平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2011年12月19日 クリスマスのプレゼント

2011年01月17日 16時58分49秒 | Weblog
    クリスマスのプレゼント
 クリスマスには、どうして、プレゼントをするのだろう。歴史的には、いろいろとありそうだが、私は、こう考える。神様が、私たち人間を愛し、独り子イエス様をこの世にくださったのがクリスマスだから、私たちもまた、このとき、その神様のなさったみ業に感謝し、神様がなさったのと同じように、他者に送り物をして、愛を届けるのだろう。
 そのときできることなら、その贈り物に手紙など添えて愛を届けて欲しいものだ。先日からいろいろな折に吹聴しているのだが、そうしなければ、ひょっとしたらもらえないかもしれないという恐れもあってのことではなく、単純にうれしくて言っているのだが、今年は、妻がクリスマスプレゼントを私にしてくれるという。それが何と、赤い釣り竿だ。
 まだ還暦ではないが、カンゲキ!これで赤い鯛や青い魚を釣ることになる。ある方の場合、還暦の祝いにお連れ合いから真っ赤な1000ccの大型バイクをプレゼントされたという話を聞いたことがある。おそらく宝くじか何か当たったのだろう。私は、釣竿で十分だ。否、釣竿がいい。
 彼女曰く、「これで、人間を獲る漁師としてのお仕事にさらに精進なさることでしょう・・ガハハハ」。恐ろしいことである。これまで「よかよねえ、あんたばかり遊んでねえ~」と言っていた妻だから、その真意のほどをはかりかねている。しかし、素直にお受けしたいと思う。クリスマスプレゼントなのだから詰まっているのは無償の愛だろう。


平良師

2010年12月12日 大名伝道がもたらすもの

2011年01月10日 00時17分21秒 | Weblog
    大名伝道がもたらすもの

 今度できる大名の建物は、まずは「パイプオルガンのある教会」として、おぼえてもらえることだろう。その他にも、いくつかの目玉が欲しい。金、土曜の昼、夜、日曜の早朝、昼など、若者、サラリーマン、OLを考えての礼拝や集会を行っている教会。また、スモールグループを行っている教会。それから、就園前の子育て中の若い母親たちの共同保育、コンサートやイベントなどもよくなされている教会等々。普通の教会にはないものを大名の教会は持っている、行なっている、そう思ってもらえるとうれしい。
 大名だからできることがある。また、大名にはこれこれのものは必要だ、そういうものもあろう。大名という地域に合った伝道がある。福音を届ける方法もある。予想だにしなかったうれしい展開になるかもしれない。建物が完成してから5年のうちに、大名だけの献金で、大名における活動費がまかなえるようになると喜ばしい。
 それは、2012年の4月に活動が始まったら、2017年3月には、経済的な自立が達成されているということだ。私たちには、大きなヴィジョンが与えられている。それも確かなものなのである。まだまだやらねばならないことがある。
 平尾教会につながっている者たちは、そう思わされている。私たちは、神様から何をいただいたのかと考えるとき、「伝道の喜び」をいただいたのだと思う。また、人生の「やりがい」、「生きがい」といった恵みも倍加されたのではないだろうか。


