晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(2) 9/13

2010-09-14 | 歴史・民俗

2010.9.13(月)曇

 「大唐内のこと(1)」では大唐内のことが一向に出てこないのだがご心配なく、「引地のこと」や「遊里のこと」同様何十回も続くだろうから今のところはイントロだと思って欲しい。「遊里のこと」はほぼ結論が出そうだが、「引地のこと」は当分結論が出そうにもない。全国各地にあまりにも沢山ある地名なのだが、それに対する考察が見つからない。いや、いくつかは考察があるのだが、それがどの引地にも当てはまるというものでない。それならば自分で考察すればいいと言うことなのだが、机上で考えるにはもう限界が来ている。淡路市長澤の引地、豊田市の数多くの引地にこそその解明のポイントがあるように思えるのだが、現地に行くことさえかなわない自分に歯がゆい思いを禁じ得ない。
 大唐内はそれ以上に困難を感じる。グーグルマップで検索しても、引地はごまんと出るが大唐内は一箇所しか出てこない。つまり比較検討が出来ないということだ。大唐内という地名を誰かが過去に考察して文書にでもしていれば、いつかは発見できるかもしれないが、余り期待は出来ない。誰かの説を拝借してはいこれでございと言うわけには行かないようだ。
 大唐内は老富町の大字だが、老富(おいとみ)は大唐内、市茅野、栃、光野の頭文字を取った合成地名である。光野は光野町として分離しているので、老富町は下流から栃、大唐内、市茅野の三地区となっている。上記四村はかつての於身谷村の枝村であった、光野村には文政四年金山の試掘が行われたという文書がある。(綾部市史資料編)Img_1307 Img_1234  

大唐内、小唐内


  老富町は丹波、丹後、若狭を分ける三国岳(616.4m)の南面に存する。上林川右岸に三本の谷があり、下から大唐内、小唐内、市茅野となっている。大唐内を詰めてゆくと二股となり、三国岳の左肩の胡麻峠、右肩の猪鼻峠となる。胡麻峠は舞鶴市の
多門院へ、猪鼻峠は高浜町の関屋に至る。小唐内、市茅野を詰めると前述の猪鼻峠に出る。ここから東に道をとると廃村宝尾村を経て川上に下る。これらの道はかつての重要な街道であることは間違いない。つづく(大唐内のことー1は2010.9.12)

【作業日誌 9/13】
草刈り八回目
(スジキリヨトウ卵、69個)

今日のじょん:「大変、じょんがおらへん」「と思ったらこんなとこにへたっとるで」てなわけで、今日もサークルを出て洗濯場に避難していた。風が吹いてカーテンの揺れるのが怖いらしい。Img_1334_2この狭いところへ避難していた。

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大唐内のこと(1) 9/12

2010-09-12 | 歴史・民俗

2010.9.12(日)

 奥上林村誌は亡くなられた土井さんに戴いた大切な遺品である。その時のことは「奥上林村誌」(2009.7.8)にも書いているが、その日が私の上林歴史の旅が始まった日である。土井さんは  「何で君尾山光明寺のような古い大きな寺がこの地に有るんやろなあ。聖徳太子のお母さんは間人の生まれやそうなが、ひょっとしたら聖徳太子は上林で生まれたんと違うかなあ」
 また、「大唐内いうとこは古くは栄えたとこなんやがどういうとこなんやろなあ。唐というからには唐の国と関係があったんやろかなあ、その辺のとこを調べてくれへんけ」これが土井さんの遺言になってしまった。
 綾部や上林の歴史を少しぐらいは知っておかないといかんなあと思っていたところであったので、「わかりました、調べてみましょう」と返事はしたが、一体何から手を付けて良いのやら雲をつかむような話であった。Img_2611
 
奥上林村誌は土井さんの遺品、左は三和町史。


 奥上林村誌を読んでもそれらしいことは書いてない。綾部市史にも古代のことは通り一遍のことしか解らない。歴史というものはそういうものらしい。例えば南京大虐殺だって、当事者がまだ生きている今日でもあっただの無かっただのと論議している。ましてや千数百年も過去のことがそう容易く解るものでもない。
 なにしろ上林の歴史についての知識ったって、上林氏が古
城山に居城し支配していたところ、明智光秀に滅ぼされ、やがて幕藩体制となると藤懸の殿様が知行したというくらいの何とも稚拙な知識である。
 手始めに草壁と所縁が有るだろう日下部氏について調べることにした。日下部氏というのは謎の多い氏族である。未だにその実態というのは理解できない。インターネットで日下部氏に関するものを調べているとき、「我が祖・日下部の足跡」という長文を見つけた。それはある人のルーツを辿る旅のような文章だったが、私にとって衝撃だったのは、日下部氏が金属、鉱山に関連のある氏族であることだ。上林も金属、鉱山に関係があるのだろうかという驚きというか発見というか、とにかく村誌にも市史にもそれらしいことは載っていないので、ワクワクするような気持になってきた。Img_3086
 
