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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「日本山岳伝承の謎」 9/14

2010-09-14 | 雨読

2010.9.14(火)曇、雨

 朝から雨の音、こんな嬉しいものは無い。水撒きと虫取りに朝の一時間は費やしていたのでなにか得したような気分だ。野菜や芝も生き返ったように青々としている。高温と水のおかげか大根、白菜が4日目にして芽を出している。余り早く育つと虫の心配もしなくてはいけない。
 さて今回の「日本山岳伝承の謎」は山名のオーソリティ谷有二氏の著で、「富士山はなぜフジサンか」「山の名前の謎解き事典」と私の持っている三冊のひとつである。未来社刊、1983年8月第3刷、定価1,300円、購入価800円である。
 氏は雑誌やスポーツ新聞などに山の名前や由来について掲載されており、気軽に読めるように書かれていた。本書は少し学術的に書かれているので読みごたえがあった。副題に「山名にさぐる朝鮮ルーツと金属文化」とあるように、「マル」地名の謎と金属地名の謎を探究されている。氏は登山家なのでフィールドワークはしっかりなされている。よくぞこれだけの山や地域を廻られたと感心する。行ってないところは「行ってないので、、、」と必ず注釈がしてある。Img_1307_2

真ん中のが今回の雨読


 山の名前は近畿では~山、~岳、~峯というのがほとんどで他の呼び方は少ないが、私が学生時代に通っていた丹沢などでは~丸、~
塔なんてのがごまんとあった。その他にドッケとかコウゲとかいろんな呼び方があって、この辺のところを朝鮮語との関わりで書いてあるのが前半だ。興味があったのが森(モリ)で、四国には瓶ヶ森や堂ヶ森などと言う山が並んでいる。森が今研究している杜の信仰いわゆるニソの杜やモイドン等と関連があり朝鮮語で墓を意味する。死者の魂は一旦低い山に行き、やがて高い山に行くという、葉山信仰、例えば月山の例など、にも山は関係がある。死ぬことを「山に行く」というのはこの辺にあるらしい。映画楢山節考でも「お山に行く」という表現がなされていた。つづく

【作業日誌 9/14】
薪割り
白菜防虫ネット準備

今日のじょん:今朝はその辺臭ぎ倒して何か様子が変だなあと思ったら、昨日サチが来ていたんだ。サチは妊娠が待たれているところなんだけど、どうもその気配が無さそうとサチママも話しておられた。犬の妊娠期間は2ヶ月ということだから、まだ解らないのかもしれない。Img_1360

サチ、おかあさんになってればいいのだが、、、。

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大唐内のこと(2) 9/13

2010-09-14 | 歴史・民俗

2010.9.13(月)曇

 「大唐内のこと(1)」では大唐内のことが一向に出てこないのだがご心配なく、「引地のこと」や「遊里のこと」同様何十回も続くだろうから今のところはイントロだと思って欲しい。「遊里のこと」はほぼ結論が出そうだが、「引地のこと」は当分結論が出そうにもない。全国各地にあまりにも沢山ある地名なのだが、それに対する考察が見つからない。いや、いくつかは考察があるのだが、それがどの引地にも当てはまるというものでない。それならば自分で考察すればいいと言うことなのだが、机上で考えるにはもう限界が来ている。淡路市長澤の引地、豊田市の数多くの引地にこそその解明のポイントがあるように思えるのだが、現地に行くことさえかなわない自分に歯がゆい思いを禁じ得ない。
 大唐内はそれ以上に困難を感じる。グーグルマップで検索しても、引地はごまんと出るが大唐内は一箇所しか出てこない。つまり比較検討が出来ないということだ。大唐内という地名を誰かが過去に考察して文書にでもしていれば、いつかは発見できるかもしれないが、余り期待は出来ない。誰かの説を拝借してはいこれでございと言うわけには行かないようだ。
 大唐内は老富町の大字だが、老富(おいとみ)は大唐内、市茅野、栃、光野の頭文字を取った合成地名である。光野は光野町として分離しているので、老富町は下流から栃、大唐内、市茅野の三地区となっている。上記四村はかつての於身谷村の枝村であった、光野村には文政四年金山の試掘が行われたという文書がある。(綾部市史資料編)Img_1307 Img_1234  

大唐内、小唐内


  老富町は丹波、丹後、若狭を分ける三国岳(616.4m)の南面に存する。上林川右岸に三本の谷があり、下から大唐内、小唐内、市茅野となっている。大唐内を詰めてゆくと二股となり、三国岳の左肩の胡麻峠、右肩の猪鼻峠となる。胡麻峠は舞鶴市の
多門院へ、猪鼻峠は高浜町の関屋に至る。小唐内、市茅野を詰めると前述の猪鼻峠に出る。ここから東に道をとると廃村宝尾村を経て川上に下る。これらの道はかつての重要な街道であることは間違いない。つづく(大唐内のことー1は2010.9.12)

【作業日誌 9/13】
草刈り八回目
(スジキリヨトウ卵、69個)

今日のじょん:「大変、じょんがおらへん」「と思ったらこんなとこにへたっとるで」てなわけで、今日もサークルを出て洗濯場に避難していた。風が吹いてカーテンの揺れるのが怖いらしい。Img_1334_2この狭いところへ避難していた。

コメント (2)
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