春 に
春という季節のありがたいことは、これから何かが、また新たに始まるという気持ちにさせてくれることだ。そういった意味では、日本の春は、イースターにふさわしい。若い人々の初々しいスーツ姿や引越しの車が止まっているのを見ると、ここにもこの町で新しく生活を始めた人がいると思う。
そこで、伝道の予感が生まれるならいいのだが。大方、引越して最初に訪問を受けるのは、新聞屋さんだ。さすがに時を得ていると思う。それに比べて私たちは、あまりにも無頓着である。引越して来たばかりの人は、孤独で寂しく神様を求めている人かもしれない。
それとも、そんな人ならいずれ教会に来るだろうと、待っていたらいいのだろうか。ありとあらゆる時に伝道を行う人をみる。私もできない。牧師自らができないことを信徒の方々へお勧めすることも気が引けるのだが、否、そのようなことを言い始めると説教一つできなくなるので、だからお互いに努めましょうというスタンスで言うのだが、ここがその時だと思えるなら、神様の愛、イエス様のことを臆せずお伝えしよう。
「何ごとにも時があり・・」とコヘレトは言っている。春は、人々に何かを新たにチャレンジさせてくれる多くの「時」が用意されている季節ではないか。私も気持ちを新たにして、牧師の仕事に臨みたいと思う。
おりしも、桜は満開、色鮮やかな花があちこちに咲き乱れ、何かへのチャレンジを促し、新しい門出を祝っているかのようだ。
平良師
春という季節のありがたいことは、これから何かが、また新たに始まるという気持ちにさせてくれることだ。そういった意味では、日本の春は、イースターにふさわしい。若い人々の初々しいスーツ姿や引越しの車が止まっているのを見ると、ここにもこの町で新しく生活を始めた人がいると思う。
そこで、伝道の予感が生まれるならいいのだが。大方、引越して最初に訪問を受けるのは、新聞屋さんだ。さすがに時を得ていると思う。それに比べて私たちは、あまりにも無頓着である。引越して来たばかりの人は、孤独で寂しく神様を求めている人かもしれない。
それとも、そんな人ならいずれ教会に来るだろうと、待っていたらいいのだろうか。ありとあらゆる時に伝道を行う人をみる。私もできない。牧師自らができないことを信徒の方々へお勧めすることも気が引けるのだが、否、そのようなことを言い始めると説教一つできなくなるので、だからお互いに努めましょうというスタンスで言うのだが、ここがその時だと思えるなら、神様の愛、イエス様のことを臆せずお伝えしよう。
「何ごとにも時があり・・」とコヘレトは言っている。春は、人々に何かを新たにチャレンジさせてくれる多くの「時」が用意されている季節ではないか。私も気持ちを新たにして、牧師の仕事に臨みたいと思う。
おりしも、桜は満開、色鮮やかな花があちこちに咲き乱れ、何かへのチャレンジを促し、新しい門出を祝っているかのようだ。
平良師