草壁、土井さん宅前から小屋方面、古代この地に住み着いた日下部氏所縁の人たちは、この地で何をしようとしたのだろう。


 そんな時、大江山の鬼の交流博物館で河守鉱山の特別展があるというので休みを利用して行ってみた。Img_2908

河守鉱山通洞坑跡、昭和48年まで稼働していた。北近畿では最大の鉱山である。


 鬼と鉱山は関連があるというのは、谷有二氏の山の名前に関する書物でうっすらと知っていた。そこで福高の先生をしておられた芦田完先生の論文を目にして更に驚く。主に麻呂子親王伝説に関するものだが、その中で姫髪山脈と称し、三国岳、養老山、弥山山、鬼ヶ城、烏ヶ岳、姫髪山
から兵庫県佐治盆地の東方烏帽子岳に連なる山脈がいわゆる鉱床である旨の論文があった。
 上林は古代の金属生産地だったのではないかという想像が拡がってきた。つづく

【作業日誌 9/12】
薪割り
スジキリヨトウ卵取り(本日72個、昨日59個)

今日のじょん:懸賞で当たったペットゲート、開けてても出てこないよと書いていたけれど、どうやら出られることに気づいたみたいで、お化けみたいにぼーっと出てきている。知らん顔していたらどうするか観察してみるも、じっとしたまま動かない。多分いいのかなあと考えているようだ。「部屋帰ってねーや」というと、ぼそぼそと帰っていく。まあ、オシッコするわけじゃなし、囓るわけじゃなしまあいいか。Img_1332

9月8日の写真、ちょうどこんな感じ。

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続・苦土石灰 9/11 

2010-09-11 | 違いのわからん農学士

2010.9.11(土)晴

 苦土石灰が消石灰より値段が安いのは理解できた。焼いたり水を加えたりという手間が無いためだ。ちなみに鳥インフルエンザや口蹄疫などで鶏舎や牧場が真っ白けに消毒されているのは、消石灰である。消毒だけに消石灰な~んちゃって。
 さてこの石灰なる物、肥料として我が国では大変重宝されているものだが、肥料というよりは土壌改良材と言うべきではないか。肥料というとなんとなく栄養分があるような気がしてくる。おそらくそう思っている人はあるんでないかい。
 もう一つ気になることは使用量である。購入した苦土石灰には、「1坪当たり600g、一反当たり100Kgを目安にお使いください」とある。ネットで調べても色々の使用量が出てくるが、使用の目的が土壌の中和ということであれば、元々の土壌のpHが問題になるし、土壌の量に対する使用量ということだから面積で使用量を決めるのは変だと言うことにはならないか。日本の土壌は大体酸性と言うことだが、試薬のない私には自分の畑のpHは解らない。要するに適当で良いと言うことだろう。
 というわけで、適当に撒いて耕している。ところが問題は「種蒔き、植え付けの7~10日ほど前に全面散布して云々」の件である。物によっては2週間ほど前に散布するというのもある。でもこれってなんでだろう。こればかりは納得のいく回答が見つからない。「苗がやけるから」というのがあった。なんだいこりゃあ。肥料焼けというのは聞いたことがあるが、石灰焼けというのは聞いたことがない。Img_1357

今夏最後の夏野菜の収穫。


 もう一つ、石灰と肥料を一緒にやってはいけないという話、これも理由が解らない。化成肥料など石灰と化学反応おこすんかなあ。何と何が化合して何が出来ると説明してあれば納得いくんだが、どうもファジーだ。
 と言うわけで、石灰も肥料も播種も同時にしている。特段何の問題も起きていない。今回もそんな感じで、人参、大根、白菜の播種を行う。種も使用期限の切れた安物の種だが、そんなの関係ネエ。Img_1358

荒起こしをして苦土石灰を撒く、施肥して耕し、その日に播種までする。


【作業日誌 9/11】
夏野菜片付け
ヒスイナス秋ナス処理
アスパラガス植え替え
人参、大根、白菜播種

今日のじょん:飯食ってゴジラ咥えてうたた寝していたので写真撮ったろと思い、そーとシャッターを切ったら、パチッと目を開けやがった。チェッ。Img_1354

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苦土石灰 9/10

2010-09-11 | 違いのわからん農学士

2010.9.10(金)快晴

 苦土石灰、なんて読むんだろうねえ。コメリで買おうとしているとかみさんが「がいつち石灰、、、、」なーんて言っている。この商品、どこのホームセンターでも売ってるけど、なんて読むのかカナうってないんだよね。これって今更聞けない物の名前って感じだ。ホームセンターじゃあ名前知らなくったって買うことは出来るし、レジのバイトの子が知ってるはずも無さそうだし、もちろん辞書にも載ってないし、インターネットで検索しようやく正解を知る。上林で長年農業やってる人に聞いてみたら、何%の人が正解か試してみたいところだ。
 私は「がいどせっかい」だと思っていた。花や木の名人、京北の土田さんが来られたとき「くどせっかい」と言っておられ、この人以外と物知らんなあと思っていたのが、実は物知らなかったのはこちらの方だった。正解は「くどせっかい」、マグネシウム等のことを肥料の業界などでは「くど」というそうで、苦い味がするからそういうらしいが、舐めてみる気はしない。Img_1355 Img_1356
 では読み方も知らない苦土石灰を何で購入するかって、それは単純に安いからである。消石灰、苦土石灰、有機石灰などが商品として並んでいるが、一体どう違うんだろう。これも一体どのくらいの人が知ってるか知りたいところである。えっ、お前は知ってんのかいなって、、、、知らんで。理科系のしかも農学部を出たものとは思えない、情けないことだ。だからこそ違いのわからん農学士なのだ。
 石灰石を砕いた物が炭カル(炭酸カルシウム)、それを焼いた物が生石灰(酸化カルシウム)、それに水を加えた物が消石灰(水酸化カルシウム)、苦土石灰はドロマイト原石を粉砕したもので、苦土炭カル(炭酸カルシウム、炭酸マグネシウム)ということだ。そういえばロッククライミングの本場イタリアのドロミテ地方なんてあったなあ。有機石灰というのは蛎殻や貝化石等を粉砕したもので、土壌には優しいけれど値段が高いとなっている。
 これらは一体どう違うのだと言うことだが、最も大きな違いは効果の遅速のようだ。酸化カルシウムの含有率が生石灰で80%以上、消石灰で60%以上、炭カル、苦土炭化カルで53%以上、貝化石・蛎殻で35~45%ということだ。もちろん分解の速度というのが関係するのだろう。こんなん学校で習ったかなあ。

