平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2017年7月16日 多様性と自由が認められる教会

2017年07月23日 18時34分10秒 | Weblog
多様性と自由が認められる教会

 私たちの教会が目指している教会の形は、つくづく大きな試みなのだと思う。多様性と自由という点において、多くのものは大目に見られ、受け入れられていく。礼拝を守ること、奉仕をすること、献金をすることなどは、教会員としての責任ということもあるから、多様性を重んじるといっても、いい加減でいいということではない。
 しかし、ねばならない教会生活を当教会の教会員は、過ごそうとは思わないであろう。もちろん、そうした信仰のありようも、多様性の一つとして尊重される。神様との関係だけで、各々に与えられている信仰に従って、奉仕も、礼拝出席も、献金もなされるはずである。先週の説教でも語ったように、神様は、十分の一の捧げ物を聖別して、私の倉に納めるように言われている。
 そして、私を試してみよ、と言われる。大きな祝福を与えると約束されている。この言葉を信じて、そうされる人もいれば、感謝と喜びのうちに十分の一にこだわることなく、精一杯を献げる方もいる。しかし、多様性と自由を認めるということは、決してその人のありようを非難することがあってはならないのである。
 もし、当教会で非難されるべきことがあるとすれば、その人が自分のありようを絶対化して他者を非難したり、攻撃したりするときだけである。イエス様が、「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、霊に対する冒涜は赦されない」と言われたごとくであるかもしれない。


平良 師

2017年7月9日 政治に対してキリスト者は

2017年07月23日 18時31分02秒 | Weblog
政治に対してキリスト者は

 これまで、57議席もあったG党が、23に議席を減らし、6議席だったT会は、55議席を獲得した。G党は、選挙期間中も防衛大臣の愚かな応援演説があったりと、それは予想以上の逆風に見舞われたということだ。おまけに、応援演説をした人が、「こんな人たちに」負けるわけにはいかないなどと、自分に対してヤジをとばした人々に向かって言ったものだから、非難はさらにエスカレートした。
 今回の選挙では、選挙期間中、否それ以前から、G党の閣僚や議員が、憲法違反、法律違反、倫理的にはどうなのか、と問われる発言や行動もあったために、これらのことが敗北の要因になったとも言われている。それはそうだと思う。もし、これでこれまで通りG党所属、あるいは推薦の議員が大半を占めることになれば、それこそ、この国はお仕舞いだろう。
 57議席が23議席になったのは、至極当然の結果であった。ところで、キリスト者たちは、こうした選挙のときに、いったいどのような姿勢で臨めばいいのだろうか。ある宗教が、ある政党と深い結びつきをもっているのは自明のことになっているが、私たちは、教会がどこかの政党の支持をすることはない。それは、あくまでもそれぞれの信徒の自由である。
 そして、それぞれの信仰に立って、候補者の主張する内容をよく吟味して選んでいるはずである。私たちは、政治から切り離された所で信仰生活をしているわけではないから、政治にも関心を持ち責任を果たす。


平良 師

2017年7月2日 やはりそうだったのか!

2017年07月23日 18時28分25秒 | Weblog
やはりそうだったのか!

 宗像の大島に行くと、漁港の売店に大島産のアカモクという海藻が冷凍状態で売ってある。あるとき、友人のKさんから、これはおいしいですよ~と言われて買ったことがあり、家でポン酢で食べてみると、ねばりけが山芋以上で、味もまあまあだったので、ときどき買って帰っていたのだが、何げなく今朝のテレビを見ていたら、このアカモクが、東北岩手のある漁師たちの間で評判となっているというのだ。
 このアカモクを食べやすく加工して販売したところ、仰天するほどに売れて、今では家を新築したり、トラックを買った漁師さんたちも現れているということだ。それまでは、漁船のスクリューや漁網などにからまって邪魔者扱いの海藻で「くずモク」とか「クソタレモク」とか呼ばれていたという。
 しかし、こうなるとこのアカモクを求めてお客が殺到して、それまでは、300円くらいで売られていたものが、倍以上に高騰することも考えられ、密かに楽しみにしていた者にとっては困ったということになるが、大島の漁師さんたちにとっては願ってもない事態がこれから訪れるかもしれない。
 こんなお話は、ひょっとしたら、あちらでもこちらでもあるのだろう。それまでも、その価値は変わることなく存在していた。もともと神様の創造したものだから。あるとき誰かがその存在や価値に気づいて、ちょっと手を入れただけで、その存在はさらに光輝くようになる。聖書ではイエス様に出会った人々がそうであった。


平良 師

2017年6月25日 人の過ちを赦すことは難しいけれど・・

2017年07月23日 18時22分42秒 | Weblog
人の過ちを赦すことは難しいけれど・・

 パソコンで、文章を作っているときに、誤ったキーをたたいて、変な言葉がでてくることがある。ところが、ときどきそれを見て噴き出してしまうことがあるだろう。それは、こちらの方が、ひょっとしたら言い得ているかもしれないと思うからだ。例えば、「人は皆希望に至る」というのを「人は皆死亡に至る」と誤って打ったとする。
 文脈からどう考えても「希望」としか理解できない場合でも、人は皆、いずれは死にゆく存在だから、こちらの方がリアルである。そのように、瓢箪から駒がでるといった具合で、意外な言葉が出て、それが妙に前後の文脈のなかで、おもしろい解釈となって、それでいながら何となく真実を言い当てているように思えて笑いがでる。
 そんな「パソコン誤打によるおもしろ言葉・文章集」とかいったものを発行したら、売れるかもしれない。今日のニュースで、ある女性議員が、誕生日カードを50人近くの支持者に誤って送った秘書に激怒し「ハゲー、死ねー」などと暴言をはいたり、頭を殴打したというので話題になっていた。女性議員としても謝罪に奔走しなければならなくなり、恥をかかされたと気持が納まらなかったようだ。
 私が「ハゲー」などと怒鳴られたら、心臓麻痺で卒倒するだろう。最近、年だろうか、文章を作っていてやたらと間違いが多い。失敗によって時に出現する陳腐な言葉の出会いを楽しみながら、これからもこれで文章を作るが、間違いがあってもお手柔らかにである。


平良 師

2017年6月18日 お勧めの映画だった!

