晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(134) 火葬-6 12/8

2014-12-08 | 地名・山名考

2014.12.8(月)曇り 穴虫考(133)は2014.11.21
 「死者たちの中世」を読む。

 「死者たちの中世」(勝田至著)吉川弘文館2003年7月25日第一刷発行 府立図書館借本は前回紹介した「日本中世の墓と葬送」の姉妹版というか普及版のようなものである。もちろん著者は同一で、後者は学術論文調だが前者は解りやすく解説された本といった感じがする。
 中世の墓制葬送に関する書物を読みあさってきたが、一番最初に読んだ「中世の葬送・墓制」に出てくる穴、穴賃などという火葬に関連するだろう言葉がどの文献にも現れない。

 穴というのが火葬場(貴所、火屋、山作所)における浅く穿たれた穴と仮定し、仮説-1を組み立てた訳であるが、穴が何であるかは遂にはっきりしなかった。中世の葬送、特に火葬について最も詳しく具体的に書かれているのは本書である。にもかかわらず火葬における穴という文言は出てこないのである。
 ただ火葬墓の項で次の文がある。
 信範は宇治に行き、ついでに道長が木幡に建てた浄妙寺に参詣した。それから下検分に墓地に行ったが、云々『兵範記』(P147)
 火葬骨を埋葬するために墓地を下検分したという文なのだが、穴の初見である、「中世の葬送・墓制」の中の『大乗院社寺雑事記』にある、御葬火所穴等拝見という文と文書の出所は違うのだが、状況は同じものと考えることも出来る。つまり火葬骨を埋葬するための墓所の穴と考えることも可能なわけだ。
 こうなると一気に仮説-1は変更を余儀なくするわけだが、事はそう簡単ではない。もし穴が火葬墓を表すとしたら、穴虫は穴墓所(あなむしょ)の転訛と言えるだろうが、そうすると穴虫は墓所として存在しているのが普通であろう。墓所との関連は深いが、現実の墓所そのものである例は無い。
 やはり火葬場とするのが妥当かと思うのだが、もう少し他の本を読んで、穴の意味を掴む必要がある。この間の中世の葬送に関する本はすべてが借本なので、いざ確認を、とするとき手元にないのが辛い。図書館に依頼して一週間のギャップがあるのだ。
 また本書では、火葬の燃料として、薪の他に藁が使用され、これが非常に優れているという点についても書いている。
 そして、火葬とは関係の無いことだが清水坂と奈良坂勢の抗争の際に「延年寺之引地」まで進出したという文が本書と「日本中世の墓と葬送」に書かれている。「引地」は「敷地」の誤りではないかとも書いているが、引地地名を考えるとき参考になる文言である。引地地名については研究を重ねてきたが、見当がつかない。詣り墓のことをヒキバカというように、墓制に関係あるのかもしれないという気はしている。
 そして集石墓についての記述も幾つかある。集石墓は石積みの墓なんだが、老富町に二基あるのを数年前に見せていただいたが、先般青葉山下の巡礼道に1基発見、「金閣炎上」にも舞のとある墓地に存在する旨書かれていた。集石墓については稿を改めて書いてみたい。


左:綾部市老富町 右:今寺から松尾寺(舞鶴市)に向かう途中
【作業日誌 12/8】窓ガラスカビ対策、野芝張り

【今日のじょん】じょんのび八不思議のひとつ、謎の結晶の正体が分かった。ある日突然府道にばらまかれている半透明の結晶体、雹、融雪剤、アスファルトの含有物などと考えたがどれも不自然。今日も歩道と車道の一部に一面に散布されている。大きいものでは5mmほどあり、とけて水分のシミを作っているものもある。そういえば昨日トラクタがこの部分を通っていた。その部分にだけ撒かれているのだ。どうやら、撒き残しの肥料が振動でばらまかれたようだ。あのトラクタの通過を知らなければ永遠の謎になっていた。

アップにすると結晶が見える。

 

 

コメント
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