平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2003年12月14日 しげみ、彼の名はヤンキー

2006年11月30日 20時46分53秒 | Weblog
   しげみ、彼の名はヤンキー

次のようなパフォーマンスを見た。ざっと次のようなものだ。
 初めに、飴玉を会場に投げる。「おいしいから食べな。俺の名は、しげみ。人は俺のことをヤンキーと呼んでいる。ヤンキーを皆は、知っているだろう。ちょっとこわい感じのつっぱったお兄さんだ。そう、俺の名は、しげみ。人は俺のことをヤンキーという。
 しかし、俺は、ほんとうは、正義を愛しているんだ。それから、友情もだ。」そして、また、飴玉を投げる、ちょっと力を入れて、当たったら痛いかもしれない。「おいしいから食べな、この飴は、ちょっと危ないか。」投げながらクスクス笑う。
 「そう、俺の名はしげみ。人は、俺をヤンキーというが、ほんとうは、正義を愛し、友情を重んじる男だ。しかし、こんな俺のことを誰も理解してくれない。俺の名は、しげみ。人は俺のことをヤンキーという。ときに、ブッシュとも。」
 観客の中には、「しげみ」と聞いた時点で、なるほどあのブッシュ大統領のことかと、最初から事の真相に気付いている。しかし、私のようにピンと来ない者は、ヤンキーって、本当は孤独で、寂しい人なんだ。ほんとうは、正義を愛していたり、友情を求めていたりしているんだ、と真面目に考えている。飴もくれたりして、やさしいんだ、と。
 ところが、最後のブッシュで、からくり扉でも開いたかのように、おおーと、こんな皮肉が込められていたのかと、うならせる仕組みである。聖書の解き明かしも、時には、こんなふうにドキッとできたら、聞いている方もきっと楽しいのだろうが。


平良 師

2003年11月30日 血が騒ぐ時と場所

2006年11月29日 23時21分28秒 | Weblog
    血が騒ぐ時と場所

 不思議なほどに、ひとは、こだわり場所と時をもっている。その場面になると、人が変わってしまったかにみえる。ここは、それほど、こだわるところじゃないのにと思うが、本人にとっては、だまっちゃおれないのだ。
 今回、連盟の宣教会議に出席して、やはり自分はこういう場所にくると、血が騒ぐのだなあ、この点になると、だまっちゃおれない性分なのだと思い知らされた。
 はじめのうちは、平尾教会という名前を背後に負っている者として、自覚して冷静さに努めたけれど、最終日になると疲れも出てきたのだろうか、かなり興奮して熱く語ってしまった。平尾教会の名を汚すことになっていなければと願いたい。
 そして、なぜ、人はそこにこだわるのかと言うと、その領域は自分の専門分野だったり、また、その面では、成功した、失敗したとかいう体験を持っていたり、問題が、長年のテーマだったりするのである。
 そして、他人の発言を聞いて、もっと要領よくしゃべってね、とか、時間を独り占めしてはいけないよ、とか、ああ何と大人気ない発言であることよ、などと、多くの人は心の中で思っている。
 私も神学生時代に、ピラニアというあまりうれしくない称号をもらった。一度食いついたら離れないということらしいが、今は、当時に比べると気が長くなって、これでいいのかと思うほどだ。
 なかに、否定的な意見を肯定的に受け止めて、建設的な発言をなさる方がいる。うまいなあ勉強しなきゃと思う。イエス様に砕かれている者としての謙遜な姿勢を私も学びたい。


