彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

企画展『賢治と清六』

2011年09月21日 | イベント
多賀町のあけぼのパーク多賀では『賢治と清六』という展示が平成23年10月23日まで行われています。

展示変替えの都合で変わる時もありますが、今は宮沢賢治が『雨ニモマケズ』を書き残した手帳も展示されていてしかも無料の展示でしたから、今日を待って観に行きました。
なぜなら9月21日は、宮沢賢治の命日だからです。

宮沢賢治が研究したさまざまな視点からの展示に加え、賢治自身の遺物や、賢治の弟である清六の展示もありなかなか興味深い内容で、宮沢賢治が童話と農業だけではなく多方面に渡って研究を続けた人物であることもしれました。

展示中は、花巻の宮沢賢治記念館で販売されている物が置いてあったようで、その中には、『雨ニモマケズ』が書かれた手帳の一部を複製した物も売られていました。

これは、なかなかいい物です。



さて、こんな時くらいしか書けないでしょうから、ここで宮沢賢治の代表作でもある『銀河鉄道の夜』のことを紹介します。

雨ニモマケズ」に代表される詩人でもあり、教師・農業研究者、または『注文の多い料理店』『風の又三郎』などの童話作家としての顔も持つ宮澤賢治は、1896年8月27日に岩手県で生まれました。
そんな賢治の未完の代表作で、初めて発表されてから80年以上過ぎた今でも、童話の金字塔として子どものみならず大人すら引き込まれるのが『銀河鉄道の夜』です。

宇宙の中を機関車が汽笛を鳴らしながら走ってゆき、様々な停車駅で色んな体験をするこの物語。
その舞台となるのが、ちょうど夏から今頃の夜空です。


主人公・ジョパンニは親友・カンパネルラと共に白鳥座から銀河鉄道に乗ります。
銀河鉄道は、天の川に沿って北から南へと進んでいくことが物語から読み取れますから、一緒に天の川を追いかけてみましょう。


夏に夜空を見上げると、砂糖やミルクのように白い帯が横断しているのをはっきりと見る事ができます、この白い帯こそが“天の川”です。
英語ではミルキーウェイとも呼ばれるくらいなので、その白さは万国共通といえるのかもしれません。
この白い帯を南に見ていくと、段々濃くなっている事に気付くと思います。実は、濃くなればなるほど銀河系の中心に向かっている事になります。

天の川は銀河系の星の集まりで、中心に近いほど多くの星が多いので、天の川はより濃く見えるという訳なんです。
冬になると夏とは反対側を見る事になるので、星の数も減ってしまい夏のような星の帯を見る事はありませんが、薄っすらと天の川ができているんですよ。


天の川の上、空の真上付近にとても目立つ星があれば、それは白鳥座のデネブです。このデネブから十字架を結ぶと白鳥座になりますが、それ以外にも、近くに見えている2つの目立つ星と結ぶ事で“夏の大三角形”を作る事ができ、琴座のベガ・わし座のアルタイルという星と重なり、夏の星座探しの目印となります。

ちなみに白鳥座は、ギリシャ神話の中で最高神・ゼウスが奥さんの眼を盗んで愛人に会いに行く時に白鳥に変身した姿を描いたものだそうです。
この浮気で生まれた子供が双子で、ふたご座の由来になります。


さて、『銀河鉄道の夜』で次に印象的な星座は蠍座でしょうか?
白鳥座から天の川沿いに南へ眼を向けると、わし座・いて座を過ぎてから、赤い星を中心に長細いSの字を結ぶのがさそり座です。
真ん中の赤い星はアンタレスと呼ばれている星で、太陽の230倍にもなる大きな星なんですよ。

『銀河鉄道の夜』では、いたちに食べられそうになって逃げたサソリが誤って井戸に落ちて溺れ死ぬ時に「自分も今まで多くの生き物の命を奪って生きてきた、こんな事になるんだったら、いたちにわが身を捧げればよかった、神様、今度はみんなの為に自分の体を使ってください」と言った途端に天に昇って闇を照らす赤い火となった。

と、いう自己犠牲の話が紹介されています。

『ギリシャ神話』では、巨人オリオンを退治するために地上の神々が使わした生き物がサソリで、オリオンを刺し殺し、その後を追って天に昇ったとされています。
このために、さそり座が天にある夏は、オリオン座は隠れていて、さそり座が出ない冬の星座になったそうです。


さて、次の舞台は“サザンクロス”こと南十字です。
ここで、ジョパンニとカンパネルラは少し前に乗ってきた人々とお別れします。この人々は豪華客船に乗っていたのに氷山に激突してその船が沈み、そして神に召される為にここで降りなければならなかったのです。
この物語は1912年のタイタニック号沈没事故をモデルにしています、ここで銀河鉄道が死者の乗り物である事が暗示されます。
ちなみに、サザンクロスはもっと南へ行けないと見る事ができません。


『銀河鉄道の夜』の最後はサザンクロス近くの石炭袋と呼ばれる、天の川の中で星の見えない闇でジョパンニとカンパネルラが離れ離れになり、ジョパンニの銀河の旅は終わりを迎えます。
そして、二人は永遠に会う事ができなくなったのです。


宮澤賢治は、なぜ『銀河鉄道の夜』を書いたのか?
それは、1922年に亡くなった2歳年下の妹・トシのためでした。賢治最愛の妹だったトシを賢治は白鳥になぞらえていました。
白鳥から出発してサザンクロスに至る物語はトシに対する愛情だったのです。

賢治は、トシの死の半年後に樺太へ渡って、樺太鉄道を北に向かい“白鳥湖”に出向いています。湖の名前に、亡き妹との何かを求めて旅立ったのかもしれませんね。
しかし、賢治は樺太旅行だけでは妹の影を探せなかったらしく、『銀河鉄道の夜』は賢治が亡くなるまで4回の改稿を行い、未完のまま終わっているのです。

ちなみに、この樺太鉄道は、海沿いの路線が長く、川沿いを走る銀河鉄道に似た風景を感じる人がいる事も参考程度に書いておきましょう。

『銀河鉄道』と聞けば、松本零士さんの漫画でシリーズが今でもアニメ化されている『銀河鉄道999』を思い浮かべる人も多いと思います、あの作品も宮澤賢治の世界観があったからこそ誕生した宇宙へのロマンの一つなんでしょうね。

手を伸ばせば届きそうな夜空なのに、本当は遠い遠い存在。
その大きさは宇宙誕生から毎年1光年ずつ広がっているそうですから、最低でも百数十億光年の広がりがある事になりますが、考えただけでも気が遠くなる話です。
コメント
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