平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2011年9月4日 創造的で楽しい仕事

2011年09月17日 18時30分08秒 | Weblog
    創造的で楽しい仕事

 キリスト者(キリスト教徒)のことをクリスチャンという。クリスチャンの定義は、どのようなものだろうか。イエス様を教会という公の場で、救い主と告白し、このお方に従う決心をし、教会の群れに加わった人。そのように言うことができるだろうか。もっと正確な表現の仕方があるかもしれない。
 イエス・キリストの弟子たち、という言い方もできる。私たちは、復活のイエス様から、「すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」との宣教命令をいただいている。
 キリスト者には、この宣教命令に生きていくという使命が与えられている。教会の群れは、このことを実践する中で、喜びに満たされることになる。キリスト者としての喜びは、数多くあるが、この喜び以上のものはない。弟子というのは、師匠の言うことに耳を傾け、師匠に従い、師匠のまねをするものだ。その師匠の教えの第一は、神様を愛しなさいということであった。それも、全身全霊を注いでということであった。
 次は、隣人を自分のように愛しなさい、というものだ。この二つのことを意識しながら生活すればよい。そして、具体的なことは聖書から学ぶ。私たちが、伝道するのは、まさに、こうしたイエス様のお弟子さんがたくさん生まれることにある。そして、伝道の業は、創造的で楽しいものである。


平良師

2011年8月28日 生と死を信徒とともにする牧師

2011年09月16日 18時44分04秒 | Weblog
  生と死を信徒とともにする牧師

 8月5日午前2時7分に妻の母SYは天に移された。2時少し前に容態が急変し危篤との電話がウィズ長丘からあり、妻とともに急いで駆けつけたが、すでに彼女の呼吸は停止していた。いち早く彼女の部屋に来てくださっていた老人ホーム専属の医師によって、彼女の死亡は確認された。92歳7ヶ月の生涯であった。
 「平良先生に電話しなくては」と妻が言った。「えっ」と私は驚き、「先生への連絡は朝まで待ったほうがいいんじゃないの」と言った。「いいえ、先生は何時であってもすぐに連絡するように、とおっしゃられたから」と彼女は言い、ケイタイを取った。2時半すぎに平良先生ご夫妻が駆けつけてくださった。そして聖書を読み、お祈りをしてくださり、そのあとすぐに葬儀社に連絡をして、遺体を教会まで運ぶ手筈を整えてくださった。
 看護婦さんと妻が遺体をきれいにしている間、私たちはロビーで待ちながら葬儀の予定などについて話し合った。「先生を呼ぶのは朝まで待ったほうがいいのでは、と私は言ったのですが」と平良先生に言うと、「そう配慮してくださる方が時々いますが、やはりすぐに連絡してくださったほうが嬉しいですね」と先生は言われた。4時近くになって私は、葬儀社の車がホームを見つけにくいかもしれないと心配して、ひとり外に出た。人一人通ることなくシーンと静まり返った道路の脇に立ちながら、「そうか、牧師という仕事はここまでやるものなのだ。たとえそれが真夜中であろうとも、生と死を信徒とともにするのが牧師なのだ。
 事実平良先生は、夫人とともに何度となく母を見舞ってくださり、死にゆく者とその家族とともに常にいてくださった」、と私は深く感動していた。そのとき、真っ暗な空を、赤い火の玉がスーと走った。無事に葬儀社の車が到着して、遺体を教会に運び、その安置が済んだときには、東の空はかすかに白んでいた。「お二人も少しは眠って休んでくださいね」と言って、私たちは教会をあとにした。
 平良牧師はそのあと、告別式のプログラムを整え、説教の準備をしてくださった。そして告別式は土曜日で翌日の礼拝説教の準備もあられたにもかかわらず、残された遺族の心の内奥に届くすばらしい告別式の説教をしてくださった。私は、牧師を養成する神学校の教師をしておりながら、牧師の何たるかを、身内の者が亡くなったこの時に、これまで以上に深く教えられた思いがした。深謝。


青野師