2017年07月23日 18時18分36秒 | Weblog
お勧めの映画だった!

 「神の小屋」という映画の試写会があって観てきた。ある意味では、キリスト教の布教を意図した映画であるが、実に、タイミングがよかった。それは、先日の青野先生の出版講演会と翌日の説教に相通ずる内容が随所に見られたからである。天地創造のときからの人類に注がれている無条件の神の愛、それがテーマの一つであろう。
 あらすじは、「妻と子ども3人と幸せに暮らしているマックは、休日にキャンプへ出かけるのだが、溺れそうになった娘ケイトを助ける間に、末の娘ミッシーが誘拐されてしまう。大捜索が行われるが、数時間後に荒れた小屋で、末娘の血に染まったドレスだけが見つかった。それから4年後、ミッシーの遺体さえ発見できず、深い悲しみから抜け出すことができないマックへ、奇妙な招待状が届く。
 『週末にあの小屋に来ないか。パパより』と。悩んだあげくマックは意を決し、一人であの小屋へ向かう。その忌まわしき事件現場で出会った不思議な3人の人物。彼らは三位一体の神だった。彼らは、マックの人生の真実を解き明かしていく。神はなぜ不幸を見過ごすのか。赦しと愛と天国への希望の物語」、以上はパンフレットの言葉。
 この種の映画にはめずらしく贖罪も身近な形で描かれている。また、三位一体の父なる神は黒人の女性である。この映画は、多様性と自由を愛する当教会の教会員は、おしなべて観て欲しいと思った。9月に福岡でも放映されるとのこと。感動すること間違いなし。


平良 師

2017年6月11日 教会へようこそ!

2017年07月23日 18時12分54秒 | Weblog
教会へようこそ!

 平尾バプテスト教会にようこそおいでくださいました。私たちの教会は平尾と大名にそれぞれの会堂を持つユニークな教会です。平尾会堂では子供たちが奏でるチャイムの演奏から、小さなパイプオルガンと共に歌われる賛美歌もあり、子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで幅広い年代の方々がおられます。
 大名の会堂では地域の方々が来やすいように賛美もバンドスタイルでギターやベースやドラムなど、色々な楽器を用いてみんなで賛美をしています。聖書も印刷されたものを渡したり、玄関にウェルカムする人が立っていたりと礼拝に参加する人を歓迎して、初めて教会を訪れてくださる方々に「教会に来てよかった」と思ってくださるように準備しています。夕方の礼拝もあり、さまざまな窓口がありますが、どの窓口でもあなたが来てくださることが私たちの喜びです。
 私が教会の門を初めてくぐったのは長崎バプテスト教会でした。当時は高校生で、後輩と土曜日に散歩をしていたところでした。川沿いにある道から見える玄関と礼拝堂のそれぞれのドアは開かれており、礼拝堂の奥にかけてあったイエス・キリストの架かっていない十字架が見えました。その自由さと不思議さに惹かれて入っていったことが始まりでした。
 教会で読まれる聖書の言葉や賛美はみなさんにとって不思議に思われますか?クリスチャンの生き方や人柄に何か感じることがありますか?聖書の言葉は色々と謎も多く、全てを解き明かすのは難しいのですが、ここに書かれていることや信じられていることは、私たちの心を豊かにし、恐れや不安から私たちを自由へと導いてくださいます。ぜひ続けて私たちの教会へお越しください。次回もこころからお待ちしています。


森 師

2017年6月4日 同じキリスト教の枠組みの中にいる者であるが

2017年07月23日 18時08分01秒 | Weblog
同じキリスト教の枠組みの中にいる者であるが

 同じキリスト教徒でも、聖書から何を聞いているのか、何に耳をふさいでいるのかで、表面に現れる言動は違ったものになる。どこかの国のキリスト者Tもどこかの国の無神論者(否、何かは信じているのかもしれない)Kも同じように見えてきた。
 一方が、ミサイルを飛ばして、甘くみるんじゃないと言うと、一方も同じようにミサイルを飛ばして、よく考えてみるんだなと言う。これが、子供同士の喧嘩の威嚇ならまだしも、こんな愚かな指導者たちによって人類が滅びることになったらたまらない。そして、おそらく何百年も、否、もっとそれ以上、他の動植物や地球環境も多大な被害を受けることになる。
 とにかく神様から預かった地球そのものが台無しなる。そして、わかることは彼らにその責任をとれるはずもないことだ。Kについては、ただ国民が気の毒としか言いようがないのだが、Tについては、これは同じキリスト者として複雑である。先の選挙では、米国の白人の福音派の81%がTに投票したとのことだ。腹心のP氏は、選挙中も祈りを忘れることのないTであったとニュースを流した。
 ただし、少しだけホッとしたのは、選挙中サザン・バプテストのニューリーダーであるM氏が、Tに不支持を表明したことだ。私たちはとかく自分の都合のいいように聖書を理解しがちだ。聖書から変えられること、時には、弾き飛ばされる自分もまた喜ぶ勇気を持たなければならない。もちろん私も含めてのこと。


平良 師