平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2014年8月17日 これからの教会が目指すもの

2014年08月23日 17時16分54秒 | Weblog
これからの教会が目指すもの

 毎年、7月末に前年度の連盟教勢報告が送られてくる。それを見て、日本のキリスト教事情や連盟に連なる諸教会の実情を話題にしようとする人々は、どれほどいるのだろうか。皆、現状には触れたくないというのが、本音なのかもしれない。
 そして、まとめたデータから、課題を抽出して、何らかの施策を本気で考えることを、連盟はどこまでやろうとしているのだろうか。簡単な作業ではない。この10年の統計からも諸教会の力は毎年徐々に落ちてきていることがわかる。
 洗礼を受けた方の数が0人という教会は、2012年度が、140くらいであったが、2013年度は180にのぼっている。バプテスマの数も559人から366人に減った。一教会の毎週の礼拝人数の平均は、43.6人が、42人。戦後、連盟に連なる教会の多くは、教会学校の活動を中心にしながら教会形成を図ってきた。
 私たちの教会もこの伝統を受け継いで、その充実を図ってきたといってよい。それはそれで、大きな働きを担ってきた。平尾教会の教会学校の活動も波はあったものの主の憐みと関係者の努力で一定の実りに与ってきたのではないか。しかし、この運動も、教会を系統だてて作ってきたのかというと、そうだと答えられる教会は多くはない。
 私たちは、この反省の上に立って、2015年からの教会のありようを考えていこうとしているのである。それは、キリスト者として豊かで生き生きとした生活スタイルを確立することを目指すものとなろう。


平良師

2014年8月10日 平和を選び取る道

2014年08月17日 12時02分16秒 | Weblog
平和を選び取る道

 非常にがっかりしています。今まで、外国人として平和憲法のある国に住むことが自慢でした。もちろん、軍隊がない国といえば、日本は入りません。世界の軍事予算のトップから5番目です。戦後、日本は戦争に疲れ果てて、侵略戦争を後悔し、二度としないように、と心に止め、平和憲法を作ったそうです。現在、その憲法が押しつけられたと訴え改悪を求める人がいますが、当時関っていた人の話によると、戦争の虚しさが分かった国民の自らの気持ちだったそうです。
 今、日本の特別性が盛んに主張され、美術、言語、食習慣、技術、などが世界中で高く評価されています。そのような流の中で、「普通の国」になることにどのような魅力があるのかと思います。「普通」というの は自衛だけではなく、戦争ができることと定義されているようです。人材が訓練され、武器を集めますと、使用したい気持ちが露わになります。なぜ、がっかりするかと言えば、これまでの日本は、歴史の教訓を生かし、経済力、国民性を生かし、新しい国際関係の先頭に立つようにと望んで来たからです。
 聖書が述べる平和は、負け犬のあきらめや無力さという「平和」ではありません。むしろ、力があり、先を読み取るからこそ、選びとる平和への道です。アジアにおける隣人愛の構築は、まず、皆にとって何が良いかを考え、どれほどの知恵と忍耐と精神力が必要となるかを確認することです。平和の主神様の前に、祈りながら、選び取る道があります。


ハンキンス 師

2014年8月3日 御言葉の力

2014年08月09日 21時50分49秒 | Weblog
御言葉の力

 ご存じのように、デボーションとは、静まって、聖書を読み、思いめぐらし、祈る時を言う。時間にして、約15分もあれば、それはできる。キリスト者になって、ずっと習慣的にそうしている方もおれば、日々の生活の多忙さにできないできた、という人もいよう。
 朝起きてすぐにその時を持つ人もいるし、寝る前に行うと言う人もいるが、寝る前は祈りながら眠ってしまうということもあるので、やはり、朝起きてすぐというのがいいかもしれない。私は、仕事前に牧師室で行ってきたが、最近妻と朝起きてすぐに行うようになった。同じ御言葉に与りながら、妻は励まされるといい、私は責められ、悔い改めを迫られていると感じたことが最近よくあった。
 それはそれで、立場やおかれている状況が違えば、御言葉の響く強さも変わってくるだろう。生きて働かれる聖霊は、一人一人に異なって与えられるのである。デボーションを行うことで、神様は確かに私の従うべきお方であること、私を支え、正しい道に導かれるお方であることがわかる。神様に愛されているといった実感が欲しいのなら、デボーションの時を持つことだ。神様は、語ってくださる。教えてくださる。導き、包んでくださる。
 それでも、神様は、ときにとても厳しいお方であることを私は知った。来年度からの新しい試みを前に、神様に真実に信頼し委ねることを求められている。そして、悔い改めるべきこと、成すべきことを示されている。


平良師

2014年7月27日 自国への思いだけでも・・

2014年08月02日 23時19分03秒 | Weblog
自国への思いだけでも・・

 私は、かつて、自分のことしか考えられないキリスト者だった。そのとき、教会の多くの皆さんに祈られていたのだと思う。それから、いつしか教会のことも考えられるキリスト者となった。それでも、それは結果的には、教会を建て上げるというよりも、そこでも自分こそ正義といった思いを優先させていたのだと思う。
 それから、牧師になって、教会を建て上げるということが、どのようなことなのか、少しわかってきた。主のために考える、主の御心を考える、そのようなことを心がけるように少しはなっただろうか。それでも、まだまだ主の前に謙遜することの足りない者である。そのうち、日本のキリスト教事情を憂うようになり、自分の教会だけのことを考えていてはいけない、日本全体にもっとキリスト教が広がり、そして、根付くようにならないものか、そのような祈りを強く抱くようになった。
 しかし、S兄ご夫妻のカンボジア伝道の思いを共有させていただく中で、私は、日本だけでなく国外への伝道のことも考えざるをえなくなった。これまでの私は、キリスト教の不毛の地、日本こそ地の果てであり、この日本に集中して力を注ぐべきだと思ってきた。
 ところが、このご夫妻のカンボジアを思う姿勢もさることながら、私たちの教会に、日本人だけでなく、台湾、韓国、米国、キューバの兄弟姉妹たちが加えられて、彼らの日本人を思う愛と伝道の姿勢に、今、励まされ、教えられているのである。


平良師