ちょっと詠んでみました
この季節に平尾教会を楽しませてくれる二本の木々があることは、教会の皆もよく知っている。甘夏とアーモンドである。甘夏は、実りの季節を迎え、アーモンドは、花の季節となる。これらの木々が愛おしいのは、全くといっていいほど手を入れていないのに、季節が来れば毎年私たちを楽しませてくれる。
甘夏は、教会バザーのために収穫される。いつも1万円以上の献金となる。先端についている実を収穫するためには、人間が木に登らなければならない。木の立場になって考えると、さぞ、きつかろう。平尾の甘夏は、ジューシーで、実がギュッと引き締 まり素朴においしい。無農薬で、周辺の秋の木々の落ち葉が唯一の肥料である。この甘夏でゼリーを作られるご婦人もおられて、とてもおいしい。
それから、アーモンドは、一昨年の台風で倒れたけれど、起こしてつっかえ棒をしていたら、何 とか元気を取戻し、今年も花を見事につけている。毎年、通りがかりの人々が桜と間違え写真を撮る。後は、芙蓉がある。あまり知られていないが、これもこの時期で、片隅で艶やかに咲いている。
「ウイルスのマスク姿の信徒らにアーモンドの花春を告げる」。「手入れなし愛情なしもただけなげ甘夏の実も芙蓉の花も」。「北国のコロナウイルスの教会に聖霊吹くや甘夏の香り」。教員をしていた頃、授業で短歌を扱ったことはあるが、自分で詠んだことはない。平尾の最後の春、庭の愛らしい木々におされて、試しにやってみた。
平良憲誠 主任牧師