自省の言葉
これから約半年にわたり2015年度からの新教会組織体制案について、考えていただくことになる。大いに議論し、私たちの教会の群れの形が、それぞれにとって、納得できるものとなるように努めていこう。
教会は、イエス様のものだから、イエス様が喜ぶものとなるように考えていこう。イエス様は、救いの確かさから遠く離れている人々を招かれた。私たちは、私たち自身を満足させるためではなく、まだイエス様を知らない人々へ、イエス・キリストの福音を伝えることを最優先し、十字架の罪の赦しと復活の希望へと、導く働きをイエス様から託されている。これからの話し合いは、とても楽しいものであって欲しい。
それぞれの意見を戦わせるときにも、反対意見の応酬があったとしても、そうであって欲しい。感情的になることもあろうけれど、よく相手の話を聞いて、一旦は、それを呑み込んで、それから自分の意見を述べることにしよう。特に私などはそうでなければと思っている。人は、とかく、自分が一番の知恵者であり、常識人であると思いがちだ。誰よりも配慮に行き届いていると思っている。
しかし、現実は、そのような人に限って、結構、色々な人を傷つけているものだ。自分が義と思えば、相手を裁くことは容易だ。強硬に意見を述べたあと、そんなことが言えるような者ではないことに、はたと気付くことはないだろうか。私は四六時中である。もっと謙虚にならねばと思っているがまだ足りない。
平良師