平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2010年5月16日 奉仕の新しいエネルギー

2010年07月23日 22時51分38秒 | Weblog
    奉仕の新しいエネルギー

 神様が、私たちに与えられている賜物は、人それぞれであるが、それをイエス様のために用いようと数多くの信徒が思い、実際に教会で奉仕の場が与えられるとき、その教会は豊かに祝され、力溢れる教会となる。
 教会に来るようになって間もなくても、キリスト者になったばかりでも、転入会したばかりでも、それぞれに奉仕できることがあるのはうれしい。教会ほど、新しいエネルギーを必要としているところはない。もし、新しいエネルギーを欲しない教会であるなら、その教会には、今朝のような五月のさわやかな風は吹いてこないだろう。
 私たちの平尾教会は、常に新しいエネルギーを喜ぶ教会でありたいと思う。五月の週報のカットは、J.S兄が、お忙しくなられたので、M.H姉が描いてくださったつつじの花である。まず、J.S兄のこれまでのご奉仕に感謝したい。J.S兄は、めぐる季節の草花に目を留められ、時間を割いて、長きにわたりご奉仕してくださった。そして、M.H姉の新たなる奉仕を喜びたい。
 もし、気持ちのある方がいて、現在の平尾教会には、奉仕の場がないのであれば、是非、その人のできる新しい仕事を提案していただきたい。できるだけ多くの人々が、教会においては、イエス様の福音宣教のために、自分の働き場所や仕事を確保していただきたいのである。その奉仕は、教会でなくても、家で祈るという形もあるので、皆が何らかの形で、奉仕に与ることはできるのである。


平良師

2010年5月9日 変革はここでも求められている

2010年07月13日 17時11分53秒 | Weblog
   変革はここでも求められている

 国民の多くが、変革か、或いは、変化を求めて、現政権が誕生したのだが、最近の支持率は下降の一途をたどっている。経済事情は、期待したほどには変わらず、沖縄の基地問題も解決には、ほど遠い。首相は、誠意ある人柄のように見える。つまり、結構、自分の非や愚かさを認める発言をしたり、頭を下げていると思う。一国の首相なのに、それだからよくないのだ、と言う人がいるが、これまでの首相は、そのようことはほとんどなかったのではないか。
 しかし、リーダーは、結果が出なければ、その責任は問われなければならないのだろう。夏の参議院選では、どのような事態になるだろうか。残念なことは、このまま情勢が変わらないのなら、国民は、今後、どの党に期待すればいいのか、どの人を信頼していいのか、わからないということだ。失望感がさらに日本を覆うことになる。
 日本バプテスト連盟の信仰宣言の中には、「国家も神の支配の中にある。・・教会は国家に対して常に目をそそぎ、このために祈り、神のみむねに反しないかぎりこれに従う」とある。しかし、この宣言も厳密に言うと、いったい何をみて、神のみむねに反していると考えるのか、合格点をどうはじきだすのか、何の基準もないのである。
 ところで、ドイツでは、この一年でキリスト教からの脱会者が55万人あったという。国家どころの騒ぎではなく、教会自身の変革がむしろ急務なのだ。日本も同じではないだろうか。変革は足元からだ。


平良師

2010年5月2日 一人ひとりの必要と教会全体の必要

2010年07月13日 17時08分22秒 | Weblog
  一人ひとりの必要と教会全体の必要

 私たちの理想とする形は、教会員一人ひとりが必要(例:キリスト者としての成長)とするものと、教会全体が必要(例:教会の成長)とするものが、互いに競い合うのではなく、互いに補い合うということだろう。
 これは、信徒の方々の一人ひとりがいただいている賜物が生かされる形で、教会の形成が図られていく、そういう形を意味する。賜物は、聖書にあるように、神様が一人ひとりに恵みとして与えておられるものだから、それらを比べて、優劣を考えることはいらない。いただいている賜物を感謝し、生かして、できる奉仕をしてくださるのがよいのだろう。その一人のご奉仕が、教会を豊かにし、教会に力を与え、群れの一人ひとりの励ましとなるのである。
 もし、教会員のすべての人々が、否、教会に来られているすべての人が、何らかの形で、キリストの体なる教会のご奉仕を担われるならば教会は、どんなにか力溢れるものとなるだろうか。そこは、一人ひとりが神様からいただいている賜物を感謝し、用いている場所になっているから、聖霊のお力で充満しているはずである。
 ただ、その賜物は、一種類であってはならないだろう。つまり、皆が牧師である必要はない。むしろ、多様なものが互いに力を合わせ、調和を保っている状態がいいのだろう。私たちは、互いが互いを必要としている群れである。神様とのゆるぎない縦の関係が軸にあり、そして、互いを愛するという横の関係で結ばれているのである。


平良師

2010年4月25日 4月22日は何の日

2010年07月08日 00時27分04秒 | Weblog
    4月22日は何の日

 4月22日は、「よい夫婦の日」だそうだ。それじゃあ、私たち夫婦には関係ないな、悪い夫婦だものね、と言っているのはどなただろう。よい夫婦の日に、ラブレターを贈る夫婦もあるそうだ。長野県の嬬(つま)嬬恋(ごい)恋村では、「キャベツ畑で愛を叫ぶ」という行事をこの日にしていて、「○○○さん、愛しているよ~」と叫ぶのだそうだ。村長自らご自分の妻の名を呼んで、手本を見せていた。

 テレビを見ていた妻が、「あなた、聖書にまだ何も書いてないねー、いつ書くつもり、もう書かんでよか!」と急に怒りだした。昨年、誕生日に、表紙が革の聖書をプレゼントしたのだが、表紙の裏に、贈る言葉を書くと言ったきりで、そのまま今日に至っていたのである。

 しかし、書かなくてよかったかもしれない。それというのも、礼拝や祈祷会の後、黒の革表紙の聖書がそのまま放置されていることが度々あって、それを見るたびに、あ~あと力が抜けるのである。もし、そのたびに誰かが気づいて、あれ、誰かがこんなところに聖書を忘れている、誰のかしら、と言って中を開いたとする。そうすると、そこに、「私の○○の民枝へ、・・憲誠より」などと出てきたら、牧師忘れられてかわいそう、そう思わないだろうか。悪い夫婦の例から学んで欲しい。

 ところで、神様は、私たちにしつこいくらいに、「あなたを愛しているからね」と聖書の中で言われている。歴史上、最高のラブレターである。この方にも、否、この方にこそ応答しようではないか。


平良師