2010.9.13(月)曇
「大唐内のこと(1)」では大唐内のことが一向に出てこないのだがご心配なく、「引地のこと」や「遊里のこと」同様何十回も続くだろうから今のところはイントロだと思って欲しい。「遊里のこと」はほぼ結論が出そうだが、「引地のこと」は当分結論が出そうにもない。全国各地にあまりにも沢山ある地名なのだが、それに対する考察が見つからない。いや、いくつかは考察があるのだが、それがどの引地にも当てはまるというものでない。それならば自分で考察すればいいと言うことなのだが、机上で考えるにはもう限界が来ている。淡路市長澤の引地、豊田市の数多くの引地にこそその解明のポイントがあるように思えるのだが、現地に行くことさえかなわない自分に歯がゆい思いを禁じ得ない。
大唐内はそれ以上に困難を感じる。グーグルマップで検索しても、引地はごまんと出るが大唐内は一箇所しか出てこない。つまり比較検討が出来ないということだ。大唐内という地名を誰かが過去に考察して文書にでもしていれば、いつかは発見できるかもしれないが、余り期待は出来ない。誰かの説を拝借してはいこれでございと言うわけには行かないようだ。
大唐内は老富町の大字だが、老富(おいとみ)は大唐内、市茅野、栃、光野の頭文字を取った合成地名である。光野は光野町として分離しているので、老富町は下流から栃、大唐内、市茅野の三地区となっている。上記四村はかつての於身谷村の枝村であった、光野村には文政四年金山の試掘が行われたという文書がある。(綾部市史資料編)
大唐内、小唐内
老富町は丹波、丹後、若狭を分ける三国岳(616.4m)の南面に存する。上林川右岸に三本の谷があり、下から大唐内、小唐内、市茅野となっている。大唐内を詰めてゆくと二股となり、三国岳の左肩の胡麻峠、右肩の猪鼻峠となる。胡麻峠は舞鶴市の多門院へ、猪鼻峠は高浜町の関屋に至る。小唐内、市茅野を詰めると前述の猪鼻峠に出る。ここから東に道をとると廃村宝尾村を経て川上に下る。これらの道はかつての重要な街道であることは間違いない。つづく(大唐内のことー1は2010.9.12)
【作業日誌 9/13】
草刈り八回目
(スジキリヨトウ卵、69個)
今日のじょん:「大変、じょんがおらへん」「と思ったらこんなとこにへたっとるで」てなわけで、今日もサークルを出て洗濯場に避難していた。風が吹いてカーテンの揺れるのが怖いらしい。この狭いところへ避難していた。