平良 師

2003年11月23日 京都八幡市、KT姉の住む町

2006年11月28日 23時57分04秒 | Weblog
 京都八幡市、KT姉の住む町

 東福寺、一条、五条、墨染、とかいう駅名を見ながら、やはり京都だなあ、と思った。秋の風情をと、貪欲に車窓からそれらしい風景を捜すが、ここにもそれはなかった。何せ、この季節というのに、プラットホームに立っているだけで汗ばむ。結局、KT姉の病院に着いたのが10時10分。
 KT姉は、お元気だった。右足が悪いのでそれをかばっていたところ、左足が疲労しすぎて、骨がだめになったのだそうだ。脛のあたりから、膝の少し上まで、人工骨を入れる手術だった。手術は局部麻酔だったが、心臓にペースメーカーが数年前から付けられていて、必死になって、呼吸をしていたと言われた。呼吸をしなかったら死ぬしかない。来年も永眠者記念礼拝に出席したいと思って、祈って一生懸命に呼吸していたそうだ。
 教会からのお見舞いの色紙を渡した。KT姉は、小躍りせんばかりの喜びようでいらした。私の目でもわからないくらいの色紙の人の顔を、一人一人これは誰さんですねと、確実に言い当てられ、エピソードなどもなつかしそうに話された。Y兄やT姉、K姉のようすを報告すると安心して、顔がほころんだ。
 最後に、あらっ、この真ん中の人は誰ですかとお尋ねがあった。見ると私だった。「ワハハ、私としたことが」とばつが悪そう。両手で歩行器を押しながら送ってくださったその足取りからは、来年の永眠者記念礼拝も大丈夫。京都八幡市、人は岩清水八幡宮のある町というが、私たちにはKT姉の住む町。そのうち長寿日本一の女性の住む町として有名になるかもしれない。


平良 師

2003年11月16日 秋月に行って、秋好きになる

2006年11月27日 16時44分57秒 | Weblog
 秋月に行って、秋好きになる

 人によっては、季節や天候の変化によって、体の調子が悪くなってしまう。私のことを人はどう見ているだろうか。タフと思っているだろうか、軟弱と映っているのだろうか。正解は、タフなときもあれば、軟弱なときもある、である。
 季節で一番嫌なのが、実を言うと今だ。秋。秋はいけない。どうもいけない。何がいけないかというと、憂鬱になる。あなただけではない、と人は言うだろう。一般的に人は、秋には憂鬱になるものだ、と。
 ノー天気という言葉が流行った。つまり、いろいろな事柄に鈍感で、意に介しない人のことを言うようだ。しかし、ほんとうにそのような人がいるだろうか。一見、鈍感そうに見えている人も、妙なところで、結構神経質だったり、物事にこだわったりするものだ。要するに大切にしているところが違うのだろう。
 吹き出す方もいようが、私も若い頃、この季節は、よく詩ができた。やはり、吹き出してしまっただろうか。吹き出しついでに言えば、その詩を何と妻に奉げた。先日、夜中にふと起きて、紅葉の中の渓流の風景を思い出した。釣り場には、私しかいない。でかい岩魚を必死に釣り上げようと格闘している。滝の下で、水しぶきが上がっている。
 「秋月」に明日、教会のシニア会の方々と紅葉狩りに行く。「秋月」は、一度行ったことがある。いい所だった。また、詩が浮かぶだろうか。せいぜい、だんごを食べて、ギャグの一つも浮かべばいい。否、自然の中に神を見よう。


平良 師

2003年11月9日 思い悩むな

2006年11月26日 22時17分59秒 | Weblog
     思い悩むな

マタイ6章27,34節
 わたくしは生まれつき心臓が弱い。弱いというより軽い欠陥がある。小さい時、小学校の生徒の頃、朝礼が少し長くなると脳貧血を起こしてよく倒れたものです。その頃は両親もどこが悪いのかわからず、医師に診せても「大した病気ではない」ということで、栄養剤(おそらくビタミン剤のようなもの)を飲まされていた。
 中学に入ってマラソン(約2km位)があるといつも後から数人のグループになっていた。海軍航空隊に志願して毎日駆け足をした時もとてもきつく、つらい思いをした。それでも何とか訓練には耐えることができ、敗戦となり復員、軍隊生活から解放された。
 中華人民共和国の青島から帰国後、当時の中学校に戻り、医学部に進学した。医師になって自分の心臓に軽度の異常があることに気がついたが、大きな障害ではないので、現在まで過ごすことができている。年がすすみ、不整脈がひどくなり、今年の8月末手術を受けたが、やはり心臓の手術を受けるということは大きな悩みであった。
 マタイによる福音書6章34節にあるように、何も思い悩むことはないと思っても、信仰の弱いわたくしは、明日はもう目が醒めないかもしれないと心配したものである。他人の手術については「何も心配なさらなくて大丈夫ですよ」と申し上げるのに、自分の時は腹一杯心配するとは恥ずかしい限りである。
 “そういう人間だから親しみが湧く”とおっしゃって下さる方がある。憎い人だ!いや嬉しい人だ!


