2014.12.25(木)雨
笠木透さんが22日に亡くなられたという記事を見つける。77才ということである。といってもあまり知らないだろうけど、マニアックなフォークシンガーというところだろうか。代表曲は「私の子どもたちへ」だろうか、曲を聴けばあーこの曲かってわかるかもしれない。その他にも「我が大地の歌」とか「私に人生というものがあるならば」とか歌っておられる。
死亡記事と沖縄伊是名島でいただいた名刺。
笠木透さんとはいまから30年ほど前、沖縄の伊是名島で一晩飲み明かしたことがあり、いまでもその時の光景を憶えている。
「小原さん悪いけど明日沖縄行ってくれるか?」と布団に入って眠りかけているところへ石橋さんから電話が入った。なんでも伊是名島(いぜなじま)のトライアスロンの審判長をやるつもりの石橋さんが都合で行けなくなったそうだ。二つ返事というわけにはいかないがとりあえず職場の了解を得て沖縄に飛ぶ。恥ずかしい話、伊是名島が一体どこにあるのか、トライアスロンのコースだって何もわからないし、審判を導入するのも大会としては初めてだという。
準備された飛行機に乗って、バスと船を乗り継いで伊是名島に着く。
伊是名島へは運天港から1時間(2007.2.20)
島の担当者の車で島を一周する。一面サトウキビ畑の島を一周するのにそう時間はかからない。スイム会場の浜はとてもきれいな海岸で、透明な水に珊瑚の白い砂の海底が見えて泳いでいてもとても楽しい。その白い海底に真っ黒の細長い溶岩のようなものが無数に落ちている。火山があったとは聞いていないし不思議だなあと思っていたら、その黒い物体が突然動きだす。驚いたねえ、村の人に聞くと黒ナマコとおっしゃったかなあ、毒も無ければ食用にもならない種類らしい。バイクコースやランコースは一人で原付バイクで廻った。そこでばかでかい亀甲墓や家の前の石敢当を見ることになる。
さてそれがレース前夜だったのかレース後の夜だったのか定かでないのだが、笠木透さんメンバーと大会のツアーを取りしきる旅行者の某とトライアスロン協会の清水会長とわたしとが同宿のよしみで一杯飲むことになる。
「笠木透です、知ってますか」
「失礼ながら知りませんねえ」
「この歌を聴けばわかるでしょう」と歌ってくれたのが「私の子どもたちへ」である。
高石ともやさんが時々ラジオで歌っているのを聞いていたので、ああこの方が、、、、ということとなる。
泡盛も入って盛り上がり、下ネタなんぞも出てくるのだが、先ほど見た亀甲墓、石敢当やユタの祈祷、伊是名島には棲息できないハブの話、ウミガメの産卵の話など沖縄の文化の話で盛り上がった。実はこの場に地元の人は居なかったのだが、あらかたが笠木さんの話だったのである。それまで3回沖縄を訪れていて、網膜には亀甲墓や石敢当は映っていたけれど、意識としては何も見ていなかったのだ。笠木さんのおかげで沖縄を見る目が変わった。その帰りに国際通に立ち寄って沖縄の文化と歴史に関する本を買ってきた。京都などでは本屋さんに京都コーナーがあるが、沖縄の沖縄コーナーはこの比では無い。
石敢当は沖縄のどこの家でも見られる。島の方が古いタイプの亀甲墓が見られる。(伊平屋島で 2007.2.21)
その後30年近く笠木さんにあったことはない。時々労音の広告でコンサートの情報を見ることはあったが、行くことも無かった。
亡くなられたいま、改めて笠木さんの歌を聴くと実に涙が出てくる。特に「時は流れて」は笠木さんの詩なんだけど、こちらも歳をとったせいかしみじみとしてしまう。あの夜から30年の時が流れた。
2 今はもう私は 年を取って
今はもう私に 出来ることは少ない
山や空や海や 広がる草原を
遠くから遠くから 離れて
ずっと遠くから たたずんで見ている
目を開くより つぶっていた方が
よく見えるような そんな気がして
遠くから見ている 私の晩年
時は流れていった
【今日のじょん】じょんはカレンダーが読めるか?
木曜日に豆腐屋さんが来るとワンワン吠えるのだが、その前に豆腐代をレジから出すだけで吠える。ところが今日はレジを開ける前に、何もしてないのに吠え出すのだ。その後5分ほどして豆腐屋さんが来た。カレンダーが読めるとしか考えられない。
写真はカンケーありまセン。