いろいろな目の中でも
最近、いろいろなスポーツでビデオ判定がある。審判自らが判断つきかねる場合、ビデオ判定に持ち込むこともあるが、審判が下した判定に対して、プレーヤーや監督などが異議申し立てをして、ビデオ判定をしてもらえる。テニスやバレーの試合でも、ジャッジを申し立てると、ビデオなどでプレーやボールの位置を確認して、それによっては、判定が覆されることもある。これにより、さらに正確な判定ができるようになったので、この審判方法の導入は歓迎されている。
ところが、昨日の広島と阪神の試合、広島の攻撃で本塁打のあたりが、審判の誤審で三塁打になった。それに広島が抗議して、ビデオ判定をしたのだが、それでも結局三塁打との判定は覆らなかった。ところが、試合が終わってから、再度確認したところ、本塁打だったことがわかった。
しかしながら、試合は成立してしまっていたために、結果は覆らなかったのである。現在、セリーグは、上位3チームの混戦となっており、阪神はこれによりかろうじて首位をキープした。ビデオを見ても人間は間違いを犯す。
ところで、現在、人の目以外に、ネットの動画やビデオ、監視カメラなど、いろいろな目がある。その目でも、私たちは、多くの情景や現場を見ることができるようになった。そして、同時に見られている世界に住んでいることもわかる。どれもこれも、こわい気がする。しかし、神様の目は、温かくもあるが、これ以上にこわいものはない。
平良 師