考える基
私たち信仰する者たちは、真の神様のことは疑ってはならないが、人の作り出すものは、普通に疑ってもよいと考えている。ただし、真の神様とは言え、これもまた人間が説く神様の姿だから完全とは言えないことを念頭におかなければとは思う。人の作りだすもの、具体的な形を持つもの、他に制度とか概念とか、それらは完全ではない。
だから、宗教改革も起こった。私たちのバプテスト派も生まれた。バプテスト派の教会運営は、監督制や長老制とは違い、万人祭司の会衆主義であるというのは、私たちバプテスト派にはとてもうれしいことだ。これは、上意下達式にことは運ばず、すったもんだの末、何事かを決めるということを意味する。だから、会議などは民主的教会運営をする上では、とても大切なものとなり、欠かすことはできない。
しかし、教会にやすらぎを求めて来られている方々もいるのだから、こうした方々への配慮も忘れないでおこう。それから、各個教会主義の民主的な教会運営は、教会の委託があり、委託された者にその召命感があれば、事は多くの場合、成り立つ。
それでも、教会の秩序やこれまでの体制から解き放たれて物事を考えることは難しく、常識の範囲とか無難にといった具合で事が進められることが多い。極端にこれまでの秩序から逸脱しないようにと、自己規制をかけることもある。こういうとき、イエス様だったらどうしたのだろうと考える所から始める。すると、多くは可能となる。
平良 師