平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2006年2月12日 会堂完成記念日にあたり

2007年03月31日 23時37分24秒 | Weblog
  会堂完成記念日にあたり

 会堂もまた伝道をする。私たちの建物は、よくできている。最初見たとき驚いた。こんな上品な礼拝堂は、バプテストの教会には他にないのではないか。また、細部にわたってよくできているし、施工会社も丁寧な仕事をしていると思った。
 教会員一人一人の熱い思いや祈りが込められている、愛情溢れる会堂である。この会堂を建てるまでには、いろいろな話し合いが積み重ねられたことを聞いている。場所の移転のことも考えた時期があったという。そして、建築をするまでに多くの時間と労力を要した。
 その会堂も、今年で11年になる。この一年も教会の活動以外に、外部の方々の使用もたくさんあった。よく用いられ、伝道に寄与した。また、バリアフリーのやさしい建物である。教会に来ようと思えば、何歳になっても来られる会堂だ。これからも大切にしたい。以上のようにハード面はよし。
 あとは、中味の問題、ソフト面だ。建物は十分に伝道している。中にいる私たち教会の群が、神様の子どもにふさわしい香りを放っているか。
 来られた方々を精一杯の気持ちで歓迎しているだろうか。優しい人たちだと、温かく心地よいと、そう思ってくださっているだろうか。この群の仲間にぜひとも加わりたいものだと思われているだろうか。
 これが、キリストを信じる人たちなのだと、証しできているだろうか。建物はすばらしいが、中にいる人たちはもっとすばらしいと言われて、イエス様を喜ばせたいと思う。


平良 師

2006年2月5日 根本の事柄

2007年03月30日 17時02分38秒 | Weblog
     根本の事柄

 「根本的な対策をせず、目の前の情況にだけ、応じて処置すること」を対症療法という。私のこれまでの教会形成の理念は、どちらかというと対症療法に傾いていた。それは間違いだったとは思わない。教会の課題に応えることは、教会が成長していくために必要である。
 それぞれの課題に一つ一つ丁寧に取り組んでいくことで、自ずと教会は成長していく。ただ、折々の根本的なことの確認が少々足りなかったのではないかとの反省がある。
 教会の存在理由、その意義は、はっきりとしていると思っていても、皆が、そのように考えているかは何度も確認する必要があるのではないか。中心になるべきことを中心に据えるならば、教会で起こる多くの問題は、優先順位が正され整理されるはずである。
 まず教会は、イエス・キリストの福音によって、一人でも多くの人を救いへと導くためにある。教会は、その救いを世の誰よりも願い、祈り求めている。それは、主イエス・キリストから与えられている使命だからだ。そのために、教会は許されるどのようなことをもする。
 そして、救われた者は、自分の救いで満足するのではなく、イエス・キリストの福音を今度は他者へと伝え、教会へと招き、そして、自分と同じように救いに与ることを真剣に願い、祈るのである。
 これが、教会の根本的な事柄である。私たちはいろいろなことでつまずき、教会がわからなくなったときには、いつもこの根本の事柄に戻らなければならない。


平良 師

2006年1月29日 誰とくびきを共にするのか

2007年03月29日 16時23分00秒 | Weblog
   誰とくびきを共にするのか

 くびきとは、二頭の家畜をつなぐときの首にはめる道具のことだ。今でも所によっては、農機具などを引っ張るときに用いられている。
 先日、あるIT関連会社の社長以下三名の幹部が逮捕されるという事件が起きた。逮捕前に、一人の命が失われた。それまで飛ぶ鳥をも落とす勢いで成長していたかに見えた彼にとって命とも言える会社のイメージはダウンし、株価は暴落の一途をたどっている。
 出る杭は打たれるというような言い方をされていた彼だが、間違ったことをしていたからいろいろと非難されていたのだということを今こそわかって欲しいと、誰かが言っていた。彼がやっていたことは一種の詐欺のようなものだったのか。誰かが、彼を諌めることをしてあげてたらと思うが、一緒にくびきを共にしていた者たちも考えていたことは同じだったのだろう。
 さて、わが国の首相とアメリカの大統領も、どうもくびきを共にしているように見えてならない。米軍再編のもとで、日本が、最前線の司令部になる日も近いとある人は言う。それに向かって双方の準備が整いつつあるそうだ。
 パウロは、不釣合いなくびきにつながれてならない、正義と不法にどんなつながりがあるか、光と闇にどんなつながりがあるか、信仰と不信仰にどんなつながりがあるかと問うている。
 イエス様は、わたしのくびきを負いなさい、と教えられた。「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」と。くびきはイエス様と共に。


