神様のお恵みを信じる
主の祈りのなかで、教えられていることは、「私たちに必要なパンを、今⽇私たちにお与え下さい(マタイ岩波訳)。今⽇必要な分だけの⾷べ物を、今⽇与えてもらったら、それでいい、明⽇の分まではいらない、そういう祈りだ。2016年度の教会財政をみる時、本当にそうだったのだなあ、と思う。それでも⼗分に感謝なことである。
決して⼩さくはない⼆ヶ所の建物を管理維持し、⼆⼈の⼈件費を払っていることを思うとき、私たちの教会は精いっぱい献げたのである。前年度まで蓄えていたものを取り崩して、成り⽴っていた会計状況であったが、その蓄えが2016年度はなくなり、まったくの2016年度だけの献⾦で運営したのである。
2013年度から始まった2カ所で、⼆⼈の有給の牧師をおいての教会運営は、当初は、2年間は⼤丈夫との⾒込みであったが、それが、5年⽬を迎えているのは、神様の⼤きな恵みであり、励ましであろう。
残念ながら、対外献⾦は⼗分にできなくなったが、それでも、そのような中で精いっぱい献⾦したと思いたい。会計を担当された⽅々のご苦労と捧げられた祈りを思う。1年間の献⾦だけで、何とか運営が可能となったことをまずは喜ぼうではないか。削り、節約する⽅向性も⼤事にしなければならないが、献⾦はあるからするのではないことはご存じのとおりである。まずは、約束したものを聖別し、残りの物で⽣活をするようにすれば、降り注がれる恵みはさらに⼤きなものとなる。
平良 師