【作業日誌 9/10】
秋蒔き準備

今日のじょん:秋の名物丹波霧が出た。もちろん早朝だけで、こんな日は天気が良いわけだ。涼しいのでじょん君大はしゃぎ。Img_1352

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芝生の結論 9/9

2010-09-10 | 日記・エッセイ・コラム

2010.9.9(木)曇

 台風が去りやっと涼しくなってきた。久々の雨で花も木も見事に蘇っている。くたばりかけていた雑草もいの一番に蘇っているのが何ともつらい。草や花は枯れたように見えても水をじゃかじゃかやれば蘇るが、木はそうはいかないようだ、サツキやコニファーは枯れたまんまだ。今年の暑さは記録的で、京田辺市の39.9℃というのが観測機器の管理不良で問題にこそなれ、暑かったことに代わりはない。上林も同様で、村の人も移住の人もこんな夏は初めてやなあということだ。9年になるサーキさんが降参してエアコンを入れたそうだ。途端に朝夕が涼しくなってがっかりしておられた。
 さて、問題の芝達だが8月末にスジキリヨトウの駆除をしてその後どうなっただろう。芝生広場と玄関先と櫨の木の芝は刈り込み、駆除、根切り、施肥をして朝夕の水撒きを続け、アプローチ周辺の芝は朝夕の水遣りを続けた。
 見事に蘇ったのは芝生広場でしっかり伸びて元通りとなっている。玄関先もまばらながら生えてきて、リーブ21状態ってところか。櫨の木のところの芝はダメージが大きいのか、土壌が悪いのか茶色いところが多い。なにしろ日の出から日の入りまで照るばかりでなく、入れた土が薄くて保水力が弱いようだ。
 アプローチのところは芝が若いので今のところ元気だが、芝刈りをしてやる必要がある。Img_1348 Img_1346 Img_1349
 



芝生広場、玄関前、櫨の木の芝生の現状。
 肝心のスジキリヨトウだが、気温が高くなると孵化の回数が増え、西日本では年3回だったのが4回になっているとかいう情報もある。5月から10月ぐらいがシーズンとしても1.5ヶ月に一回の孵化となる。そのたびに薬剤散布や捕虫の駆除をしていたのでは堪らないし、芝の生育にも不都合だろう。ネットなどを使って親虫の防虫をすることも方法らしいが、この広さではそれもかなわない。結局、毎朝産み付けられた卵を取ることにした。卵は芝の葉の中程に産み付けられ、白い綿のような感じである。簡単に見つけられ、10分ほどで全域を見回って、卵の付いた葉を30本ほど取れる。卵の中には0.5mmに満たない小さな黒い幼虫が入っている。30匹いるとしても30本で900匹だ。これは薬剤駆除や捕虫より効果がありそうだ。当面卵取りを実施して様子を見てみよう。Img_1345 Img_1353

この中に何匹入っているんだろう。



【作業日誌 9/9】
秋蒔きの準備

今日のじょん:涼しくなって来客が増えてきた。といっても人間でない来客だ。今日はメーが来て一日留守番をしていた。夏やせかあばらが出てきたが、ケンゴ君と仲良しになって結構遊んでいたぜ。ちょっと意外なのはバラの枝切ったやつをパクパクモグモグ喰うんだぜ。口中血だらけにならねいかい。Img_1336 Img_1343