  松村 師

2003年11月2日 得をしたという喜び

2006年11月25日 22時08分24秒 | Weblog
    得をしたという喜び

 ダイエーホークスが優勝した次の日、近くのスーパーが安売りとなって、1000円の握り寿司が、500円だった。それっというわけで、妻が買ってきた。得をしたと思う。近道を教えてもらったときも、得をしたと思う。お客さんが来て、とある店に入ったときのことである。
 そのオーナーが、これはどこそこ産の米で、米を炊くときの水は特別の水で、能登のなまこはこんな具合で、味噌汁の具は何で、どうだこうだと、説明をしてくれたのである。そうすると、何となくリッチな気持ちになって、とても得をしたような気になった。自分は、今日は、たまたまだったけれど、こういう店に入ってよかった。教会にはじめて来た人が、今日は得をしたような気がする、こうした感情を持つことは、はたして悪いことだろうか。
 教会は、得があるから来るというようなところではないことは確かだ。しかし、得をしたと思っていただけると、うれしいではないか。それでは何が得になるのか。今の自分にとって、ためになる話であった、気分がよくなる話であった、うれしい人との出会いがあった、そうしたこともあるだろう。
 しかし、やはり一番は、あなたも神様に愛され、救いに与っている人であり、生まれる前から今日に至るまで、神様におぼえられている人で、キリストはあなたのためにも十字架にかかられたのだ、ということを知ること以上に得をしたと思うことがあるだろうか。誰もが福音のこの喜びに与って欲しいと思う。


平良 師

2003年10月26日 表面的にはおなじでも

2006年11月24日 22時33分52秒 | Weblog
   表面的にはおなじでも

 表に出ているものは同じように見えても、その中味が随分と違うということがある。形の整った野菜は多いが、肝心の味となると、そうはいかない。肥料や水の関係もあるのだろうが、昔に比べると匂いや味の薄い物が多いように思う。しかし、手間隙かけて、努力し、生産したものは、少々値段は高くても、安全でおいしいものに仕上がっているはずである。何事もそうだと言えないだろうか。
 教会の場合も。同じ行事をしても、そして、そこに来られた人々の数はほぼ一緒でも、その行事が、数人でなされた場合と、多くの人々の祈りと知恵と手間隙がかかった場合とではどうだろうか。
 まず、行事を支える人々の層の厚さと意識は違うことだろう。それは迎える側に身をおいて、来られる方々を心待ちにし、来られた人々への心遣いなどにも差が出ることだろう。行事の主催者は教会であり、教会の実態は、私たち平尾教会の一人一人なのである。
 私たち一人一人が、迎える者の立場にある。例えば、今度の教会コンサートも定期総会で決議したことを音楽委員会がさらに詳細をつめ準備をしている。伝道委員会で案内を郵送し、先週は、多くの方々でチラシを地域に配った。
 しかし、加えて大切なことは、一人一人が、この行事の主催者であることを自覚し、知人や友人や家族に、心からコンサートの案内をすることだと思う。イエス・キリストの福音宣教のために行う行事であるから、主の力が注がれているのである。


