平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2005年7月17日 恐怖と安心

2005年07月18日 22時44分57秒 | Weblog
恐怖と安心

 神様をこわいと思う。神様はすべてをご存じであるから。偽りもごまかしも、このお方には効かない。体裁を繕っても無駄だし、虚勢を張っても、平静さを装っても意味がない。私たちは、このお方の前に、顔と顔とを合わせるようにして、生かされているのである。
 こちら側は、神様の存在をいつも意識していることはないが、神様の方は、私たち一人一人をおぼえ、私のすべてを刻々とご存じでなのである。今日何がうまくいき、うまくいかなかったのかも、喜びや、或いは、落胆した事柄の数々をご存知である。
 すべてを知られているということは、そのお方の前ではありのままの自分でいるしかない、ということだ。これはこわいことであるけれども、楽なことでもある。私たちの多くが、ありのままの自分でいることができるのは、家族の前だけだ、そう答えるだろう。
 否、家族にも見せたくない一面があるものだ。神様に自分の弱さも醜さも、愚かさも、すべてを知られていることはありがたいことだ。だからこそ、このお方には、自分のすべてをお委ねしていけるのだ。私たちは、多くのことに恐れを抱く。失敗をするかもしれない、自分が自分でおられなくなる予感。
 しかし、どん底で支えてくださるお方がおられる。その不安な思いをすべて委ねるとき、神様は助けてくださる。神様はこわいお方であると同時に、安心できる唯一のお方だ。神様だけを畏れるならば、あとのことは、おそるるにたりない。


平良師