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雨読 「とちぎの地名を探る」(2) 9/8 

2010-09-08 | 雨読

2010.9.8(水)曇、雨

 台風の雨が夕べから続いている。8月1日以降2度ばかりお湿りがあったのだが、本格的な雨は初めてだ。もう大地はカラカラに乾ききっているだけに恵みの雨というところだ。花木に水遣りをしなくて良いと言うことが、これほどありがたいことだとは思わなかった。
 前号では金属地名を例に出して、ひとつの意味だけでなく別の意味もあるということを紹介した。これはひとえに漢字表記のなせる技であることがわかる。もともと文字を持たず口語のみであった古語が漢字の輸入により表記されるようになった。漢字は一つひとつの文字が意味を持つため本来の意味とまるで違った解釈が生まれるわけだ。本書では各地名について、説話や伝説が紹介してある。そしてそのほとんど総てが附会されたものであることが解る。例えば上林にもいくつかある「殿」地名の例を挙げてみよう。
 鹿沼市上殿町について、「一説は鎌倉期に鹿沼権三郎の功臣がこの地に出城を持ち、その主を上殿と尊称したところからと伝えられ云々」と説を紹介している。ところが「殿(トノ)は棚(タナ)の転で棚状の地、段丘のことか」とある。なるほど建物などで高殿とか言うなあと納得する。殿の字に惑わされてはとんでもないことになる。
 タイトルにもある県名「栃木」についても、栃ノ木が繁茂していたからという俗説を一蹴している。私の所有する間抜けな日本地名ルーツ辞典にはそのように書いている。本書では「ト・チギ」という地名で、トは接頭語と解してよかろう。チギは動詞チギル(千切る)の語幹で細かく粉砕するとか、もぎ取るの意から浸食、崩壊地形に由来するのだろうと解説している。
 上林の老富町にある、栃の地名については鹿沼市の栃窪の例を挙げて、栃は閉、トズの転と説明している。老富町の栃を航空写真で見ると、なるほどと思い当たることとなる。Img_1312

老富町栃、岡林信康さんの歌で有名なみのだ橋。


 このように浸食、崩壊地形を主に編集されているので、動詞、形容詞からの転訛が圧倒的に多く、地名のひとつの見方だろう。氏の主題は危険な場所を乱開発して宅地化し、人災を引き起こしている現状に警鐘を鳴らすものである。

【作業日誌 9/8】
薪割り2玉

今日のじょん:台風が過ぎて涼しくなったので、やっとジローが遊びに来た。もう大喜びではしゃぎ廻っていた。Img_1325

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雨読 とちぎの地名を探る(1) 9/7

2010-09-08 | 雨読

2010.9.7(火)曇

 「とちぎの地名を探る」塙 静夫著 1996,11 随想社刊 1,854円(購入価1,160円)
 なぜ栃木なのかという感も持たれようと思うが、栃木は関西人にとってはもっとも縁の薄い地であるが、毛野国といわれ古代においては蝦夷の文化圏に入り、古代地名については大変興味深いものがある。そしてなによりも1986年の集中豪雨による大水害の被災地を調べたら、古代の居住地はひとつも入っていなかった、つまり地名は自然災害に対する居住の適性を表しているのではいう著者の主題が気に入ったわけである。勿論こういう主題で「京都の地名を探る」というものが出版されていたらそちらを購入するだろう。遠く離れた東国の地と同様の地名が丹波のこの地にもあったなら、地名の普遍性ということが確認できようというものである。Img_1326
 山の名前、金属地名から地名探究の世界に入ったわたしにとっては、独断的な解釈をしていたなあと反省させられる書ともなった。その例をいくつか紹介しよう。

 「入」 谷や河川の上流を指す地名。イリと読むのだが、これをニュウと読んで水銀地名ではという考えを持っていた。もちろんそうなる場合もあるのだろうが、入地名を地形図で見てみると、本書の説が一般的である。上林でも武吉に浦入、真野にイカ入という小字がある。浦入は川沿いの平坦地にあり入(イリ)を意味しない、むしろ南にある東浦と関連づければ何か解るかもしれない。真野のイカ入(イカイリ)は地図で位置が確認できないので何とも言えない。

 「鍛冶・梶」 綾部市の鍛冶屋町は著名、この地は鍛冶職人の地と言われている。刀剣の名工も居たそうだ。鍛冶屋谷、鍛冶屋などは鍛冶に由来する場合が多いが、中には動詞カジル(囓、掻)から崖などの崩壊地名もあるので、周囲の状況などから判断しなければならない。なお、よくあるカナクソ地名(金糞、金屎)などは鉄滓のことで、鍛冶に関係するのは間違いないだろう。Img_4615

鍛治屋町は里山ネットのあるところ。

 「菅」 菅(スガ)は鉄の古語ですぐに産鉄の地を思い浮かべるのだが、足利市菅田町(すげたちょう)をあげて、スゲは動詞スゲル(插)の語幹で差し込まれた地形、篏入した地形を表す、とある。一概に菅=鉄と考えてはいけないようだ。五泉町の市之瀬の菅坂は鉄に関係するものと考えている。ちなみに市之瀬には鍛冶屋谷、カジヤ谷もある。Img_4298
 
左の凹みが菅坂峠。


 「多田羅」 タタラ(多々良、多々羅など)と来たら蹈鞴だろうと製鉄、野鍛冶を思わせるのだが、そうでない場合もある。ここで言う市貝町多田羅は、「タタ・ラ(接尾語)」でタタは動詞タタク(叩、敲)の語幹とし、小貝川の氾濫で浸食を受けた地形とされている。上林にはタタラ地名は見受けられないが、下矢田町には多々良があり、イモジ山、鍛冶屋、芋谷、鍛冶大瀬谷、釜ヶ迫などの金属地名と思われる地名も多くあるので、本来の鉄に関する地名だろうと推測される。つづく

