平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2012年5月27日 今の日本の心構えは

2012年05月26日 22時37分50秒 | Weblog
今の日本の心構えは


 今の日本は東日本大震災・福島原発事故に続いて大きな政治的・経済的打撃を受けて苦難の道を歩んでいる。しかし、ここ10数年以上前から精神的な面で反省すべきことが、いくつかあるように思うのは私だけではないように考えられる。その中の一つに自死で亡くなる人が年間3万人を超すことが10年以上も続いていることがある。
 そして自死の背景が明らかなものの中で、アルコール依存症の占める割合が20%に近い。これは単なる習癖の問題だけでなく、人間存在の問題として取り上げて考慮する必要があるかもしれない。孤独であっても社会的な交わりの豊かな環境をあまねく設定する国家的支援の必要を覚えるのである。宣教は信仰の土台の上に相互の連係を密にすることが一層求められるべきであろう。
 北海道の地の果てと言われた現在の北見に来て、日本の開拓民の伝道に40年間尽力したアメリカ人伝道師ピアソン(G.P.Piason 1861~1939)は帰国後、夫人と共に伝道した日々を書いて出版しているが、「日本が福音を必要とする度合いは、中国がパンを必要とする以上のものである」と提言して、殉教する教会の起こされることを信じて祈っている。
 同じく北海道の伝道に努めた小池創造牧師はクラーク博士が日本を去る時に残したように「少年よ大志を抱け」ではなく、ピアソン伝道師が日本を去る時に何か言いたかったとすれば、それは「少年よ神の僕となれ」の言ではなかっただろうか。

2012年5月20日 よく働き、よく学び、よく遊べ

2012年05月19日 23時19分05秒 | Weblog
よく働き、よく学び、よく遊べ


 東日本大震災で仮説住宅の生活を余儀なくされた方々のうち、精神的にまいってしまった方々の割合が、一般の方々に比べて多いという。それにはいろいろな理由が考えられるのだが、その中の一つに、趣味を辞めざるをえなくなったためというのがあった。
 人間は、楽しみを奪われてしまうと病にもなる。仕事ばかりしていると、つまり、仕事のことばかり考えていると、精神的にまいってしまって、結果、よい仕事もできないことになる。仕事も大事だが、遊ぶこともしなければならない。そうやって、バランスをとることが大事である。私の趣味は、釣りで、だいたい月に一、二度行く。妻からは、またですか、と言われる。
 しかし、これで、日常生活にリフッレシュをはかり、新たなる思いをもって仕事に取り組めることになる。遊びは、何ごとにも必要で、運転のときのハンドル操作にも遊びの部分がある。仕事にも遊びの部分がなければ、それはよい結果を生まないのではないだろうか。よく働き、よく遊ぶ。よく学び、よく遊ぶ。
 コヘレトの言葉に「人間にとって最も良いのは、飲み食いし、自分の労苦によって魂を満足させること。しかしそれも、わたしの見るところでは神の手からいただくもの」。コヘレトは、この世の無常を説き、楽しむことの必要を説く。しかし、楽しみをはじめ、人間は行ったすべてについて、裁きの座に引き出されるであろうとも語る。「神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ、人間のすべて」

2012年5月13日 家族考

2012年05月15日 21時27分15秒 | Weblog
家族考


 キリストの教会では、同じ信仰の友を神の家族と呼んでいる。イエス様は、母親と兄弟たちが訪ねてきたことを知らせてくれた人に対して、「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」と言われ、弟子たちの方を指して、「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」と言われた。
 そういうことで言うならば、逆に、たとえ血のつながりがあろうとも、神様の御心を行わない者は、家族ではない、ということになるのだろうか。なかなか厳しいお言葉である。そうだとすると、私たちは、ときに神様の家族であり、ときに、そう呼ぶにふさわしくない者なのである。
 また、あるときは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と言われ、「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」と言われた。イエス様の教えに従えない者は、友とは呼んでいただけないのである。しかし、家族というのは、喧嘩もする、互いの弱さや至らなさも躊躇なく見せて、それもまた赦し合うことのできる関係にある。
 家族は、助け合うことを自然と行うが、それについてもいちいちお礼を言うこともない。でも、家族には、皆互いに、感謝しているのである。家族がいたから、何とか乗り越えられたといった出来事が、人生には幾つもあったことだろう。神の愛は、時々家族を通しても見えてくる。

2012年5月6日 苦しいことは続いても

2012年05月06日 21時23分30秒 | Weblog
苦しいことは続いても


あるラジオ番組で、リスナーからこんな話しの紹介があった。
 自分の母親が、占いに、はまってしまって、自分にもその占い師に会ってみないかというので、同行した。そして、名前の字画を診てあげましょうというので、診てもらったら、自分の字画はとてもよい、また、父親のものもよいということだった。ところが、母親のは、とても悪い、それも最悪だということだった。それで、これからいくらも不幸なことが起こるという。
 しかし、占い師が言うには、方法がないわけではない。つまり、一画付け加えたらよい。印鑑を作り、その印鑑は、字画の一つ多い漢字にしてもらって、それを使い続けるならば、運が向いてくるというのだ。その印鑑の値段は、何十万円かであった。それで、その人は、来た~と思ったらしく、丁重にお断りして、帰ってきたという。そして、母親にもう少しで騙されるところだったね、と言ったら、母親は、「どうしてくれるの~これからの私の人生を!」と言ったという。
 もし、こんな印鑑を用いて、幸せになることができるのなら、誰もがそうしたいに違いない。しかし、残念ながら、そのようなものは、この世にはない。でも、話としてはうまいなあ~と、思った。私たちの場合、キリスト者になっても、苦しいことは相変わらずある。いや、増えた、そういう方もおられるかもしれない。しかし、その苦難を乗り越えることのできる心の支えや確信をいただいているのはうれしい。