平良 師

2006年1月22日 もういいではないか

2007年03月28日 21時55分25秒 | Weblog
   もういいではないか

 もういいではないか、と言いたくなるときがある。筋の通った話をこんこんと聞かされていると、そんな気になる。もし、それができるなら、イエス様の十字架なんていらなかったじゃないか、と。弱く、どうしようもないから、バプテスマを受けたのだし、教会にも来続けているのだ。
 教会は、癒しをいただくところだ、やすらぎを感じるところだ。イエス・キリストの懐に飛び込むところだ。この一週間を振り返り、正義がなされなかったことを訴えるのもよし、恵みの薄さに嘆くのもよい。私は、ひょっとして、この言葉を最近さかんに言っているのかもしれない。
 「もういいではないか」と。疲れているのだろうか。そんなんじゃだめだ、ともう一人の私が言う。疲れるも何も、まだ、あなたは何もやっていませんよ、と。誰かが、弱って、疲れて、痛んで、倒れるとき、そこに自分も一緒にいて、何もできないで、ただ祈るだけで、それしかできないから仕方がないのだが、励ましの言葉一つも出てこないときもある。
 自分に言い聞かせる言葉は、「ああ、ああ、もういいではないか」というあの諦観にも似た言葉だ。何がいいのだ、何もよくない。何一つよくない。神様何とかしてください。主にあって、「もういいではないか」は、ないだろう。主に望みをおいていないのか。主を信頼しないのか。でも言いたくなるのだ。「もういいではないか」と。
 それともこれは、すべてはもう主に委ねるしかない、そういう叫びなのか。


平良 師

2006年1月15日 やってみます

2007年03月27日 23時29分46秒 | Weblog
     やってみます

連合結成50周年の記念式典が9日にあった。
 当教会からも25名の参加があり、6名の方々が信仰暦50年ということで紹介された。記念礼拝のなかで連祷というものをしたのだが、E.A君が小羊会を代表して、女性会のあとにお祈りをした。
 小羊なりに神様への感謝と伝道しようという気持ちのこもったお祈りだった。連合女性会から小羊会の方は、平尾教会から代表を出して欲しいという話がきた。A君に話をしたら「やってみます」と言ってくれたのだ。
 あとでわかったのだが、他の教会にも当たったがいい返事をもらえなかったようだ。すがる思いで平尾に声をかけたらしい。歩君は、すぐにやってみます、と言ってくれた。
 ペトロが夜通し漁をして何の収獲もなかったとき、イエス様は、その落胆しているペトロにもう一度漁をしてみなさいと言われた。彼は、イエス様のお言葉だからというので、再度挑戦してみたところ、おびただしい数の魚が網にかかっていた。
 私たちには、主からのお導きと思われることは、やってみましょうという態度、チャレンジすることが必要であることを教えられる。歩君もおびただしい恵みをいただいたことだと思う。
 吉田先生の話では、連合は50年前、三つの教会、七つの伝道所で年間166人のバプテスマが与えられたという。2004年42の教会・伝道所の合計は、106人だったそうだ。社会の諸事情もあるが、主のためにチャレンジしようという思いがさらに求められる時代だ。