【作業日誌 9/7】
薪割り、玉切り
干しネギ植え付け

今日のじょん:暑さで弱ってるのは草木ばかりでなく、かみさんもじょんもかなり弱ってそうだ。じょんは気温が下がればすぐ元気になるが、人間はなかなかそーはいかない。みんな元気になってくれ、こちとらまで気が滅入りそうだ。Img_1314

リードは固定しなくてもじっとしているのが面白い。

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故障の季節 9/6

2010-09-07 | 日記・エッセイ・コラム

2010.9.6(月)晴

 食品衛生責任者実務講習会というのに行ってきた。営業許可6年の中間にこの講習会を受けなければならないと言うことだ。この間の法律や条令の改正、食品衛生に関する情報の公開などあって、必要な講習会と思われるが、5,300円という受講料はちとつらいものがある。こういう認可許可に関する料金というのはその金額にも不満があるが、なによりもその内訳が公表されないのは納得がいかない。例えば運転免許更新料なら、免許証作成料、講習会講師謝礼金、会場費、事務手数料等々かかっているのだろうがその内訳は解らない。同様に今回の講習会なら会場費、講師謝礼金、資料代、事務手数料など幾ら高く見積もっても2、3千円のものだろう。あとのお金が一体何に使われるのか明示いただきたいものである。
 給与所得者の時代はなんとも思わなかったが、今となるとこういった義務的経費が強烈な負担となる。
 もうひとつ困ったものが、あらゆるものが故障することである。適度な間隔をおいて故障してくれればそう負担感もないのだが、大体一気に来るものである。
 靴、長靴の寿命の短さは常々紹介しているところだが、今回職人さんが使うズックのかかとを踏んだやつが壊れてしまった。これは家を建てたときに職人さんが忘れていったもので大変重宝していただけに残念である。ホームセンターで探すも売って無くて、ワーキングショップに行こうかと思っているが、こういうところは値が高い上に品物が悪いので躊躇している。Img_1318
 
これってとっても重宝していただけに、、、。


  カメラの故障も既に書いたとおりだが、3台もの故障品を持ったままにしている。その内一台を騙し騙し使っている状態だ。
 最も困ったのはエコキュートの故障である。なにしろ我が家では最も高価で、重要な設備である。とにかく作動が総てコンピュータ制御されているので、素人で直せるようなものじゃない。設置から2年半、あまりに早い故障だ。施工、本体ともに問題がありで、結局基盤取り替え、配管変更などで対処した。保証期間内で金銭的負担はないが、これが保証期間以降ならとぞっとする。Img_1153
 
この基盤が臭気によって腐蝕され交換するハメになった。こんな精密部品がむき出しになってること自体おかしいと思うのだが。


 そして今回カーナビが故障してしまった。CDを出し入れをする画面が中途で開いたままになり、カーナビ画面が見られない、CDが入れられない等の不自由がある。これはだましだまし使うというわけにも行かないので修理しなければならないが、お金も手間も憂鬱である。

【作業日誌 9/6】
薪割り3玉

今日のじょん:コオロギ、カメムシ、バッタなどの虫が部屋の中に現れるようになり、またそれを追ってアマガエルなどが進入してくる。外では榎木の実をとりに実に多くの鳥が寄ってくる。そして隣の犬や得体の知れない獣たち、これにいちいち対応するのだから、じょんの吠えまくりとなる。たって、何が原因か解らないケースが多いからこちらの対応も解らない。特段鳴き声が大きいのでびっくりすることしばしである。Img_1156

こんな感じで知らせてくれるのは良いのだけど、、、。

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雨読 柳田國男の手紙 9/5

2010-09-05 | 雨読

2010.9.5(日)晴

 「柳田國男の手紙 ニソの杜民俗誌」安間清編著 大和書房1980年9月初版 定価1,700円 (購入価500円)Img_1312
 実は柳田國男の手紙には興味は無く、ニソの杜民俗誌に興味があって購入したものである。事の発端は、上林の歴史文化を辿るとき、丹後、若狭の歴史文化が母体になっていると感じ、調べていくうちにニソの杜を発見したというものである。こんな身近に民俗的に重要な地域があったことを私は知らなかった。また、自転車旅行で沖縄久高島のクボー御嶽を訪れなかったらこれほど興味を持たなかっただろう。Img_2859
 
沖縄ではあらゆるところに拝所がある。これも杜の信仰の一面だろうか。


 ニソの杜は福井県大飯郡大島村、現大飯郡おおい町の大島半島に存在する。この特異な文化の調査をされた記録が本書の後半部分である。昭和24年福知山に赴任しておられた著者が大島村に滞在し、聞き取りや現地調査をされてまとめ上げられたものである。Img_12211

大島半島、ニソの杜はこの山の向こう側。(三松海岸から)