平良師

2010年12月5日 今年も成長なき者か

2011年01月06日 21時53分15秒 | Weblog
     今年も成長なき者か

 一年が終わろうとしている。今年もまた、一年の最後の月となった。あっという間だった。私は、1月1日が誕生日なので、一年を始めたり、終えたりするのに、切りがいい。来年で56歳となる。残念なことであるが、ゴーゴー(55)となるはずのこの一年を振り返って思うことは、ほんとうに、成長なき私であった、ということ。
 妻と結婚して、30年の歳月が過ぎたが、これほどの忍耐力(愛する力)が自分にあったのかと、先日しみじみと思ったのも束の間、今日は、相変わらずの青二才だという思いになって、がっくりきている。妻を相手に喧嘩をしなくなったときに、私は、ようやく一人前の大人になったということになるのだろう。
 その点では、死ぬまで、大人になれそうにない。この日も、お客さんと会っているのに、ずかずかと部屋に入ってきて、OOさんの電話番号教えて、という。10分待ってくれと言っても、待てないときた。今、お客さんが来ているのがわからないのか、とちょっと息を殺しつつ、声を荒げたが、動じる風もなく、こっちも困るのよ、などと。お客はどう思ったことか。
 そして、牧師室を出て、またちょっとした言い争いになって、横を見るとF兄が焦点の定まらぬ風であった。それから、何人かの御婦人が玄関に出てきて、こちらを見ることもなく黙って外へ出ていかれた。最近、ようやくこのような失態を演じなくてすんでいたというのに。神様ごめんなさい・・で、私も終わろうとしている。


平良師

2010年11月28日 時代に応える教会

2011年01月04日 21時22分28秒 | Weblog
     時代に応える教会

 教会が変わらない場合、私は何かが滞っていると考える。風通しが悪くなっているか、どこかの力が衰えてきているか、新しい力が注がれないでいるか、マンネリ化してきているか、などである。一生懸命努力しているのだが、という場合は、その方法が的をえないでいるということである。
 ところが、教会は、神のご支配におかれている所であって、すべては、神様にお任せすればよいのであるから、極端なことを言えば、祈ること以外は必要ないという方もいよう。それは、もちろん、私たちの信仰の論理では全く正統なものであって、結局はそこに帰っていくしかないのである。
 しかし、今の礼拝形式も始まった当初は、実に新鮮なものだったはずである。その時代だったからこそ、爆発的に受け入れられていったということがあろう。ヨーロッパの諸教会に人が来ず、日本の教会が一向に1%未満であるというのは、時代にフィットしていないことを物語っているかもしれないのである。時代に応えようとしないのは、神様に対して誠実であると言えるだろうか。
 来年度から始まる都市型伝道の最前線となるであろう大名での宣教は、まさに時代に応える教会作りというコンセプトから始めなければならない。元来、教会はいつの時代にも応えうる所であるはずなのである。福音の伝え方や讃美の内容も今の時代の人々に届くような語りや表現の仕方があるだろう。しかしながら、いつの時代も変えてはならないものもある。


平良師

2010年11月21日 旧友との再会

2011年01月02日 15時50分15秒 | Weblog
     旧友との再会

 その友は、息子が持ち帰った平尾小前で配布したこども集会のチラシがなにげなく目にとまり、そこに牧師平良憲誠の名前を見つけた。なつかしくなってメールしてきたのだった。
 思えば、彼とは郷里で保育園時代から小学校、中学校まで同じだった。保育園以来、中学3年生のときに初めて同じクラスになった。私と同じ2003年から福岡に来ているという。再会は、30年ぶりかもしれない。私がまだ山梨にいるとばかり思っていたようだ。
 昨日、その友と会った。仕事のこと、家族のこと、郷里のこと、話題は尽きず、将来は会社を興して、ずっと福岡にいることになりそうだと言った。彼は、毎日、体を動かすことで調子を保っていて、私にも勧めてくれた。彼は、中学生の頃は剣道部だったからか、今だに姿勢がよい。顔立ちも、端整である。声にも張りがあって、会社の部長さんだ。保育園時代に描いたひまわりの絵を憶えている。自分だけで描いた彼の絵には味があり、先生が手伝ってくれた私の整ったものは、つまらなかった。禅に関心をもった時期があるという。なつかしいあれこれの話しをして、別れた。今度は私が釣りに案内することにしている。
 教会のアドヴェント・コンサートには、お連れ合いをお誘いしようと思う。1枚の教会行事のチラシを通して、神様が旧友との再会を果たしてくださった。これからこの友人との間に、私は神様のご意志をみることになるのだろうか。我々には偶然はないのだから。


平良師