平良 師

2006年1月8日 箱根駅伝

2007年03月27日 00時18分44秒 | Weblog
      箱根駅伝

 いつの頃からか、正月の二、三日に行われる箱根駅伝をテレビで観るようになった。結構なドラマがあって、たいくつはしない。駅伝だから、たすきをつなげていくことがいかに大切であるかがわかる。
 たすきがつながらなければ、失格となり、すべてはお仕舞いだ。今回も、順天堂大学が、あわやというところで、たすきが切れるところだった。九区間を走っていた者が、脱水症状を起こしたのだ。それでも、意識もうろうとなりながら最後まで走りとおして、たすきを最終ランナーに渡すことができた。
 目頭が熱くなった。四位という成績だった。もし、たすきをつなぐことができなければ、来年は、予選会からのスタートになり、ひと苦労するところだった。10位以内であれば、シード校ということで来年度も無条件で参加できるのだ。一人20キロ前後を走るのだが、どんなドラマが待っているか、わからない。
 マラソンは、私たちの人生のようだ。一年間かけて準備してきて、本番に臨むわけだが、その日の体調が不調であったり、ペースに無理があったり、出だしはよかったのだが気温が上がり、それに体がついていけず脱水症状を起こしたりと、いくら万全を喫しても成績がよくないこともある。その逆もあろう。
 私たちの信仰も、受けて次の人に渡す、そこまでが一つの仕事だ。バトンを受け取った者は、自分なりの走りを続けていくことになる。恵みと思える時もあれば、そうでな時もある。ひたすら走り続けるだけだ。


平良 師

2006年1月1日 2006年は、2006年も、2006年こそ

2007年03月25日 22時47分05秒 | Weblog
 2006年は、2006年も、2006年こそ

 年の初めに、今年の抱負を聞かれることは多い。しかし、先日テレビを見ていたら、最近、下流層という人々がいて、経済的な枠組みというよりは、やる気を失っている人々のことを指すのだそうだ。
 しかし、日本のどこを向いても閉塞感が漂っていて、そのような気持ちを持ったとしても、それはいたしかたないだろう。
 夢を描くことのできなくなった民は、滅びていくと聖書にはあるが、日本が危ない。地方の過疎化は進んでいて、数千の日本の集落がここ数年で消えたという。
 抱負というのは、欲望のままにというのではなく、少々計画的に将来のことを見据えてあれこれをしたいということだが、将来に対する夢を描くことが困難な時代だ。
 教会はどうだろうか。建物が古くなってきたから、そろそろ建て替えなければというのは、これは迫られての話。教会の夢を語ろうとするなら、それはやはり伝道にかける夢なのである。そして、この私たちの夢は一致できるのである。
 どうやって教会に来ていただこうか、どうしたら、相手に福音を理解してもらえるだろうかと考えると、いろいろな考えが浮かんでくる。しかし、自分の生活がしっかりと成り立たないうちは、教会どころではないという方もいよう。
 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」とはイエス様の言葉。この言葉は単なる慰め、励ましなのだろうか。今年もまた御言葉に賭けてみるしかない。


平良 師

2005年12月25日 2005年のクリスマス、そして、年の終わり

2007年03月24日 10時20分41秒 | Weblog
2005年のクリスマス、そして、年の終わり

今年のクリスマスを私は忘れないと思う。
 2005年、平和な日本が、崩れ始めていく一歩を踏み出した年である。これまで日本がほんとうに平和であったかと聞かれると、細かにみれば、そうではなかったというしかないが、少なくとも戦後60年たっても、直接にはどの国とも戦争をすることもなく過ごしてこられたという意味で平和だった。
 戦争をしなかったという点で平和だった。否、私たちの国は、したくてもできないように自らに歯止めをかけてきた。法的な装置があった。これからはわからない。状況は一歩戦争へと進んでいる。できる体制が整えられつつあるからだ。
 イエス様がお生まれになったとき、占星術の学者たちが、ユダヤ人の王になる方の星を見出したといって、エルサレムにやってきたと記されている。星が救い主誕生の知らせであった。
 サインだった。サインがでても、多くの者は気づかなかったのだろうか。否、気づいていた人々もいただろう。天気さえよければ星空はきれに見えていた時代のことだ。星の研究をした人々は山ほどいたのだろう。
 しかし、彼らだけがやってきた。時代のサインは出ていたが、かけつけた者は少なかった。彼らは、飼い葉桶に寝かされている無防備で弱いイエス様を拝した。これが平和の君である。私たちの国は、平和の君ではなく強力な軍隊を拝もうとしている。