 村の地形や気候、産業など基本的な項目に始まり、村の生活、年中行事など民俗学的な項目、そしてニソの杜に関する調査報告書として丁度郷土誌のようなまとめ方で編集されている。従って具体的な事実や具体的な数字が現れていて、おそらく現在では調べようのない事柄が貴重な資料として残っている。ただし、一般の歴史や民俗の書物のようにいわゆる考察の部分が無いのだ。大島半島にたどり着いた祖先とはどのような民族か、杜の信仰という文化はどのような文化なのかなどと知りたいところであるが、そういう記述はない。おそらく安間氏には考えておられるところがあるのだろうが、具体的な証拠というか資料が少ないために公にされていないのだろうと思う。そして民俗学という分野がまだ未開の分野であったことが、柳田氏に教えを請うという形になり、多くの書簡がのこったものと思われる。この本の主題は柳田氏との書簡を通して柳田氏の人となりを紹介することであって、ニソの杜の調査報告書は付録であると著者も言っておられる。しかし私にとっても、民俗学にとっても付録の方が値打ちが出てきたと思われるのだが。
 ニソの杜については調査研究をすすめて私なりの結論を出したいと思っている。そのことが若狭の歴史文化、しいては上林の歴史文化を紐解く鍵となるであろうと確信するところである。

【作業日誌 9/5】
薪割り2玉

今日のじょん:暑さのせいで運動不足かなあと言われている。朝の散歩は中止し、ぽんぽこぽんだけになっているし、だーっと走ることも無くなった。太ってきていることはないのだが、なんとなくすぐ疲れるような気がする。涼しくなればまた走れるか。Img_1315

夕方散歩から帰ってきていっぷく。

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盛岡冷麺 9/4

2010-09-04 | 日記・エッセイ・コラム

2010.9.4(土)晴

 連日猛暑の記録が更新されており、郡上八幡で39.1℃とか。いずれ40℃を超える日も近いのかなあ。上林の昼間も堪らない暑さが続いている。九月になればやりかけの作業も可能かなあと期待していたのだが、この暑さですべて中断、陽が落ちてからの一時間を薪割りに当てているだけだ。昼間はエアコンがフル稼働で電気代が恐怖だが、背に腹は代えられない。そんな訳で昼食は素麺、冷麺が主体でかれこれ一ヶ月続いている。さすがに飽きが来ているのだが、先日さーきさんが「盛岡冷麺送ってきたんだ」と言って持ってきてくれた。一度生協でとって食べていたので、本場の味を再度食したいと思っていたところだ。Img_1303 Img_1304
 気合いを入れて具を作り、ゆであがったところでお客さまが続く、これはいつものことだ。時間が空いてやや伸び気味になっているが、これは美味い。なんといっても麺の腰が全然違う、ツルッとした独特の麺だ。どっぷり浸かるスープで、辛い目にするとよりさっぱりしてより美味い。丁度キムチが有ったのでこれを乗せると最高、さーきさんの弁によると梨を入れるらしい。え~まさかっと思っていたら、箱の写真にしっかり載っていた。残念ながら在庫が無く、梨は入れられなかったが、盛岡冷麺は夏の昼食に最高である。暑い暑いと嘆いているよりも、ちょっと暑さを楽しめるこんな食べ物はいかが。

【作業日誌 9/4】
薪割り3玉

今日のじょん:脱走を狙うのか、朝の奇妙な行動。
ぽんぽこぽんが終わって、けーとくちんのためブラシを持って倉庫の日陰で待っているがなかなか来ない。なんべんも呼んでやっとスゴスゴと来だしたら、いつものところをくんくんにおぎだす。Img_1309 ここはカンカン照りの箇所で、私はこのにおぎ方はポーズだと思っている。本当に何かがあってにおぐのなら、最初からその箇所をにおぐはずだからだ。


 それでも呼び続けると、ついにはその辺りにへたってしまう。カンカン照りの熱い場所にだ。こうなると動かないので、連れに行く。Img_1310 すると急に立ち上がって、隣のチコのところに逃げていくのだ。このワンパターンの行動はどうもじょんの作戦に思えてしょうがない。

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雨読 山の名前の謎解き事典 9/3

2010-09-04 | 雨読

2010.9.3(金)晴

 私が地名に興味を持ったのは、山の名前が発端である。雪よ岩よとバリバリ登っていた頃、ふとこの山はなんでこう呼ばれるのだろうと不思議に思ったからである。その山は北八ツの「にゅう」という山である。2万5千の地図には「ニュウ」とある、2351,9mの山である。八ヶ岳は冬は岩や氷登りを楽しむが、夏や秋は北八ツを彷徨するのが楽しみであった。麦草峠から白駒池、黒百合ヒュッテ、稲子岳辺りは車でも簡単にアプローチでき、楽しめる領域だった。岩峰といえるニュウは特異と言えば特異な山だけど、なんでニュウというのだろうと不思議だった。丹生というのが水銀に関係有りというのは知っていたが、カタカナでニュウというのも何か変だ。
 答は稲束を積み上げたものを「にお」と言い、その変化でニュウとなったそうだ。なるほど最近ではコンバインの普及で見ることもなくなったが、稲束を積み重ねて上部に笠を置いたものがあったなあ、そういう形かなあと思っている。その時の本は「富士山はなぜフジサンか」という妙な名前の本で、山の名前について面白く書かれた本であった。今回も著者は同じ方で、言ってみれば山の名前のオーソリティというところだ。
 「山の名前の謎解き事典」谷有二著 青春出版社 2004.5刊 524円(購入価300円)Img_1307

