晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「金閣寺の燃やし方」 12/12

2014-12-12 | 雨読

2014.12.12(金)

 なんとも物騒なタイトルで、図書館の検索をしても出てこなかったので、購入して読んでしまった。今日再度図書館検索したら、あるわあるわ綾部の図書館にもあった。どうやら検索文字でも間違っていたのだろうか。渡辺淳先生からも電話で「私も読んだことがあるよ」とかかってきた。酒井順子さんはわたしより15才若いエッセイストで、かなり有名な方だそうだ。新聞紙上の書評のページでコラムだったかを読んだことがあったがこのような本を書いておられるとは知らなかった。古本ネットで「金閣寺」を買おうとして、本書を見つけ、こちらの方が手っ取り早くておもしろそうという不純な動機で買ったものである。
 「金閣寺の燃やし方」(酒井順子著)講談社 2010年10月28日第一刷 古書購入

 金閣寺放火事件を扱った二人の作家、三島由紀夫と水上勉を比較しながら探るという面白い文芸評論ということだろう。わたしより15才若い、東京生まれのお嬢さんに水上勉の神髄がわかるだろうかという思いが最初からあった。寒くて暗くて貧乏、腰まで汁田に使って働いてもまともに生活できないというような環境が、理解できるだろうか。それでもうらにしが好きだという心境が理解できるだろうか。そんな不信感でいっぱいだった。
 「京都府舞鶴市の成生という、岬の突端にあるちいさな集落の、、、」という文を見て、成生は岬の突端ではなく酒井女史は成生に行ってないののだろうか、成生に行かずして、金閣寺放火事件が理解できるかと、なにか勝ち誇ったような気もした。ところが女史は成生を訪ねているのだ、しかも田井から2Kmの道を歩いて訪れている。田井までバスで向かったので後は歩くしかなかったのだろうが、舞からタクシーで行っていないことがとても嬉しい。
 成生では地方の寒村特有の排他的な視線を感じるのだが、林の生家である西徳寺を訪ねても、村の人に何かを尋ねてもこれと行って得られるものは無い、ただ自分自身が余所者(よそもの)であると思わせられるだけである。それでいいのである、それだけでも成生を訪ねると訪ねないでは雲泥の差があるのだ。事ほどさように、若狭の水上勉の生家の在った地やその母が腰まで使って働いていた汁田圃のあった小近谷の若州一滴文庫も訪ねている。
 舞鶴市安岡の林養賢と志満子の墓は、一般には水上勉によって発見されたようなものだが、女史はこの地も訪れている。しかも養賢の墓の左側にいわゆる集石墓があることを書いている。このことは金閣寺事件とは何ら関係の無いことだが、先日高野から松尾寺に至る巡礼道の脇に集石墓を発見しており民俗学的に大変興味のあることとなっている。つづく

【作業日誌 12/12】
ジャガイモ、ヤーコン、キクイモ収穫

【今日のじょん】
夜な夜な吠えてくれているのだが、なんだか解らない。朝になって初めて何事か解るわけ。玄関坂の蔦の葉が鹿に食われていた。これはあまり美味そうではなく、他に食い物がなくなってくると食べるようだ。

 

 

コメント
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