見ていると、たとえ、それが望んだ方向とは違ったとしても、もし、それが神様の御心ならば、むしろその方がいいと答えられるのではないか、そんな気さえする。
 神様への信頼は篤く、すべてのことを主に任せ、すべてのことを神様の手から受けようとされている。どうであろうと、神様が神様の子どもたちに悪いものをお与えになるはずがない、そのような強い信仰を私も持ちたい。


平良師