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愛情を受ける
共同保育のこどもたちを見ていると、やはり人間の子供はすばらしいと思う。欲しい物があると、奪い合いになるが、相手が泣いたりすると、そのときは奪い取っていても、しばらくすると返すか、ごめんねと言いに来る。人間の子どもは、共同保育のような小集団でも、一緒に生活してすったもんだが発生し、それが繰り返されていくうちに、相手を思いやる心も次第に育っていくようだ。
動物は違うだろう。本能のままに動く。アメとムチで、しつけがされて、幾分か、ものわかりのいいように思えるのだが、それらは、条件反射のようなもので、心の動きではないだろう。人間の子供は、小さいうちから、次第に相手の気持ちを推し量ることができるようになるからすごい。
しかし、これもまた、愛されることを知らなければどうだろうか。共同保育の子供たちは、どの子も親に愛されていることが、よ~くわかる。思いやりを示すことがどの子もできる。人間の子供は、愛されることで育つのである。愛が、すべての栄養分である。愛情を注いだ分だけ、愛の深い人間に成長するだろう。
ところが、その愛情を受けることの上手な子と不器用な子がいるから、不思議である。我が子をみてもそれがないとは言えない。十字架は万民のためのものだが、神様もまた、神様の愛情を受けるに素直で上手な者もおれば、下手くそな者もいることをご存知なのではないだろうか。ペトロは、上手で、ユダは、下手であったのかもしれない。
平良師