平良 師

2003年10月19日 ファミリーキャンプを発展させて

2006年11月23日 23時29分51秒 | Weblog
 ファミリーキャンプを発展させて

ファミリーキャンプを終えて、最初の夜の祈祷会。
 話題は、感動についてだった。私のまとめ方では、言葉足らずで、それぞれの皆さんの真意を欠くとは思うが誤解を恐れず書くとすれば以下のようだった。
 O兄は、エマオ途上の二人の弟子が、復活のイエス様に出会って心を熱くさせられたところで、自分は、復活を実感できたと語られた。そのとき、主が共におられることがわかったというのである。
 S兄は、復活のイエス様に、自分は毎日のように、職場で会っていて、とても恵まれていると語った。S兄は、障害を持っている子供たちの学校の教員をされている。
 感動というのは、喜びだけではない、苦しい人生にもまた、感動はあるとは、医療に長く携わって来られた松村牧師の話。
 O.T兄は、自分の人生を振り返ったときに、不思議な神様の導きを思い、感動せざるをえないということだった。妻は、信仰の友と心を通わせる出会いは感動だと言った。
 B兄は、エチオピアの宦官がフィリポからバプテスマを受けたというところに、彼の素直な応答や聖霊の働きに、感動をおぼえたとのこと。
 そう言えば、私も、教会の先輩たちの信仰には感動をおぼえる。どれもこれもよく考えると、「主にある感動を創造する教会」というテーマのヒント、或いは材料となりそうだ。
 教会ではイエス様との出会いが感動の第一。それは、あるときは、人の営みや存在の中にイエス様や聖霊の働きを見出すことであるだろう。イエス様との出会いに心が震え、決断へと導かれることでもあるだろう。


平良 師

2003年10月12日 現場をしばし離れると

2006年11月22日 19時51分32秒 | Weblog
   現場をしばし離れると

 現場を離れると、自分の立っているところや行っていることが、とても客観的に見えるということがある。旅をするとそうだ。今まで自分はこんなことをしていたのか、あの人との関係はこういうことだったのか、実に不思議なほどに、テレビか何かでも観ているような感覚で、もう一人の自分を見つめられるのである。
 そして、意識していなかったあれこれに気付くのである。遠くへ行けば行くほどに、そうだろう。そういった意味で、今日からの南阿蘇で行われるファミリーキャンプは、私たちにいったいどのような現在の教会の姿を見せてくれるだろうか。大事な事柄を大事にしているだろうか。課題をはっきりと見たい気がする。いろいろな角度から見たいと思う。
 それを見たら、それに向かって、何をなすべきかがわかるだろう。どこらに力を注げばいいのか理解されるだろう。どういう教会の歩みをしていけばいいのかが、示されるだろう。あらかじめ用意していた事柄と大きく違う何かが、見えてくることを期待したい。
 具体の一つもこのキャンプから生まれることを願う。明日の教会を考えることは、これは実に信仰的な事柄だと思う。これは夢をみることであり、夢を語ることであり、希望を語ることである。そして、その実現へ向けて、旅することである。この歩みこそが、信仰ではないだろうか。南阿蘇への旅は、とても小さな旅だが、大きな夢をつかむかもしれない。


平良 師

2003年10月5日 空っぽになった一日

2006年11月21日 23時09分20秒 | Weblog
   空っぽになった一日

釣りに行く前の夜は、眠れない。興奮して眠れない。
 朝四時に出発した。釣り場は、山口の松浦というところだった。ふぐとあじを養殖しているいけすを囲んでいるいかだの上で、外側を向いて釣った。海は、秋晴れのさわやかな風が吹いて、爽快だった。何度も海に落ちそうになったが、いけすにかけてある鳥よけの網で助かった。
 小鯛とバリとカワハギとアジとベラが釣れた。めあての二年もののアジは、三匹しか釣れなかったが、バリと小鯛は、十数匹釣れた。昼前からあたりがほとんどなくなり、午後2時には上がった。ヒラメ目あてに、アジ子をエサにして置き竿をしていたが、上げてみると、口の部分だけが残っていた。
 このヒラメは、かなりの大物だったに違いないと、師匠は、残念そうに語った。途中、港の防波堤で、アジ子を釣って帰った。古い宿屋の小さな温泉にも入った。
 帰りは、私が運転することになっていたが、しばらくして睡魔が襲ってきたため、師匠が代わった。昔から師匠の運転は、かなりのものだ。カーブになっても、速度がほとんど落ちず、遠心力で体が外側に傾いてしまう。そのたびに、ハッとして目が覚めた。黒崎のあたりから、また私が運転した。
 師匠の家について、一段落してから、魚をさばいた。私はアジ子だけだったが、師匠は、残りすべてを手際よく片付けた。次の日、師匠から妻に魚の食べ方についての指導があった。すべてが空っぽになった一日だった。自分を空っぽにして、すべてを主に委ねられたら、どんなにいいだろう。


平良 師