晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 金閣炎上-2 12/3

2014-12-03 | 雨読

2014.12.3(水)快晴

 「金閣炎上」(水上勉)新潮社昭和54年7月25日発行 古書購入

 本書の帯に「二十年越しの執念の結晶」と書かれている。もう一度事件に関わる年表を書いてみよう。
杉山峠の出会い    1944年8月(昭和19年)
金閣寺放火事件    1950年7月2日(昭和25年)
「金閣寺」発行    1956年(昭和31年)
「金閣炎上」書き始め 1959年?
三島事件       1970年11月25日(昭和45年)
「金閣炎上」発行   1979年(昭和54年)

  この時系列を見ると水上先生が、事件後の「金閣寺」や世間の林養賢に対する見方に「そうではないんだ」という思いで「金閣炎上」を書かれたことが読み取れる。その調査に20年の年月を要し、「二十年越しの執念の結晶」という文言になったのだろう。
 あとがきの中に「私は犯人の林養賢君と縁も深かったし、在所も近かったので、彼がなぜ金閣に放火したか、そのことをつきつめて考えてみたかった。」と書かれている。縁が深いということは、杉山峠で会ったこともあるが、やはり同じ臨済宗のお寺で苦しい修行時代をおくっていること、貧しい村の寺が経済的にも精神的にも厳しい生活をおくっているかということを認識していることなどだろう。こういうことはマスコミや三島には絶対に解らないだろうという思いがあったのではないだろうか。それにしても二十年というのは、何ともすさまじい執念を感じる。そこまでしても林養賢の放火の真意を掴みたかったのだろう。それでもあとがきの中の前文のあとに「だが、本当のことはいまもわからない。当人が死んでしまっているのだからわからな。しかしいろいろと周囲のことを調べ、事件にかかわった人から話をきいていくうちに、私なりの考えがまとまっていったことも事実である。」とつづく。
 その20年の歳月の報告が本書だと言っている。
 本書は地名や施設の名前、氏名などすべて実名で、ノンフィクションの小説である。ただし取材時の約束で氏名がイニシャルになったり、水上氏の言として書かれていることもあるとことわっている。
 本書を読み進めていて、この本は事実や証言をありのままに書くのみで読者に林養賢の真意を分からせようという手法かなとさえ思った。水上先生の考えや思いは極最後の部分にまとめて書かれている。
 実は水上先生の考えに共感する部分はあるのだけれど、どうも納得いかない部分がかなりある。この場で公表するつもりでいたのだけれど、林養賢に近しい水上先生が二十年もかけて調査し、まとめられた考えを、1回本書を読んだだけのわたしが批評なり批判するのはおこがましいことと思う。
 従ってこの件はノートに書き留めておいて、今回の公表は差し控えたい。「五番町夕霧楼」「金閣寺」など周辺の作品を読んだ後にそれでも疑問が残るようだったら改めて公表したい。とりあえずは「金閣寺の燃やし方」(酒井順子)を読み始めている。
 するといきなり、京都府舞鶴市の成生という、岬の突端にある小さな集落云々という文が出てくる。成生は岬の突端ではない、彼女は成生を訪ねているんだろうか。読み進めればわかることだろうけど、成生を訪ねない限りこの本の論評は出来ないだろうと思うのだが、、、。
そんな心配は無かった、読んでいくとしっかり成生を訪ねている。しかも田井から歩いての旅だ。おわり

宮津市日置の妙見山から成生岬を望む(向こうに薄く見えている)春分、秋分には成生岬から朝日が昇る。
五番町夕霧楼の夕子はこの丹後半島から出た。
【作業日誌 12/3】パンフレットスタンド作成

【今日のじょん】

今期最低の気温となった。0℃でじょんの水飲みも氷が張っていた。一昨日シマトネリコとジャガイモの霜よけをして正解。上林川冬景色きれいでしょ。じょんも隣に居たのだけど、入れるといいアングルにならないので却下。



 

 

コメント
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