タイミングを逃さない
救いに与ることは、幸いなことだ。これは、神様からの招きを断らなければ可能となる。祈ることはできる、という方は、すでに信仰を得ている人だ。なぜなら、神様の存在を受け入れているからだ。しかし、その神様が、どのようなお方なのかをある程度理解した上でのこと。それは、どこそこ神社の神様でもなく、仏さまでもない。私たちを造り、イエス・キリストを私たちのためにこの世に賜った全知全能の唯一の神様である。簡単に言うならば、聖書に記されている神様だ。
しかし、その理解は、ある程度でよい。神様については、キリスト者になってから、天に召されるその時まで、一生かけて求め続けることになるからだ。それで、バプテスマを受けるときには、おおよそのことが理解できていればよいのである。それに、生涯学び続けても、理解し尽すことはないだろう。大切なことは、救いのタイミングを逃さないことだ。神様は、その人その人に最も相応しいときに、救いの時を用意されている。こんな早くに、という人もいれば、こんな年齢になって、という方もおられる。
それぞれに与えられている時というものがあって、バプテスマ(浸礼、洗礼)もまた、その一つなのだ。神様の招きをどのように感じるか。あなたは、わたし(神様、イエス様)に従って来なさいと言われたようで、従って行きたいと思うようになった。イエス様の十字架が、この私のためであったと信じられる、そういうときがその時である。
平良師
救いに与ることは、幸いなことだ。これは、神様からの招きを断らなければ可能となる。祈ることはできる、という方は、すでに信仰を得ている人だ。なぜなら、神様の存在を受け入れているからだ。しかし、その神様が、どのようなお方なのかをある程度理解した上でのこと。それは、どこそこ神社の神様でもなく、仏さまでもない。私たちを造り、イエス・キリストを私たちのためにこの世に賜った全知全能の唯一の神様である。簡単に言うならば、聖書に記されている神様だ。
しかし、その理解は、ある程度でよい。神様については、キリスト者になってから、天に召されるその時まで、一生かけて求め続けることになるからだ。それで、バプテスマを受けるときには、おおよそのことが理解できていればよいのである。それに、生涯学び続けても、理解し尽すことはないだろう。大切なことは、救いのタイミングを逃さないことだ。神様は、その人その人に最も相応しいときに、救いの時を用意されている。こんな早くに、という人もいれば、こんな年齢になって、という方もおられる。
それぞれに与えられている時というものがあって、バプテスマ(浸礼、洗礼)もまた、その一つなのだ。神様の招きをどのように感じるか。あなたは、わたし(神様、イエス様)に従って来なさいと言われたようで、従って行きたいと思うようになった。イエス様の十字架が、この私のためであったと信じられる、そういうときがその時である。
平良師