平良 師

2005年12月18日 Mさんの歌

2007年03月23日 23時03分47秒 | Weblog
     Mさんの歌

 読売新聞2005年11月26日付けの一面コラム「編集手帳」は、現代の歌人Mさんの歌集『薄荷色の朝に』(短歌研究新人賞受賞作)から、「犀よ犀その厚き皮膚を給えかし憎しみも雨も円く弾かん」を引用していた。
 かつての私の「キリスト教学」の受講生であり、現在は毎日新聞の生活家庭部のデスクである彼女の名前を見出して、とても嬉しかった。そしてその直後に、彼女の第二歌集『鳥女』(本阿弥書店)を入手することができた。


「こまごまと報告すればユダのごとき後ろめたさが胸上り来る」
「取税人マタイの孤独思いおり憎まれ役の仕事もありて」
「人のミスをわがこととして謝ればマルタよマルタ汝のさみしさ」
「気ままなるマリアの無邪気羨めどシャドーワークは会社にもあり」


 彼女の現在の仕事の厳しさを垣間見させられて、身につまされる思いを抱きながら、「この中の一首でも、悲しんでいる人の心に届けば嬉しい」(あとがき)との歌人の想いが心に沁みる。一読して、こうしたまとめ方ははなはだ失礼かとも思いつつ、擬声語的副詞の用い方の巧みさに驚嘆した。

「無意味なる塩基配列見てあればはららはららと桜散るなり」
「くらぐらと蘇り来る記憶かな海馬は絶えず何か吐きおり」
「しんねりと愛することは嫌いにてキーマカレーの辛さ楽しむ」
「まはだかの子をひたと見る青年の骨などくわっと現れんかと」
「一日の疲れと熱を帯びる服ずだだとハンガーより滑り落つ」
「反抗期の子を嘆きつつ同僚は親子丼わしわしと食う」
「ひったりと愛し合いたるマイマイの互いに卵産むを恐れぬ」


 これらの歌に触発されて、20数年前の彼女との出会いを想い起こしつつ、駄作を一首。「由利子です自由の由と権利の利ですとすらりと言いし口もとの潔さ」

青野 師

2005年12月11日 良い物

2007年03月22日 22時03分37秒 | Weblog
      良い物

 「急がば回れ」ということわざがある。
これは逆説的な言葉である。「安物買いの銭失い」、これもまた同じ。どちらもよく考えると的を得ていて真理と言える。急ぐのであれば近道をすればいい、安物を買うとお金を使わないで済むから金は貯まるはずだ。
 しかし実際は、急ぐあまり小さな道を近道と思って行くと混んだり迷ったりで、少々距離は長いが大きな道を行った方が早かったということがある。安物は、すぐにだめになって、また買わねばならなくなり、結局は高くつく。人生長く歩めば、これらのことわざが全く真実だと思うだろう。
 3年前、ちょっと良い靴を買った。私はO脚なため、すぐに靴の外側のかかとが磨り減る。その靴が気に入ったのは、最初から外側のかかとの部分が斜めにカットされていたからだ。
 O脚である私は、すぐにかかとの外側が磨り減ることに、これまで何とも言えぬ屈辱感をおぼえていた。その靴底を見たとき、すっとしたのである。ずっと昔から求めていた物に出会った思いだった。
 奮発して買った。履くほどにいい。裏底が幾度が剥げたが接着剤でとめた。かかとの部分が磨り減ってきて、修理に持っていったら、これは修理できないと言われた。
 そこを何とか頼み込んで直してもらった。自分が気に入っているので、捨てがたく、何とか使える状態に持っていっているだけの話じゃないか、と言う人もいる。そうかもしれない。良い物は、持ち主を動かすのである。人と神との関係は如何に。


平良 師