晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

えっ、縄文? 12/14

2014-12-14 | 上林たんけん隊

2014.12.14(日)曇り

 「縄文時代に興味のある方が来られるので、何か良いところはないですかねえ」とイワンさんに相談を受けたのは1ヶ月前ぐらいだろうか。綾部周辺で遺跡として残っているのはやっぱり古墳時代以降だろうなあと思いつつ、綾部市資料館を訪ねる。ちょうど特別展「縄文奇妙奇天烈 弥生摩訶不思議」展が開催されていた。8月に丹後郷土資料館を訪れたとき、綾部なら是非訪ねるようにと言われた三好先生がおられたので、縄文遺跡について尋ねてみる。

 東北や北海道に見られるような縄文遺跡は綾部周辺には見られないということであった。ところが特別展での展示物を始め、あちこちで縄文期の遺物が出土しているのだ。つまり縄文人は西日本においては大集落を形成することはまれで、かなり疎に分布していただろうというどこかで読んだ説がそのまんまのようである。しからば我が家の近くにある大型石棒を見ていただこう。
 この石棒は睦合町浅原(あずら)にある、葛禮本神社(くずれもとじんじゃ)の境内社栄鉾社に祀られている。何度か紹介しているのだが(2013.2.5他)縄文時代のものというだけで詳しいことは解らなかった。まあ見ていただくだけでいいのかなと思いつつ、資料館を出ようとすると玄関のパンフレット棚に「綾部市資料館報第6号」という冊子があり、例の石棒の写真が表紙にデンと載っている。早速購入して中身を見ると、先ほどの三好先生の手になる調査報告である。

葛禮本神社は我が家から1,5Km、念道の一部も氏子圏となっている。
 全長95.3cm、最大径18.1cm、重量57.5Kgの大型石棒で、頭頂部は笠形二段の形状をしている。この形状のものはすべてが出土品で、一般の目につくことはまれであり、後世に模造品を造ることは考えにくい。また民間信仰の対象として陽物を形取って祀る場合はもっと写実的に作られており、このような形態をとる必然性に乏しい。近隣に同様の石造物を祠に祀る例は見られない。などという理由から、縄文時代に作られた石棒である可能性が非常に高いということである。
 石棒というのは東北、北海道の縄文遺跡からは大量に出土しており、金精さまなどの民間信仰もその地方に多い。
 関西では飛鳥に遠足に行ったときに奉納されているのを見たことがあるが、それが飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)であったかどうかは定かでない。岡山県高梁市で金精神社に巡り会ったが、これは東北から勧請したものと言うことだった。確かに民間信仰の陽物は三好先生の言われるとおりリアルである。つづく

 
高梁市の金精神社、右は遠野市の金精さま、縄文時代の石棒とは明らかに形状が違う。

【作業日誌 12/14】終日薪割り

【今日のじょん】とりあえず今季最大?の積雪。すぐに融けてしまった。上林川きれいでしょ、寒いけど、、、、。

コメント
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