所有する谷有二氏の三部作、「日本山岳伝承の謎」は内容が深く、楽しみにしている。

 本書は文庫本で、山名について気楽に読めるように書かれたものである。沢山の山名についてその由来を書いてあるので、深く掘り下げた内容は無理であるが、蘊蓄を語るには充分な情報である。気になった記事を2つ3つ紹介しよう。
 白馬岳は元々代掻き馬が残雪期に姿を現すために付けられた山名で、決して白馬(はくば)ではないことは、本ブログで何回も書いてきた。しかも残雪で現れる馬の形は岩稜の部分で白馬ではなく、黒馬なのだ。HAKUBAが格好良く、村名も駅名も白馬(はくば)になってしまった。大糸線信濃四谷駅が白馬駅と改名されたのが昭和43年と書いてあるが、私は昭和44年に初めて日本アルプスに登り、その時の切符が信濃四谷と記してあるように思ったのだが、アルバムは倉庫に眠っているので確かめようもない。もし、信濃四谷という切符だったらプレミアムが付くかもしれない。
 もう一つは「菅平」「志賀高原」のいわれはスガ、シガつまり氷や樹氷を表す言葉、方言から来ていることだ。はるになれば、シガコも溶けて、、、という童謡のシガである。金属地名ばかり追っていた私にとって、これは警鐘となった。菅が付けば産鉄の地なぞと決めつけていたのだから。地名というのはあらゆるファクターを考慮して見ないと間違った見方となりやすい。
 このようにあらゆる山の名前について書かれている、特に山に登る人には、山行がより楽しくなるかもしれない。

【作業日誌 9/3】
薪割り8玉Img_1311

薪割り機は重宝しているが、切り口が汚く芸術的でない。


今日のじょん:最近かみさんが健康に自信を無くして「もしものことがあったらじょんのことを頼むで」なーんて情けないことを言っている。もしものことがあったら、また、放浪の旅に出るつもりだから、じょんも暑さ寒さに耐えられる身体を作っておかないといけない。Img_1306

旅に出たら冷暖房の部屋でのんびり暮らすわけにはいかないのだ。

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続九月にはなったけど 9/2

2010-09-03 | 日記・エッセイ・コラム

2010.9.2(木)晴

 実は昨日から朝は涼しくなった。二階は日中の熱がこもって夜は超暑く、寝るときは締め切ってエアコンを入れる。深夜にエアコンが切れて、窓から風を入れて寝る。朝になると冷風が入ってきてあわてて布団を被るというふうに三段階就寝となっている。でもまだまだ日中の暑さは続くそうだ。
 さて地球温暖化だが、温暖化していることは事実だが、それを温室効果ガス特に二酸化炭素のせいにしてその減少に膨大な予算と労力を強いている現状には疑問を感じる。温暖化をあおるマスコミの過熱ぶりにも何度か批判をしてきた。冷静に考えれば解るツバスの問題や氷河の末端が海に落ちる映像などである。ツバスの海面上昇が問題になるのなら、東京湾でも大阪湾でも問題は起こるはずである。ツバスだけが海面上昇するということはあり得ない。氷河の映像だって、まだ世間が寒冷化を問題にしているときから観光ルートのひとつとして紹介していたものである。
 9月1日の讀賣新聞にIPCC、国連の組織で「気象変動に関する政府間パネル、が誤データを使用していたという記事が掲載されている。重要なことなので一部を原文で紹介しよう。
前文略 英イーストアングリア大学のコンピューターから昨年11月、IPCC報告書の執筆者らの電子メールが流失した。このなかに、地球温暖化を誇張するようにデータ操作をしているように受け取れる記述があったため、地球温暖化に懐疑的な人たちからの批判が続出。その渦中に、「ヒマラヤの氷河が2035年に消失する」「オランダの国土の55%が海面より低い」という誤記が発覚した。後文略。
 等という記事である。なぜこのような事態となったか、執筆する科学者の人数不足などとわけの解らん言い訳がなされているが、私は当初からICPPが地球温暖化をあおるという目的を持っているものと想像する。なぜって地球温暖化が儲かるビジネスを生むからである。道理の無いものに大消費する戦争と同じ理屈である。
 しかし温暖化が進んでいることは事実だろう。海面も上昇するだろうし、災害も増えるだろう。二酸化炭素を減らすなんて幽霊と斬り合いをするようなことは止めて、防災や研究、そして気候の変化に沿った産業の創出に予算を注ぐべきではないだろうか。じょんのび村では残暑の中、冬ごもりの準備を始めている。Img_1305

暑いさなか、店の合間に割れるのは2玉ぐらい。

【作業日誌 9/2】
薪割り

今日のじょん:綾部温泉から帰ってきて車庫入れをしていると、家の中から大きな鳴き声が聞こえる。何事かと思って聞いてみると、天井にカメムシがへばりついている。なんで虫に対してこんなに過剰反応を示すのだろうか。かみさんは、「おとーさんが虫を見つけたら褒めたからやで」と言うが、私はかみさんが虫に対して「キャー、ワー」と過剰反応をするからだと思っている。近所の人に、「じょんちゃんが吠えるたびになんか獣が来とるんやナー」と言われるが、まさか虫でんねんなーんて言われやしない。Img_1128  
虫を見つけて大騒ぎの図。(2010.7)

