深い静寂
飛行機が福岡空港に到着する前、うたた寝をしていたのだろうか、気がつくと何も聞こえなくなっていた。それは、風邪気味だった私の耳が、気圧の変化に対処しきれなくなっていたからだと思われる。とても不思議な体験だった。サーという音はしているのだが、その音以外には何も聞こえない。エンジン音も聞こえ ない。しかも、機体の揺れ一つない、エンジンが止まってしまって、ただ静かに空をゆっくりと飛んでいるような、浮かんでいるといったそんな感覚だった。
福岡の町の明かりが、間近に迫ってくるのだが、いつもよりもゆっくりゆっくりといった感じだった。不思議に、恐れや不安はなく、むしろ神様のぬくもりを思った。ほとんどの人々は眠っていた。
実際は、これはどういうことだったのだろうか。まさか、エンジンが止まってしまっていたわけではないだろう。もし、そうであったなら、こんな大きな鉄の塊はすぐさま落下してしまうに違いない。それでも確かに、 沈黙の世界に包まれていた。すべては、こちら側の体の具合がなせるわざだった。神様の与える状況は同じものでも、そのときの体調やおかれている状況によって、捉え方や理解の仕方が、まるっきり違う場合がある。
神様は、私たちにありとあらゆる方法を用いて、そのご意志を伝えようとされる。私は旅行の三日目から体調を崩し、ロサンゼルスの青空とは対照的でどんよりして いた。それでもすべてのことを主に委ねられたのが恵みだった。
平良牧師