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九月にはなったけど 9/1

2010-09-01 | 日記・エッセイ・コラム

2010.9.1(水)晴

 そーこーしている内に九月が来てしまった。九月にはなったけれど一向に涼しくならない。九月一日は防災の日である。関東大震災のあった日がどのような天候だったのか鹿島のHPに1923年9月1日6時の天気図が残っている。気圧配置しか解らないのだが、太平洋高気圧の張り出しは弱く、台風が能登半島にある。予想するに南から湿った風が吹きこみ、気味の悪い天気だったのではないだろうか。地震の後台風から吹き出す強風により火災の被害が拡がったようだ。地震が正午前で昼食時の火の使用が多かったことも災害を大きくする要因だったのだろう。ちなみに本日の天気図を見ると前述の大震災時とは大きく異なる。太平洋高気圧、台風、前線など天気図を構成する要素は同じようにあるのだが、その配置が随分異なる。太平洋高気圧の張り出しが強烈で、台風は朝鮮半島附近を北上している。暑さの違いがはっきりしている。
ことほど左様に今年の暑さは113年前以来最高ということだが、113年前と言えば明治30年、足尾鉱毒事件の被害者が誓願、京都帝国大学開校、金本位制実施などの出来事があった年だそうだ。それ以前には統一的な気象観測が行われていなかったということだろうが、勿論人類が存在している間にもっともっと暑い時代があったことははっきりしていて、ことさら驚くことでもないようだ。昨夏など随分涼しくて温暖化なんて死語になっていたのだから。Img_1205
 
避暑地?上林でも沖縄の花や野菜が元気元気。


 それでも温暖化が進んでいることは確かだろう。生物の分布や植生の変化が現れて来ていることは無視できない。しかし、温暖化ということに対し私たちはもっと冷静な目で見つめていかないといけない。つづく

【作業日誌 9/1】
薪割り2玉

今日のじょん:朝オシッコうんPに飛び出すと、チコが放れていて大騒ぎとなる。どちらもじゃれあって収拾がつかない。ノーリードの犬を2匹捕まえるのは結構大変だ。じょんをベランダに押し込んで、チコを連れてゆく。どうも鎖のロック部分を外してしまうようだ。放れても良いけれど問題はオシッコ、ウンコだ。今夏の小雨でチコのオシッコのために7,8本のコニファーが枯れた。絶対にはずれないリードを探してやる。
Img_13001

このあとコニファーにオシッコ掛けられた。手前の茶色いのもやられたもの。

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卒塔婆 8/31

2010-09-01 | 日記・エッセイ・コラム

2010.8.31(火)晴

 芝生の虫の話ばかりではつまらないだろうと、今日は猛暑に対抗するちょっぴり涼しい話を書いてみよう。讀賣新聞の「古里こんな王国」という連載ものはいろんな物や産業の日本一を紹介する楽しみな記事だ。8月30日の記事は「卒塔婆の製造 日本一」というタイトルで、なんと東京都なのである。金の産出とかラーメンの消費量とか、らしい感じがするが卒塔婆には参った。年間400万本の生産で日本一だそうだ。材質は樅(もみ)の木だそうだ。柔らかくて耐朽性の低いことが条件だそうだ。こういう物は幾ら世の中が進んでも、プラスチック製とか金属製とかには成り得ない。朽ちはてることが必要なわけだ。それでも心材に端材を使ったエコ卒塔婆なんてのも登場し、筆の使えない坊さんも出てきて、パソコンを使って印刷するソフトも販売されている。以前にへたくそな字の卒塔婆を見たことがあるが、なんとなく値打ちが無さそうで、どうせ朽ちはてるからいいってもんじゃないようだ。
 京都の千本通りは元は朱雀大路で、葬送の地蓮台野に続いており、菅原道真の左遷の供養として1,000本の卒塔婆を立てたので千本通りという名が付いているという説もある。蓮台野の西に衣笠山がある。衣掛山ともいい、遺体に掛ける衣が由来とも言われている。それならば「衣ほすてふ天香具山」とうたわれた香具山も、山に衣なんか干すかなあと思うのだが。Img_1278 Img_1284
 
デンデラ野と河童渕。


 自転車旅行で遠野に行った際にデンデラ野と言うところに行った。(2006.10.18参照)老人は60才になるとここに捨てられる。捨てられるといっても共同生活をして生きていくわけで、農繁期などは村に降りていって賃仕事したりしたそうだ。デンデラ野って妙な名前だなあと思っていたら、蓮台野のことだそうだ。そういえばお墓も近くにあったっけなあ。その頃はまだ夕刻で薄暗かったのだが、河童渕にいった頃は真っ暗でさすがに気味悪かった。しかも渕のところのベンチに髪の長い女の人が一人座っているのだ。いやあこれには肝を潰したが、やがてテレビの撮影のクルーががやがややってきてほっとした。
 何気ない新聞記事から、ちょっと涼しくなったかな。

【作業日誌 8/31】
玄関先芝生施肥、砂入れ
南側芝生刈り込みと根切り、施肥、砂入れ

今日のじょん:最近とみにいうことを聞かなくなってきた。もちろん彼は彼なりに考えるところがあるのだろう。いろいろと想像してみるが、結局のところは解らない。解らないからやってけるのかとも思うのだが、、、。

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